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2.21 今西錦司ってえ男はやっぱ凄い奴だ [学び]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 今、断捨離のため蔵書を片っ端から読み直し、どんどん捨てているのだが、今日、今西錦司著「主体性の進化論」(1980年)を読み終わった。
 今西錦司氏(明治35年生まれで京都帝国大学農学部卒)は、日本の霊長類研究の創始者で、探検家・登山家でもあり、日本山岳会会長もやっておられた猛者。フィールドワークを重視し、植物・動物の生態研究に長年取り組むなかで、生物というものは、個体単独で見てはならず種社会(群れ)を見なければ何も見えてこないという結論的なものに達する。そうしたことから、進化論を語るに際して、ダーウィンの進化論の基本となる個体の進化(自然淘汰説)をこてんぱんにやっつけている。よくぞ、ここまで言い切れるものだと感心するが、ダーウィンの誤りを理路整然と指摘し、その論理構成は実に小気味いい。
 さて、今西氏が晩年にうちたてられた独自の進化論のなかで、ヒトの進化についての記述が面白い。それをほんの一部引っ張り出して以下に引用しよう。
 人類の起源、すなわち人類の直立二足歩行が、どうして達成されたかを考えているうちに、いつの間にか「赤ん坊は立つべくして立ったのである」ということで、満足できるようになった。…やがて私は、こうした理解の仕方をひろげて、進化とは変わるべくして変わったのである、と言いだすようになった。…「変わるべくして変わることが、なぜおかしいのか。現にあなたの身体だって変わるべくして変わっているではないか」といって、恬然(てんぜん:平気、のんびりした様)としている。
 これでは、しかし、進化すなわち系統発生を、個体発生にするかえている、といわれるかもしれない。私にすれば、これはすりかえでもなんでもない。ごまかそうという気などすこしもないのである。系統発生と個体発生とは、別なものであるということぐらいは、十分に承知しているのである。それにもかかわらず、系統発生と個体発生とのあいだには、みごとなアナロジー(相似)がなりたつということを、見抜いたのである。どうして見抜いたかといったら、理詰めの結果見抜いたのではなくて、直観で見抜いたのである。直観だから間ちがっているかもしれない。…理詰めの結果だって間ちがいの生ずる余地がないとはいえない。直観だって十のうち九まで当たるようだったら、一つの間ちがいをおそれてこれを用いないというのは、まことにもったいない話である。私は直観の導いてくれたアナロジーのほうが、下手な理屈よりもはるかに物事の真相をとらえている、とおもう。(引用ここまで)
 ここだけ読んだら、今西氏は“なんて非論理的に物を言う御仁か”となってしまうが、その前後に脈々と語られている内容をじっくり読むと、やはりそうか、と妙に納得させられてしまう。そして、進化に関してその後明らかになった知見をあれこれ少々齧った小生も、進化の真相は今西論にあり、と考えるようになったところである。
 10年ほど前に、この本を読んだときのことを懐かしく思い出す。
 でも、しかし、進化というものは少なくとも万年単位で見ないことにはわからない、科学的実証が不可能な現象ゆえ、どんな進化論も「論」の域を出ず、厳しい言い方ではあるが、今西進化論も残念ながら仮説のままであることは間違いない。
 ゆえに、今西氏もあとがきのなかで次のように言っておられる。
 私の進化論がダーウィンの進化論に勝ったことにならないし、けっきょく勝負がつかないということ…。申しおくれたが、私は本書を学術論文としてではなく、一つの長大な随筆として書いた。(引用ここまで) 
 いやーあ、恐れ入った凄い御仁、今西錦司である。こうした型破りの豪傑、他にタイプがよく似た御仁として、大正12年生まれの西丸震哉氏(食生態学者、探検家)がおられるが、どちらも戦前、戦中派であり、戦後生まれの団塊世代以降は、粒が小さくなってしまい、かようなお化けのような輩はもう出ないかもしれぬ。
 なお、自然科学の分野においても「直観」というものは、ばかにできないものであって、アインシュタインだって直観によって特殊相対性理論を見つけ出したのであり、これは幅広く深い数々の知識と経験が相まって湧き出てくるものであろう。
 以上、今西錦司著「主体性の進化論」を再読しての読後感想でした。
 ところで、この本、捨てようか、とっておこうか、悩みますなあ。なんせ今西氏が78歳にして発表された新説論文であり、小生、その年までまだ7年もあり、もう1本新説論文を書く時間的余裕はたっぷりあるのであるからして、随分前にお蔵入りさせてしまったアイデアの肉付け作業は容易なはず。捨てないでとっておけば、この本が自分のケツを叩いてくれて、論文づくりを後押ししてくれるかも。
   
<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
4品思い出すも、これは2日前か3日前か? 2日前はすき焼きだったか? どちらがどちらか、記憶が混乱。

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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