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7.27 血圧は年齢とともに上がる、高血圧は病気ではない [学び]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 「からだの雑学事典」(佐伯誠一)からの引用記事を7月3日に書いたのだが、読み終わってみて、けっこう面白い記事が何本かあった。今日は、その紹介の最終回。
(以下引用)

 血圧は年齢とともに上がる
 心臓が伸縮して血液を押し出すときの圧力が血圧だ。心臓が縮むと血圧は最高に達し、これを最高血圧、またの名を「収縮期血圧」と呼ぶ。めいっぱい広がって次に縮む直前、血圧はいちばん低くなる。これが最低血圧、別名「拡張期血圧」。
 血圧は心臓から遠い場所ほど低くなる。心臓から出たところの最高血圧が140の人なら、上腕の動脈で120、足の先で90、最後の毛細血管では20に落ちている。
 ふつう、血圧というときは上腕の動脈で測った圧力のことだ。そして、血圧120ミリというと、重い水銀を12センチも押し上げる圧力のことで、もしかりに水なら170センチもふき上げるすごい力だ。
 血圧は朝より昼が高いし、寒いと上がる。夏と冬では20ぐらい違う。トイレを我慢したり緊張すると高くなるし、性的なことを想像しただけでも上昇する。それに40歳を過ぎると健康な人でも血圧が上がっていく。これを本態性高血圧と呼ぶ。
 本態性というのは、血圧が高くなるということ以外には、何の異常もないということで、一種の生理現象だ。血圧は、人によって、上がりやすいタチの人と、上がりにくいタチの人がいるのだが、時間が遅れるだけで、誰でも、いつかは上がる。40や50で上がらなくても、70歳、80歳になると、やはり上がる。
 高血圧は病気ではない
 血圧が高いということは、病気ではない。それどころか血圧が高いと血の巡りがいいのだから、喜ばなくてはいけない。(中略)
 人間の血管は、ふだんの10倍の圧力を加えてみても破れないほど弾力がある管だ。だが、どこかもろくなった箇所があると、そこがはじけて裂ける。脳卒中(※)は脳の中の動脈がもろくなり、血液がどっとあふれ出たものだ。動脈硬化こそ卒中の原因で、単なる高血圧だけでは血管は破れない。高血圧と動脈硬化はまったく別の病気である。
(以下、引用略)

 いかがでしょうか。「血圧は年を食えば上がって当然。血圧が高けりゃ血の巡りが良くなって喜ぶべし。血圧は1400(あり得ないが)になっても血管は破れやせん。なんも気にせんとてええ。」ということになる(これが正しい)のだが、佐伯氏はそう断言せず、医者の回し者のような解説をもしておられるので、間違い直しをしつつ、それを併せて以下に紹介しよう。
 まず、引用文中の(※)について、ちょっと注釈を入れておく。著者佐伯氏は医学の専門家ではないからか、「脳卒中は…血液が…あふれ出たものだ」と、正しくは「脳出血」のことを、かように書いておられるが、これは明らかな間違い。「脳卒中は、血管が詰まる脳梗塞と血管が裂ける脳出血・くも膜下出血を含めた脳の血管系疾患の全体」をいうのであって、血管の破れ、詰まり、その両方をいうのである。
 それと最後の一文「高血圧と動脈硬化はまったく別の病気である。」は、いただけない。見出しで「高血圧は病気ではない」と言っておきながら、高血圧が病気にされてしまっている。(もっとも、これは「(以下、引用略)」とした部分の記述との関連でそうなったきらいはあるが。)
 さらに付言すれば、動脈硬化も病気ではなく、「血管が硬く脆くなり、内壁にコレステロールなどが沈着して血液の通りが悪くなる」状態のことをいうのであるから、いまだ未病の段階にあり、あえていうとならば「動脈硬化症」だ。
 なお、現在では、高血圧も「高血圧症」と言われることが多くなったが、動脈硬化ほどには血管系疾患との因果関係はなく、佐伯氏が言われるように「血圧が高いと血の巡りがいいのだから、喜ばなくてはいけない。」のであって、「本態性高血圧」と呼ぶにとどめおくべきものである。

 ところで、「(中略)」の部分には、次のように書かれている。
 ただ、高血圧が何らかの原因になって、さまざまな症状が起こる。それが問題なのだ。
 そして、「(以下、引用略)」には、現在言われていることと全く同じ“脅し文句”が書かれている。それを以下に全文引用することとする。
 血圧が高くなると、心臓は自らの筋肉を肥大させてそれに耐えようとする。そのため心臓そのものが拡大して機能が低下し、心不全を起こす。さらに心臓に栄養を送っている細い動脈の硬化が進んで、心臓が栄養不足や酸素不足になり、狭心症や心筋梗塞を起こす恐れがある。
 高血圧は病気ではなくても、脳卒中、心臓病、動脈硬化などを起こす要因になっている。脳出血や心筋梗塞、狭心症を除くには、そのもとの高血圧を何とかしなくてはならない。それで、高血圧を病気扱いにするのだ。世界保健機構では、最高血圧が160ミリ以上、または最低血圧が95ミリ以上を、高血圧と定義している。
(以上で全文引用完了)

 本書が出版されたのが1984年で、すでに35年も経っているが、佐伯氏の捉え方に2通りある。その時代以前の捉え方「高血圧は本態性であり、血の巡りがいいのだから喜ばなくてはいけない。」というものと、たぶんこの頃から騒がれだしたであろう「高血圧が何らかの原因になって、さまざまな症状が起こる。それが問題」というもの。
 前者だけに止めておけばいいものを、後者に言及するから一言文句を言いたくなる。

 まず、心不全に関する記述だが、心臓の筋肉はそんなに華奢(きゃしゃ)なものではない。年を食えば高血圧であろうとなかろうと、心臓肥大は避けられないものの、けっこう元気に動いてくれるものである。ただし、いつまでもその元気さは保証されるものではなく、心筋梗塞や大動脈解離または大動脈瘤破裂といった突発性疾患がなければ、やがて心臓は機能不全となり、ご臨終ということになるのだが、死因が老衰と診断されるのはまれで、多くは心不全と診断されるだけのこと。
 高血圧が起因して血管系疾患を誘発すると盛んに言われているが、降圧剤でもって血圧を下げた結果、逆に血管系疾患を誘発するという報告もあり、高血圧と血管系疾患との間にはたいした因果関係はないというのが本当のところだ。血管系疾患は飽食と運動不足が原因と言った方が当たっているのである。

 その後、どんどん高血圧が口やかましく叫ばれるようになり、現在ではWHO(世界保健機構)の高血圧基準は最高血圧が140mmHg以上、最低血圧が90mmHg以上になっており、日本の医学界も概ねこれに準拠している。
 で、現在、日本の高血圧の基準値はどうなっているかというと、非常に複雑化させており、巧妙に仕組まれている、といってよいであろう。基本は140と90であるものの、130どころか120までが登場している。一方で、年齢区分は極めて荒っぽく、加齢とともに上がっていく血圧につき、高齢になればなるほど高血圧症にされてしまう。こうして、「皆、血圧の薬を飲め」とばかり、悲しいかなますます薬漬けから脱却できなくなっている日本の医療制度である。
 そして、けっこう若くして(40代、50代で)血管が詰まる疾患を発症するのが近年の傾向であり、これが増え続けている。これは、ますます高度文明社会になって、飽食と運動不足、これにストレスが加味されてのことであり、この3大要因の除去なくして血管系疾患からの脱却はあり得ない。しかし、これはどだい無理な話。今さら狩猟採集民には絶対に戻れないのであるから、これを甘んじて受け入れるしかないのである。

 さて、高齢者が血圧の薬を飲めば、血圧が下がって血の巡りが悪くなるのであり、体全体の元気さが失せてしまい、かえって様々な疾患を拾うことになるのである。うち一番の問題が、年寄りはただでさえ脳血流が悪くなるのであるからして、血圧の薬なんぞ飲めば“ボケ街道まっしぐら”への道を突き進むしかなくなるのだ。今日の日本は、高度文明社会の便益をたっぷり享受できて実に有難いことではあるが、それがために、皆、長寿となり、そのあまりの長寿が災いして痴呆症が多発する。痛しかゆしである。
 ここで、小生はあえて痴呆症と言い、認知症と言わなかったのは、「痴呆という症状を呈するから痴呆症なのであって、逆に認知できるのであれば非常に健康な頭をしており、認知症とは痴呆が治ってしまう状態」をいうからである。ボケを認知という言葉を使って表現したいのならば、認知不全症とでも言うべきだ。

 高齢者と呼ばれる年齢になったら、その先はそう長くはないもの(人生100年時代というから随分先になるかもしれぬが)と、こころえ、年を食えば食うほど、いくら健康に留意したとしても最期は血管系疾患で逝く可能性がどんどん高まるのであるからして、高血圧を甘んじて受け入れたいものである。そのいい例が、「ピンピンコロリ」運動を展開してみえる長野県で、お年寄りたちの最新の合言葉は、これが一番苦しまずに死ねるからであろうが「脳血管障害で95歳で死のう!」となっているようだ。
 長野県のこの例は、例外であって、世間一般、どううわけか日本人の年寄りどもは、“俺は死にとうない”とばかり、医者から単なる延命措置にしかならない薬をガバチョともらい、ヨタヨタになっても悪足掻きしまくる輩があまりに多い感がする。どうやらこれは日本人の無宗教性(ここでいう宗教とは、超越者である特定の神を唯一絶対の存在とする一神教)が災いしているのではなかろうか。そんなふうに小生は思う。

 本稿は、途中まではこのブログの“一楽”に沿った明るい内容の記事であったが、引用の後半からは別立てブログ「薬屋の…」にふさわしい暗いボヤキ記事になってしまった。
 読者の皆さん、お許しあれ。 
  
<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。うち2品は別のもの。他に1品。3/8で40点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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