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5.18 初夏の奥飛騨 新平湯温泉「山ぼうし」湯治旅行(その2) [湯治旅行/宿泊旅行]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 昨日今日と、当店の連休に合わせて、女房と奥飛騨へ新緑のドライブを兼ねて、湯治に出掛け、新平湯温泉「山ぼうし」で泊まったことを昨日書いた。
 昨日は主として食い物について書いたが、今日はそれ以外について記す。
 何といっても一番は温泉である。これが主目的であり、去年の5月の記事と大半が重複するが、再び書こう。
 泉質はどってことないが、かすかに硫黄らしき臭いがする。これは奥飛騨温泉どこも似たようなものだ。いつも少々物足りなく感ずるが、今回は今までになく十分に臭っている感がした。小生の鼻が鋭敏になったのか?
 源泉は公式ページによると単純温泉(低張性中性高温泉 60.5℃ 無色透明)とあるが、温度はたしか77℃と表示してあった。湯温は風呂によって少々違いがあるも、全般に高めで43~41℃ぐらいの感じがした。長くは入っていられない。もうちょっと温めがいい。
 宿に着いてしばし休憩してから、女房と浴場に向かう。男女別の露天風呂付き大浴場の他に、貸切浴場が2か所ある。貸切であるが面倒なことはない。「予約不要、時間制限なし」で「空いていたら、どうぞ」である。 
 貸切風呂がどちらも空いていたので、まずは見てみる。過去2回、両方とも入った記憶があり、手前のほうは、露天風呂は数人がゆったり入れる大きさで屋根付き。五右衛門風呂風の1人しか入れない浴槽もある。奥のほうはというと、2人入れる内風呂と数人がゆったり入れる露天風呂があり、屋根なしである。両方とも貸し切り風呂としては大きい部類に入る。これが無料で時間制限なしだから有り難い。なお、大浴場は男女別だが、さほど大きくはなく、露天風呂は貸し切り風呂の倍もない。
 前回とは順番を変えて、夕食前の湯治は手前の貸し切り風呂とした。五右衛門風呂風の湯舟は43℃ぐらいあり、熱くて入っていられない。石囲いの露天風呂は42℃ぐらいで、ここもそう長くは入っていられない。浸かっているより石に座っているほうが長い。そして、ときどき冷水シャワーを浴びる。この冷たさが心地いい。女房と2人、ゆったり1時間半の湯治。
 夕食後、ひと眠りし、大浴場へ行く。時刻は午後10時。男女別の大浴場に入る。誰も入っていない。貸し切り状態。露天風呂は気持ち高めで41℃ぐらいか。内風呂は使わず。露天風呂に入ったり出たり。夕食前と同様に浸かっているより石に座っているほうが長い。微風があり、時折風が肌を撫でてくれ、ひんやりとして気持ちいい。標高はたぶん900mぐらいであるから、朝晩は随分と気温が下がっていることだろう。そして、風を感じたとき、温泉臭が漂ってきて、“温泉~ん!”という雰囲気で包まれ、最高の気分となる。
 隣の女風呂も女房一人貸し切り状態にあったようで、1時間しないうちに静かになる。それからしばらくして男風呂に若い2人が入ってきてた。少々騒がしく感じ、1時間ほどして上がる。
 朝は、貸し切り風呂が両方とも空いており、昨日とは別のほうに女房と入る。内風呂は41℃ぐらいか。岩風呂のほうはち42℃ぐらい。どちらも長くは入っておれず、露天風呂の石に腰掛けたりして、朝の冷気を楽しむ。実に爽やか。やはり標高だけのことはある。女房は30分ほどで上がったが、小生は1時間ほど温泉を楽しむ。
 こうして、いつもどおり3回の入浴を堪能できた。それにしても、湯温はかなり熱めで、少々往生した。
 泊り客は4組8人であったようだ。ここは評判がいいから、いつもだったら10部屋全部が満室近い状態になろうが、コロナ騒ぎで客足が遠のいているようである。我々夫婦にとっては、普段より空いていて、ゆったりと湯治できたから有り難かった。

 帰りにどこかへ立ち寄る予定はなかったが、毎年この時期には奥飛騨温泉に2か所ある朝市なり道の駅へ行って山菜(特にワラビ)を買って帰る。これが一つの楽しみで、すぐ近くにある福地温泉の朝市へ立ち寄ったのだが、コロナ騒ぎで閉店中であった。となれば平湯温泉の朝市も同様であろうから、途中にある道の駅2か所を覗いてみることにしたが、ともに閉店中。よって、ワラビを買い込むことができなくて残念。
 宿の仲居さんが、ゴールデンウイークは自粛して閉館したものの、その後も観光施設はどこも閉まっており、営業を再開したものの、入込が少ないと嘆いておられたが、それがうなずける。温泉に出かけても、往き帰りの道中はトイレ休憩以外一切何もできないという不自由さがあっては、客足が遠のくのは当然のことだろう。
 そうしたことから、往きの東海北陸道、帰りのせせらぎ街道ともに、車の量は普段の半分以下の感がした。そのお陰で、走りやすく、片道3時間ほどの長距離走ではあるも、運転疲れは全くなし。車窓の新緑をじっくり楽しむ余裕もあった。また、平湯辺りやせせらぎ街道の峠辺りは標高が1000mを越え、まだ桜がけっこう楽しめた。

 昨日の出発は正午ちょっとっ過ぎで、今日帰りついたのは午後1時。まあ、いつもこんなものだが、帰ってから少々百姓もでき、有り難いことである。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
豪華の宿食を楽しんだところです。

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
コメント(4) 
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コメント 4

天安

山ぼうしの湯治旅行。よかったですね。
奥飛騨は奥飛騨慕情でも有名ですし、
「飛騨の影丸」という漫画で、ガキの頃からわたしは飛騨になんとなくあこがれのようなものがあります^^。
ここで自由気ままな湯治旅行をする。
これ、天国ですよね。
もしかして「どろんこ」さんが影丸のモデルだったとか^^。
また楽しい湯治紀行を読ませてください。

by 天安 (2020-05-21 14:34) 

どろんこ

天安さん、コメント有り難うございます。
今回の記事は前回の焼き直しで申し訳ありません。
コロナ騒ぎが収まっていないなか、女房は行くのに若干躊躇したのですが、“遠慮は無用である”と小生が強く主張し、行ってまりました。
いやあ~何度行ってもいい宿です。

奥飛騨慕情ぐらい歌えないといかんのですが、メロディーが身に付いておらず、カラオケで歌ったことがないです。
漫画「飛騨の影丸」は知りませんでした。大学生のころは「あしたのジョー」を夢中で読みましたが、漫画を読んだのは小学生のときと大学生のときだけですから、年代のずれがあったのでしょうね。

次回の湯治は昨年同様、8月お盆過ぎに昨年と同じ宿。また焼き直しになりますが。

by どろんこ (2020-05-21 15:36) 

天安

すいません。わたしの記憶違いで
飛騨の影丸 じゃなくて、
飛騨の赤影 でした;;;;;;;。
あかかげ、御存じないですかね??
だいたい同じくらいの世代なので、ご存じじゃないかと
思いましたが^^。
ネットを見たら、「仮面の忍者 赤影」ってなってますね。
今はわからないことがあればすぐネットに入れてすごい時代に
なったと思います。


by 天安 (2020-05-21 18:47) 

どろんこ

ウイキペディアによると、
・「週刊少年サンデー」にて『飛騨の赤影』の連載を開始
・テレビドラマ『仮面の忍者 赤影』が1967年4月5日 - 1968年3月27日まで放送
週刊誌は高3のとき、テレビは大学1年のときで、たぶんどちらも全く見ていない時期ですから、知らないのでしょうね。
でも、ウイキペディアによると、
・『巨人の星』(通称「左腕編」)は1966年から1971年まで『週刊少年マガジン』に連載
・『あしたのジョー』 は『週刊少年マガジン』に1968年(昭和43年)1月1日号(発売日は1967年(昭和42年)12月15日)から1973年(昭和48年)5月13日号にかけて連載
とあり、大学入学は1967年4月(5月から寮生活)ですので、自分で漫画雑誌を買ったことはないですが、この2つは誰かが買ったものを大学1年から読んでいたかもしれません。
懐かしく思い出します、夢中で読んだ『巨人の星』、『あしたのジョー』。

by どろんこ (2020-05-22 07:12) 

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