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7.15 論文のテーマを決める [新論文「命と心」模索中]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 10年ほど前に論文を4つ相次いで発表した。これらは好奇心のなせる技、であったと自分では思っている。その後は、どれだけかは好奇心が衰えたとはいえ、機会があったら再び論文を書こうと狙っていた。
 わりと早い時期に一つテーマが見つかった。でも、これは人間科学(世のため人のための科学)に反する結論が出てしまいそうでお蔵入りとなった。その後は、暗中模索の世界に入り込んでしまい、らしいテーマは浮かんでこず、もう歳だからと半ばあきらめてしまった。
 ところが、最近(といってもここ2、3年)小生に論文を書けという輩が複数登場して、彼らにケツを叩かれてしまい、なんでもいいから書かざるを得ない状況に追い込まれた。
 オスという動物はメスと違って、大いなる怠け者であり、これを貫徹しようとする。よって、何かノルマを与えないことには決して働かない生き物であるゆえ、働かせるにはノルマを与えるしかないのである。
 本来は、このオスとメスの違いを論文にするといいのだが、これは既に発表した論文の中に部分的にではあるがけっこう書いたし、ブログでも断片的に幾つか書いた。それを総まとめしたところで、目新しいものは何もない。
 新たな何かを見つけ出すには、オスとメスとの共同作業が不可欠となるも、我が女房にはそうした探求心はかけらもなく、我が娘となると2時間も顔を突き合わせていたら必ず喧嘩となるは必至で全く先に進まない。
 最適任者は、同窓会で幾度か話をし、手紙の交換も行った小学校の初恋(片思い)の人であるが、彼女と緊密に意見交換を重ねようものなら、老いらくの恋に陥るのはこれまた必至で、何もかもぶち壊してしまう。なんて勝手に思っているが、もし提案したところで、彼女はやんわり断ってくることであろう。
 というようなわけで(こんなことはどうでもいいことだが)、何か目新しいテーマ探しに迫られ、延々とそれが続くも、おいそれとはそんなものが出てくるものではない。
 ところが、である。ここのところたて続けに買った最後の本、立花隆著「サピエンスの未来」を読み終わって、その中から新しいテーマが見つかった。でも、未来のことはいくら努力したところで、自分には分からない。自然科学だけからのアプローチでは不可能であり、哲学と宗教が深く関わってくるし、あらゆる学問を総動員しなければ読めない。「知の巨人」たる立花隆氏でさえ(著書はこの1冊だけだから、どこかで言っておられるかもしれないが)、たぶん読めなかったことだろう。
 この本のいいところは、生命の誕生にも言及しており、その捉え方に新鮮味を覚えたし、進化に関して独特の理論展開をしていることにある。“よぉーし、「命」と「心」の誕生をテーマにして、一発論文を書いてやろうじゃないか!”と相成った次第。このテーマはあまりにも本質的な事柄ゆえ、哲学と宗教が深く関わってくるから、おいそれとは前に進まない。それは承知しているが、どれだけかは哲学と宗教を突いた小生であり、概ねツボは心得ており、もう少し幅を広げて学べば何とかなりそうな感がする。
 というようなわけで、明日から執筆活動に入ることとした次第。ササッと書けてしまったらつまらない論文となり、難産であればらしい論文となるだろう。はたしてどうなる?
 乞うご期待!と言いたいところだが、途中で挫折してしまうかもしれぬ。まあ、その点は許されよ。なんせ単なる好奇心で書きたいだけのことで、全くのお遊び(学問の語源は遊び。よって学者とは遊び人)なんだから。でも、今日の日記で“宣言”したのだから、けっこうノルマがかかったことになり、小生はオスであるゆえに、少しは働くかも。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
4品思い出す。他に1品。4/5で80点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
コメント(2) 
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コメント 2

天安

「命」と「心」の誕生をテーマにして論文を書くとは、おそれいりました。
以前に書かれた論文をわたし、全部ではありませんが、かなり読ませていただいてます。
まとまったモノを書くというのは、かなりのエナジーを必要とすることですが、
そういった負担感に押しつぶされることなくやってやるという気持ちを持ち続けるどろんこさんは、
ほんとにすごいと思います。
ゆっくりでいいですから、納得のできる文章で
まだこの世に存在しない「建築物」を建ててほしいものです。
韓国の空の下から、エールをお送りします。
by 天安 (2021-07-17 17:14) 

どろんこ

天安さん、コメントありがとうございます。
「まとまったモノを書くというのは、かなりのエナジーを必要とする」のは貴兄の執筆活動からしても一面たしかなことですが、小生の場合は、そうでもないことが多いです。
好奇心に駆られて思いついたものを、何でもいいからキーボードを叩きまくり、文章を途中半端のままで読点を打ち、改行して次の文を書く。前後に矛盾点があっても完全無視。
こうして一気に一塊の論を打ち上げる、という手法が小生のやり方です。
後で、多少の整理整頓はするも、文体も用語の使い方もまちまちのまま放置。
暇ができたら、次なる塊の論を同様に行う。
全体がこうしてできあがったら、論の並び替え、統合や分割。全体の大まかな流れができたところで、足りない論を調査研究して継ぎ足しや挿入。
最後に文体や用語の統一をして、完成。
これが、小生が論文を書くときの大まかな流れです。
バンバン論をキーボードで打っていく間は楽しくて仕方がないです。これ、好奇心によるところ大です。
論文が完成に近づくほどに、特に体裁を整える段になってからは、実に消耗な作業となってしまい、ここから先がかなりのエナジーを必要とする、といったところです。
明日あたりからキーボードを叩く作業に入りたいと思っていますが、10年前のように一心不乱に叩きまくるという芸当ができるかしらん。だいぶ歳を食いましたから。
論文完成までには1年はかかるかも。そして、足りない論の調査研究を迫られるとなると…これは想像もしたくない…未完成で終わってしまうかも。

by どろんこ (2021-07-17 17:58) 

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