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5.18 新論文「心の在り処と生命記憶」着々と原稿が進む [新論文「命と心」模索中]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 『2.14 新論文「命と心」は「命」の誕生と「心」の誕生を分けて、まず「心」についてのみ論ずることに』と題して記事にした。その日から暇をみてはキーボード叩きを始めたのであるが、もう3か月も経ってしまった。丸1か月全然進まなかったり、2、3時間キーボードを叩いたものの、それ以上前に進まなかったり。なんともお粗末な論文書きである。
 でも、ここのところ、わりとスイスイ書き進み、目途が付きかけてきた。
 よしよし、である。これなら目標としている今年の7月15日(思い立った日の1年後の日)までには完成させられよう。
 そこで、今まで書いた部分を1週間ほど前に全部通しで読んでみたところ、組み立て方が随分と悪いし、繰り返し同じようなことを書いている部分もあった。
 これじゃあダメだ。いや~弱った。あと2か月しかないし…。
 少々焦りも出てきた。なんとかしようと、昨日今日で組み立て直し、今まで書いた部分を手直しすることにした。幸い今日は、女房が化粧品会社のセミナーに出かけ、邪魔が入らない。お客は月半ばゆえ、滅多に来ない。けっこう集中して論文書きができる。
 連続して数時間、こうしてパソコンと睨めっこ。そのうちパソコンが固まり出す。自分の目も疲れてくる。ここらで、どちらもシャットダウン。
 しばし休憩していたところ、午後4時には女房が戻ってきて、気分転換のために野菜苗の管理をしようと自宅の畑に行く。やっぱり1日に1回はお日様に当たりたいものだ。

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。


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<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。1品は別のもの。他に1品。4/7で60点

※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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2.14 新論文「命と心」は「命」の誕生と「心」の誕生を分けて、まず「心」についてのみ論ずることに [新論文「命と心」模索中]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 “よぉーし、「命」と「心」の誕生をテーマにして、一発論文を書いてやろうじゃないか!”と考えたのが昨年の7月15日。その後、早速にもちょっとした直観力が働いて、「命」と「心」は切り離して考えるべきものということが分かったし、「心」と表裏一体の関係にある「生命記憶」の源がどんな所にあるのかも直感で分かった。それを確たるものにし、論理的に説明できるよう、当面は小難しい量子論の入門書や仏教哲学を暇をみては、蜘蛛の巣が張り高野豆腐のように硬くなった我が大脳へ読み込んでいる状態にあることを11月30日に記事にした。
 それから随分と日にちが経ってしまった。論文完成は当初1年先に、と思っていたが、あと5か月しかないではないか。そこで、半分どうでもいい「命の誕生」は先送りし、「心の誕生」をメインとして「ヒトのこころ」なるものはどういう構造をしているのか、これを探訪することに方針変更したところである。
 「分子生物学」「量子論」「仏教哲学」、この新旧3論を元にした壮大な真理探訪の旅物語を、皆様に紹介しようと、今日からキーボード叩きを始めた。
 その書き出し、これが一番重要なのであるが、今のところ、次にように考えている。

 小生の年齢は今、40億73歳である。命が誕生後40億年もの間、単細胞生物として生きてきたが、多細胞体として地上に降り立ったのが73年前。この多細胞体はもうだいぶガタが来ており、あと20年ほどでその命を落とすであろうが、どっこいこの多細胞体の切れ端はその命をちゃんとつなぎ、半分小生のクローンの姿となって、今、元気そのもの。そして、これが繰り返されていくのである。人類がこの地球上から消滅するまで。

 さあ、暇をみてはキーボード叩きをしよう。5か月後を乞うご期待!

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。


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<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
単品につき脳トレ休み

※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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11.30 命も心も量子論でしか語り得ないことは分かったのだが… [新論文「命と心」模索中]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 “よぉーし、「命」と「心」の誕生をテーマにして、一発論文を書いてやろうじゃないか!”と考えたのが7月15日。
 その後、早速にもちょっとした直観力が働いて、「命」と「心」は切り離して考えるべきものということが分かったし、「心」と表裏一体の関係にある「生命記憶」の源がどんな所にあるのかも直感で分かった。しかし、なんだか怪しい。はっきりとそう言えるのか自問自答を続けるも確たる自信は湧いてこない。その後、“ああでもない、こうでもない、そうでもない。あれか?これか?それか?”と瞑想を続けるも、ひたすれ迷走するだけで、ちっともらちが明かない。ここまでのことはだいたい8月15日に書いた。
 これ以上ずっと悪足掻きしても前に進みそうになく、答えは量子論の中にしかないと思い、ここのところ関係する図書を数冊買いあさり、今、読みふけっているところである。
 そうしたら、本質的な答えはもうとっくに出ているようなのである。もう20年も前に。もっとも、それは大多数の量子論学者にはいまだ認知されていないことではあるが。いかんせん「命」も「心」も理論的には量子論でしか語り得ないものの、その研究はまだその端緒に着いたばかりであり、そして「記憶」の構造も「量子コンピューター」であるらしいことは分かっても、その仕組みは全く未解明であるから、先は遠い。
 我々が通常に認識でき得るもの、それはマクロの世界を支配する古典物理学の公理、定理の捉え方であり、終着駅はアインシュタインの相対性理論であるが、この理論においても物質とエネルギーは相対的で相互に変わり得ることは分かっても、物質は物質、エネルギーはエネルギーと、別々にしか捉えられない。しかし、ミクロの世界となると、量子は、その全てが物質でもありエネルギーでもあり、両者が混濁して一体になったものでできあがっているし、対となる2つの量子が正反対の動きをして釣り合っていたりする。この現実をどうやって理解するのか、これは容易ではない。
 しかし、その糸口はある。一つの例は仏教哲学の中にあるのだが、それは「レンマの論理」に基づく思考であり、別立てブログで次のとおり紹介した。

 我々が日常とっている思考方法で、最も代表的なものが「ロゴスの論理」であり、ついで「レンマの論理」である。ロゴスの論理、レンマの論理とは何か。これについては、鈴木秀夫氏がその著書「超越者と風土」(原書房)の中で、山内得立氏の説明を引用しておられるので、それを孫引きして紹介しよう。
 東西における論理の差として、西洋ではロゴスの論理で物を考える。ロゴスとは「語る」ことであり、肯定と否定の2つから成り立っており、A≠非Aであり、二者択一である。東洋の論理はレンマである。レンマとは「直感的につかむ」ことであり、肯定、否定、両者の否定、両者の肯定の4つから成り立っている。レンマにおいては、Aでもなく非Aでもなく、従ってAでもあり非Aでもある、ということを考える。Aも非Aとも、それ自身では存在しないが、同時に両者は存在すると考える。
(引用ここまで)

 この「レンマの論理」を働かせないことには量子論は理解できないようであり、「ロゴスの論理」に慣らされている我が脳の思考改革をせんことにはいかんともし難いようである。
 というような状況に今あり、当面は小難しい量子論の入門書や仏教哲学を暇をみては、蜘蛛の巣が張り高野豆腐のように硬くなった我が大脳へ読み込んでいるところです。
 新論文の先は遠いが一歩一歩前進中。ワクワクしながら本を読むも、直ぐに眠たくなって読み込みが途切れがち。昨日の一楽日記「ムツゴロウの656」と同様にいつになったら終わるやら。論文完成は当初1年先かと思っていたが、生涯研究になってしまうかも。それでもいい。なんせ、学問(学者の語源は暇人)は、お遊びなんだから。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
単品につき脳トレ休み

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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8.15 新たなる論文も直観力が物を言うのだが… [新論文「命と心」模索中]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 ちょうど1か月前のこと。この日記にも書いたが、新たなる論文の執筆に着手した。その日記の一部を下記に再掲する。
 “よぉーし、「命」と「心」の誕生をテーマにして、一発論文を書いてやろうじゃないか!”と相成った次第。このテーマはあまりにも本質的な事柄ゆえ、哲学と宗教が深く関わってくるから、おいそれとは前に進まない。それは承知しているが、どれだけかは哲学と宗教を突いた小生であり、概ねツボは心得ており、もう少し幅を広げて学べば何とかなりそうな感がする。
 というようなわけで、明日から執筆活動に入ることとした次第。ササッと書けてしまったらつまらない論文となり、難産であればらしい論文となるだろう。はたしてどうなる?
(再掲ここまで)

 さて、あれから1文字もキーボードを叩いていない。ずっと瞑想するばかりで、これは迷走かもしれないが、早速にもちょっとした直観力が働いて、「命」と「心」は切り離して考えるべきものということが分かった。しかし、なんだか怪しい。はっきりとそう言えるのか自問自答を続けるも確たる自信は湧いてこない。
 先日、湯治に行って温泉に長く浸かっているときも、ずっと瞑想を続けた。よって、いつもより長湯となったのだが、一歩たりとも前進しない。それは当然だろう。きっと前に働いた直観力を捨てて、新たなる直観力が湧くのを待つしかないのであろうから。
 そのためには、“ああでもない、こうでもない、そうでもない。異なる切り口はどこにあるのだろうか。あれか?これか?それか?…”と、瞑想を重ねるのである。これが、過去に論文を書いたときのやり方だ。こんなやり方は、柳の下のどじょうであって、今回もこれで成功するとは限らないから、別の方策を考えねばいかんかもしれぬが。
 しかし、大脳新皮質を働かせる通常思考であるところのロゴスの論理(理屈)によって、既知の事物・現象をつなぎ合わせて何かを見つけ出そうとしても、この手法であっては決して新たな発見は出てきっこない。小生の経験では、常識を捨て切り、最初はとんでもないと自分でも思う「閃き」といったものが突如湧いてきて、それでもって目から鱗のごとくモヤモヤが皆、剥がれ落ち、何もかもがワーッと見えてくる、となって、はじめて真理が判明する、というものだ。
 当店9連休の8日目の今日も暇である。瞑想を繰り返すしかない。“ああでもない、こうでもない、そうでもない。あれか?これか?それか?”と、時間を忘れてやっているのは、けっこう楽しいものである。焦らず気長に瞑想を楽しむ、これしかなかろう。明日も何もやることはないから、たっぷりと瞑想しよう。

 ところで、昨日のこの一楽日記がまたまたフィーバーした。今朝の時点で3502人もの訪問を受けた。今回もなんの変哲もない内容なのに、どうしたわけだろう。論文の瞑想ではないが、“ああでもない、こうでもない。”とやりかけて、これはどうでもいいことだと思考中断。いずれにしても、再び申し上げるが、毎日“一楽日記”を付けることに大きな意義があることを、少しでも多くの方に知っていただけたら幸いです。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
9品思い出す。4品はなし。5/9で55点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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7.15 論文のテーマを決める [新論文「命と心」模索中]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 10年ほど前に論文を4つ相次いで発表した。これらは好奇心のなせる技、であったと自分では思っている。その後は、どれだけかは好奇心が衰えたとはいえ、機会があったら再び論文を書こうと狙っていた。
 わりと早い時期に一つテーマが見つかった。でも、これは人間科学(世のため人のための科学)に反する結論が出てしまいそうでお蔵入りとなった。その後は、暗中模索の世界に入り込んでしまい、らしいテーマは浮かんでこず、もう歳だからと半ばあきらめてしまった。
 ところが、最近(といってもここ2、3年)小生に論文を書けという輩が複数登場して、彼らにケツを叩かれてしまい、なんでもいいから書かざるを得ない状況に追い込まれた。
 オスという動物はメスと違って、大いなる怠け者であり、これを貫徹しようとする。よって、何かノルマを与えないことには決して働かない生き物であるゆえ、働かせるにはノルマを与えるしかないのである。
 本来は、このオスとメスの違いを論文にするといいのだが、これは既に発表した論文の中に部分的にではあるがけっこう書いたし、ブログでも断片的に幾つか書いた。それを総まとめしたところで、目新しいものは何もない。
 新たな何かを見つけ出すには、オスとメスとの共同作業が不可欠となるも、我が女房にはそうした探求心はかけらもなく、我が娘となると2時間も顔を突き合わせていたら必ず喧嘩となるは必至で全く先に進まない。
 最適任者は、同窓会で幾度か話をし、手紙の交換も行った小学校の初恋(片思い)の人であるが、彼女と緊密に意見交換を重ねようものなら、老いらくの恋に陥るのはこれまた必至で、何もかもぶち壊してしまう。なんて勝手に思っているが、もし提案したところで、彼女はやんわり断ってくることであろう。
 というようなわけで(こんなことはどうでもいいことだが)、何か目新しいテーマ探しに迫られ、延々とそれが続くも、おいそれとはそんなものが出てくるものではない。
 ところが、である。ここのところたて続けに買った最後の本、立花隆著「サピエンスの未来」を読み終わって、その中から新しいテーマが見つかった。でも、未来のことはいくら努力したところで、自分には分からない。自然科学だけからのアプローチでは不可能であり、哲学と宗教が深く関わってくるし、あらゆる学問を総動員しなければ読めない。「知の巨人」たる立花隆氏でさえ(著書はこの1冊だけだから、どこかで言っておられるかもしれないが)、たぶん読めなかったことだろう。
 この本のいいところは、生命の誕生にも言及しており、その捉え方に新鮮味を覚えたし、進化に関して独特の理論展開をしていることにある。“よぉーし、「命」と「心」の誕生をテーマにして、一発論文を書いてやろうじゃないか!”と相成った次第。このテーマはあまりにも本質的な事柄ゆえ、哲学と宗教が深く関わってくるから、おいそれとは前に進まない。それは承知しているが、どれだけかは哲学と宗教を突いた小生であり、概ねツボは心得ており、もう少し幅を広げて学べば何とかなりそうな感がする。
 というようなわけで、明日から執筆活動に入ることとした次第。ササッと書けてしまったらつまらない論文となり、難産であればらしい論文となるだろう。はたしてどうなる?
 乞うご期待!と言いたいところだが、途中で挫折してしまうかもしれぬ。まあ、その点は許されよ。なんせ単なる好奇心で書きたいだけのことで、全くのお遊び(学問の語源は遊び。よって学者とは遊び人)なんだから。でも、今日の日記で“宣言”したのだから、けっこうノルマがかかったことになり、小生はオスであるゆえに、少しは働くかも。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
4品思い出す。他に1品。4/5で80点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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