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11.18 “六十の手習い”ならぬ“五十の手習い” [学び]

 齋藤茂太さんの著“「あなたと会うと元気になる」といわれる人の共通点”の1節に次のものがあります。

 「いいなあ」と思った所に、居場所がある
 落語家をやっている医者という人がいるらしく、「病気は笑いで治す」のだそうだ。趣味の落語というより、師匠に弟子入りして、名前ももらった本格派らしい。こんな医者なら、患者さんも元気が出るだろう。
 何かやりたい、趣味を持ちたいとは、誰もが考えている。
 ただ、時間がない、経済的に苦しいなどの理由ならまだしも、「今さらやっても遅いのでは」と考える人がいるから困る。いくつになっても遅いということはない。また、趣味なのだから飽きてもいい、と考えてはどうか。
 昔からやりたかったことを、とりあえず始めてみるのも手だ。
 五十歳にしてピアノをやり始めた知人(男性医師)がいる。
 子どもの頃、母親にいわれてピアノを習ったが、嫌で嫌でたまらなかった。音楽は好きだったが、母親にがみがみいわれるのがつらく、反抗してやめた。
 そのまま実家に置かれた、誰も弾かないピアノを見るたびに、「弾けたら楽しいだろうなぁ」と思い続けて40年もたっていたのだ。
「でも、こんな気持ちのままで一生を終わりたくないと思ったのです」
 せめて一曲ぐらいは弾けるようにと、大決心をし、病院から近い教室に入ってみたら、「この年になって、覚えは悪いけど、新しいことを覚えるのは楽しい。今まで以上に音楽を聞くのが楽しくなった」のだそうだ。
 教室に来ているのは3歳の子どもから、60代の女性まで幅ひろい。初めての発表会では幼稚園の子の次に弾いたり、よその子に受験の相談をされたりと、ピアノ教室は、「医者ではない自分」の居場所のような感じがするらしい。
「初めは恥ずかしいと思ったけどね、なに、誰も私に上手になれなんて期待もしていないから、幼いときに習ったより楽な気分でいける」
 楽な気持ちでやれるから趣味なのである。深刻に考えないことだ。そのうち彼も、「病気はピアノで治す」といい出すかもしれない。

(小生)趣味とは、へ~ぇ、“趣味なのだから飽きてもいい” “誰も上手になれなんて期待もしていない”んですね~。改めて“趣味は肩の力を抜いて気楽な気持ちで取り組めばよいんだ”ということが分かりました。今、年1回のスキーと年4回の魚釣りが趣味の小生。もう一つ何か趣味を持ってみようと考え始めたところです。
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