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10.30 大根と大根葉 切り離して別々の所に送る [百姓]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 大根は様々な品種があり、年中何らかの料理に使える。よって、うちの畑でも年中収穫できないかと、あれこれ品種を選んで作付けしているが、真夏は難しい。
 やはり大根は冬が旬である。冬大根の作付けは2種類。
 ごく普通の大根、といっても少々小振りに生育する「打木(うつき)源助大根」(石川県特産)をここ何年かは栽培している。ちょっと、ここで補足しておくが、小振りになるのは、うちの畑は無肥料連作栽培しているから、そうなるのかもしれない。
 もう1品種は「ビタミン大根」(またの名を「衛青(アオナガ)大根」という)で、これはうんと小さい。もっとも、これも無肥料連作栽培しているからで、有機肥料栽培のときは普通の大根よりかなり小さいが、無肥料とすると重量が半分以下になってしまった。
 この「ビタミン大根」をたくさん栽培している。そのほとんどは当店のお客さんに差し上げるためのものである。大根の上部3分の2ほどは中まで緑色で、下のほうだけ中が白いという変わり種であり、珍しいからだ。
 大根おろしにすると、色もいいし、いい香りがしておいしい。ただ、ちょっとピリピリするものが多い。このピリピリ感が小生は好きなのだが、嫌う人も少しはいる。
 そして、大根の葉は食べられるのだが、普通の大根の葉は小さいうちに選ったものはおいしいが、大きくなった大根の葉はあまりおいしくない。しかし、「ビタミン大根」の葉は大きくなってもかなりおいしい。
 市場には出回らない、大きくなった大根の葉であるが、「ビタミン大根」の葉は、うちでは食べている。東京に住んでいる娘もこれが好きだ。明日には野菜を少々送ることにしているから、これも送ることにした。ただし、根っこのほうはピリピリするからと、娘は嫌うので送らない。
 そうしたところ、今日、遠方の方から商品注文が入った。これはグッドタイミングだ。「ビタミン大根」の葉っぱは娘に、根っこはお客さんに、である。
 少々時期が早いから、まだ小振りだが、お客様へは本数多く送れば格好が付く。加えて、今年は葉っぱの虫食いがけっこうあるから、良い葉っぱを全部足してもたいした量にならない。同時にうまく処理できる。
 こうして、今日、根っこをお客様に、明日、葉っぱを娘に送る、ということになった次第。うまくいった。
 当店のお客様の中にも大根の葉っぱを好まれる方もいらっしゃる。来月の月初めセールでは、根っこと葉っぱを切り離し、片方差し上げるなり、両方差し上げるなりして、無駄なくもらっていってもらおう。そう考えている。
 今年もまずまず豊作になった「ビタミン大根」である。地の神、天の神そして大根の神に感謝、感謝、感謝。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
3日前を思い出す。0点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.29 休耕田のコスモス これで見納め [百姓]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 万年休耕田を売ることにしたことについては、8月と9月に記事にしたのだが、9月13日に「早速残土入れが北のほうから始まり、東のほうからも重機が入ったようで、みっともなく伸びた背が高い雑草やコスモスもなぎ倒されていた。」と書いた。
 これによって、咲き始めていたコスモスも無残な姿となり、もうコスモスの花見は不可能になったと、あきらめていた。
 ところが、過去にあったが、台風でぺちゃんこに倒されたコスモスであっても、やがて先端部分が真っすぐ上に伸びて低木コスモスのようになり、ちゃんといっぱい花を付けるのと同様に、重機でなぎ倒されたコスモスも十分に花を咲かせてくれた。
 そのコスモスの花も朝の冷え込みが続くようになって、少々元気がなくなってきた。間もなく終わるであろう。20数年続けてきた休耕田のコスモス栽培も今年で終わり、来年からは見られなくなる。寂しい思いがする。
 でも、有り難いことに、東隣の田んぼの方が、うちのコスモスの種を使って10年ほど前から土手にコスモスを咲かせてくださっている。これを楽しめばいい。
 それにしても、近隣でコスモスを見かけなくなった。一人生えで、あそこにもあった、あそこにもあった。でも、いつしか皆なくなった。まあ、残骸の始末が、昔なら燃やせたが今は野焼きができなくなり、それがたいそう面倒になったから、絶やしてしまわれたのだろう。
 そういう小生とて、須賀前の畑の排水路側の土手にコスモスを一人生えさせておいたのだが、残骸の始末が面倒だからと、今年は何度か除草剤を撒いて絶やしてしまった。
 ところが、排水路の向こう側に種が飛んで、今年コスモスが幾本か咲いている。これを引き抜いて、こちら側の土手に置いておこう。そうすれば、来年コスモスが楽しめるというものだ。残骸の始末が少々面倒だが、除草剤をうまく使えば、本数を制限できる。来年はそうしよう。そして、コスモスの花を愛でようじゃないか。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
4品思い出す。他に1品。4/5で80点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.28 我が寝床 毛布足し足し 寒さをしのぐ [日々雑感]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 おふくろ一人住まいだった5年前までは週に2回、自宅で寝泊まりし、その日以外は店の2階の居室で女房と寝ていた。おふくろが他界してからは、小生一人毎日自宅で寝泊まりすることにした。
 自宅は、昔造りのでっかい木造の百姓家であるから広々としており、手足を思いっきり伸ばし、大の字になって寝られ、開放感抜群であるからだ。加えて夏は涼しい。それに比べて店の2階の居室は鉄筋コンクリート造のアパートにつき、夏は日中に暖められたコンクリートの熱で地獄のようなもんだ。
 おふくろが他界したのは8月8日であったから、自然と毎日夜は自宅へ行くようになってしまった。空き家にしておくのはもったいない、ということもあって。
 だがしかし、冬場は、店の2階の居室は亜熱帯であるのに対し、自宅はシベリアのように冷え込む。厳冬期には自宅へ向かう足がすくむ。しかし行かねばならぬ。いつだったか、正月に帰省した娘から“お父さんはシベリヤ抑留ね”と言われてしまった。“いや、シベリア遠征だ”と言い返してやったが、シベリア遠征も年々きつくなる。去年あたりからは北極探検隊じゃあなかろうか、といった感じだ。
 一昨年までは、冬場は夜と朝に短時間、ガスストーブでしのいでいたが、昨年からはエアコン暖房を一晩中かけっ放しにして、寒さをしのいだ。今年もそうなる。
 さて、10月も下旬となると朝の冷え込みが強くなる。朝方寒くて目が覚め、トイレに行って再び布団に潜り込み、あとひと眠りしようにも、体が冷えてしまっており、それは不可能となる。歳を食うと、悲しいかな、そうなる。
 そこで、すでに我が寝床(厚手のベニヤ板)には毛布が1枚しいてあるが、先日から掛け布団の下にも毛布を1枚足し、暖かくして寝るようにした。今のところ、これで足りているが、これからは早め早めに毛布を足していかねばならぬ。
 昨年は、下にもう1枚、上にもう1枚と足し、最後はエアコンを足す、というやり方だったが、それでも寒かったことがある。今年は早め早めに毛布を足しつつ、これまた早めにエアコンのお世話になろうじゃないか。
 寒さ我慢を随分してきた小生ではあるが、だいぶ弱気になってきた今年である。シベリア遠征ではなくシベリア抑留となってしまいそうだが、新たに一つ手を打った。
 昨年はエアコンをフル活用したがために、ガスストーブは全く使わなかったので、ガスは廃止してしまった。その代わりに、今年は、ガスボンベ式卓上コンロを寝泊まりする部屋でいつでも使えるようにしてある。エアコンが十分に働かない日や朝方寒さを覚えた日には、これで補助すれば寒さがしのげようというものだ。卓上コンロは我が北極探検隊の必須アイテムといったところ。
 というような小生の寝泊まり奮闘記。なんとか今年の厳冬期を乗り越えよう! 

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。正解。100点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.27 猫ってやっぱり可愛いものだ [日々雑感]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 NHKの番組に「岩合光昭の世界ネコ歩き」という番組がある。女房がビデオに撮っておいて、夕食の時間に観たりしている。この番組のせいかどうか知らないが、ペットは猫が一番とまでは言わないが、けっこうな人気となっているようだ。小生も女房も、どちらかといえば猫のほうが好きだ。
 それはそれとして、昨日、豆アジ釣りに行ったとき、数メートル離れた所に車が1台停めてあり、その下に虎ネコがじっとうずくまっていた。それを通りかかった幼稚園児の姉妹が見つけて“ネコちゃん、ネコちゃん”と盛んに呼びかける。
 こうしたネコは魚釣りに行ったとき、ときおり見かける。何年か前、釣ったサヨリが針離れし、ネコにかっさらわれたことがある。この虎ネコも釣り人の魚を欲しがっているのかもしれないと思い、釣った豆アジをネコの目の前に投げてやった。姉妹もそれを興味深く見ている。
 そのネコは、豆アジをじっと見つめてから、口に加え、頭のほうからちゃんと食った。2匹目は数十センチ手前に置いてやる。これまたじっと見つめてから、車の下から出てきて口に加え、元の場所へ戻って食べる。やはり、釣り人がくれる小魚を目当てにして、ここに潜んでいるようであった。
 次の一投で、外道の木っ端グレが掛かったので、これを放ってやった。こんなもの食べるかなあ?と思ったが、これまた虎ネコがじっと見つめてから、車の下へ持っていって食べる。豆アジより少々大きいし、骨っぽいからだろう、頭のほうをガシッ、ガシッと3、4度噛み、胴体のほうも少しずつ噛みながら食べてしまった。その間、姉妹もずっと注視している。
 こりゃ面白い。その後の2、3投目で再び木っ端グレが掛かったので、今度は1mぐらい離れた所に木っ端グレを放ってやった。これも同様にして食べる。姉妹もずっと注視している。虎ネコを見ているより、この姉妹を見ているほうが面白い。熱心に生物学の勉強をしている、といったところだ。
 姉妹は15分ぐらいして母親に連れられて行ってしまったが、その後も木っ端グレを中心に餌をやり続け、30分ぐらいの間に10匹ほどを与えてやったところで、虎ネコはどこかへ行ってしまった。満腹したのだろう。
 豆アジ釣りをしながら、ネコと戯れた小生である。ネコを見たり姉妹を見たりと、何かと忙しかったが、あれこれたっぷり楽しめた、いい釣行であった。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
6品思い出す。1品は別のもの。1品はなし。4/7で60点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.26 豆アジが7年ぶりに爆釣 [釣り]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 毎年、豆アジの南蛮漬けを女房につくってもらい、これを酒の肴にしたい。
 おふくろが死んだ5年前は、殺生は止めとこうと、豆アジ釣りに行かなかったが、ここ30年、欠かさず行っている。昔はどこにも必ずいた豆アジであり、坊主になるなんてことは考えられなかったが、近年は坊主もあるし、ほんのわずかしか釣れないこともある。
 先月下旬に女房と山中温泉湯治旅の帰りに敦賀で豆アジ釣りに挑戦したが釣果はたったの2匹であった。そこで、来月にはリベンジとばかり、今月中に小生一人でいくこととし、天気都合で今日釣行することとなった。
 ところが、朝、天気予報を見てみると、午前中は厚い雲で覆われているとの予想。これじゃあ海が鉛色で面白くない。正午から晴マークになっていたから、8時半に出発。釣り場まで3時間かかろうから11時半から釣り始められ、なんとか青い海、青い空が楽しめようと、遅掛けの出発となった。
 朝の渋滞で岐阜市を抜け長良川の鉄橋までが30分、揖斐川町役場まで30分、坂内の道の駅まで30分、八草トンネルを越えて木之本までが30分、敦賀手前の釣り餌屋まで30分、そこから釣り場まで30分、合計3時間だ。けっこうな長旅である。
 釣り場は、2年前に当店のお客様に教えていただいた丹生漁港。美浜原発が目の前に見える所だ。そこへ2年前に早速行き、豆アジ釣りをしたのだが、11月半ばと遅かったせいか、釣果はぱっとしなかった。
 漁港の岸壁に着いてみると、サヨリ釣りが数名でボツボツの釣果とのこと。小生同様に来たばかりという老夫婦が豆アジをけっこう上げておられる。よしよし、これなら豆アジが釣れる、と大いに期待された。天気は晴、所々に雲が浮かび、海は青い。景色も原発を目に入れなきゃ、けっこういロケーションだ。
 早速小生も釣りにかかる。3匹、4匹、サビキ仕掛けにかかってくる。これは調子いい。そこで、早速缶ビールをゴクリと飲む。これを一番の目的とする釣行である。ビールがうまい。今日は3時間もすれば釣り終わるだろうから、早めにビールを飲んでしまわないといかん。1投げごとに500ml缶をグイとやり、15分もせずに飲み干す。
 ビールを飲み干した後、真剣勝負。なんとか6本針全部に掛からんか。残念5匹だ、というのが数回あった後、とうとう6匹掛かった。やった、やった、である。
 7年前の10月22日山中温泉湯治旅の帰りに若狭の日向漁港突堤へ女房と一緒に行った豆アジ釣りを思い出す。そのときは、爆釣であり、6本針全部に掛かるのが普通、というくらいに面白いように豆アジが釣れた。あとにも先にも、そんな釣れ方は経験したことがない。今回は、そこまでのことはなかったが、何回かに1回の大漁といった感じ。
 午後2時半には餌がなくなり、納竿。3時間弱で帰って来られ、ざっと水洗いして大きなタッパウエアに山盛りとなる。3分の1ほどを中くらいのタッパウエアに詰め、豆アジの南蛮漬けが大好物のお客様に所へ届ける。残り3分の2は明日、女房が南蛮漬けづくりをする段取り。
 数日すれば、それ以降、かなりの期間、晩酌がうまくなろうというものだ。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
3日前と2日前がごっちゃ。0点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.25 今日は町長選挙の投票日 [日々雑感]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 今日は町長選挙の投票日だ。小生は選挙管理委員補充員の肩書を持つ。補充員とは変わった名称だが、委員代理といったところだ。その任務は、我が小学校下住民の投票所「やすらぎ苑(老人福祉施設)」の投票管理者である。同じ校下に小生と同じ肩書を持つ方がもう1人おられ、選挙ごとに輪番で任務に就く。今回はその方が就き、小生は非番。
 よって、今回は一住民として投票に行くだけ。投票に行って、投票管理者の方と、これまた我が小学校下住民の中から選ばれた委員さん、このお二人に“ご苦労様です”と言うだけで、ハイさよならできるから、有り難いものである。
 いやーあ、しかし、コロナ対策にはあきれる。ちゃんとマスクをして会場へ入ったのだが、まず、手を消毒させられる。加えて、使い捨てビニール手袋をはめさせられる。ブカブカの手袋をして鉛筆を握るんだから、字が書きにくい。出口近くでゴミ箱に手袋を捨てるのだが、“いやーあ、すごい防御ですなあ。この手袋、ここへ捨てるの”と委員さに言うと、“百姓でこの手袋使ったら”と言われてしまった。ハハハッである。
 さて、今回の町長選、けっこう注目を浴びている。3期務めた町長が退任され、3名が立候補。町長が推薦する元県職員(中途退職:現在農業)、町議会議員で4度目の町長選立候補者、40歳そこそこの若者(町議会議員)、この3名である。
 誰が当選してもおかしくない。はたしてどうなるか。興味津々。
 蓋を開けてみたら、予想どおりの大接戦。そして、たったの4票差で、しぶとく挑戦し続けた町議会議員が当選。残念ながら元県職員は涙を飲んだ。
 さて、町議会議員が2人辞職しての戦いであったがゆえ、同時に町議会議員の補欠選挙もあったのだが、立候補者2人で無投票。1年後に町議会議員選挙が行われるのだが、過去2回(3回かな?)は無投票であった。議員のなり手がいなくて、あわや欠員が生じそうになって無理やり1人出させるということもあった。来年はどうなるだろう。
 現職が1人引退し、新人が立たなければ無投票となるが。ぜひそうなってほしいところだ。選挙があれば、2回に1回は投票管理者として投票所に詰めねばならないゆえ。
 
<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。他に1品。5/6で80点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.24 宗教はどう変化するか [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 「人類の未来がどうなるのか」について、とりとめないことを思うままに書いてきた。よって、けっこう思い違いがあったりして、とんでもない間違いがいくつもあるであろうが、ご容赦願いたい。
 今までに記事にしたのは、「人類は宇宙人になるんだろうか」4本、「ヒトの形質変化は将来どのように進むだろうか」5本、「科学技術の大発展がもたらすもの」6本、「生活様式はどう変わるか」5本である。まあ、よくもこんなに書いたものだと、自分でもあきれる。お付き合いいただしている読者の方々には誠に申し訳ない。
 これで終るかと思いきや、まだある。今回は「宗教はどう変化するか」である。これについては、その昔、論文を1本書こうかと思ったテーマであるが、宗教学の書物は難しすぎて小生の手には負えず、途中で棒を折ってしまった。そんなことから、ごく簡単に書くこととするが、中身が中身だけに、どうしても長くなる。その点、ご了承願いたい。

 この世の中、人の弱みに付け込む、代表的な商売が3つある。これは欧米で言われているもので、日本では前2つが一般的であるも、だんだん3つになってこよう。それは、医者と坊主と弁護士だ。人の病気、人の死、人同士のトラブル、こうした弱みに付け込んで儲けているのである。
 こうしたことから日本では彼らを皮肉って「医者の不養生・坊主の不信心」と言われるが、西欧では「弁護士が良い死に方をすることは稀だし、医者が健康に生きることも稀だ」と言われているそうな。
 この中で一番たちが悪いのは坊主であろう。西欧では「坊主の不信心」とは言わないが、いずれにしても、人の死だけではなく、人の心の弱さに付け込むのだから、全ての人がターゲットとにされてしまう、恐ろしい存在だ。

 人間だれしも、何か困った問題が生じて、とことん追いつめられるとなると、自力ではなんともならなくなってしまい、超越者にすがるしかない。超越者に救いを求める道を選ぶしかないのである。
 こうした場合、日本では通常「神様、仏様」である。それをもじって野球界では、その昔西鉄ライオンズの大エース稲尾和久の快投に対して「神様、仏様、稲尾様」という言葉ができたし、最近ではその第2弾として「神様、仏様、田中様」と相成った。「田中様」とは、田中将大投手のことで、楽天の監督だった野村克也氏が「 マー君、神の子、不思議な子。神様、仏様、田中様」と言ったのが有名になった。
 日本文化では、こうして今生きている人間も超越者的存在にされてしまうこともあるし、そうした方でとっくの昔に死んだ偉いお方も神様と同列になり、神社をこしらえて祀られる。逆に、本来の神様も全知全能ではなく、一部の特技しか発揮し得ない神様ばかりで、神は一人ではなくて八百万の神となる。海の神、山の神、水の神、火の神から始まって、イワシの頭(もっぱら皮肉やからかいの例にされるが、当初はちゃんと魔よけとしての御利益があった)まで神となるのである。

 宗教とはなんぞや、その定義は定まったものはない。ある教団を捉えて、外から見ると宗教団体と考えられるが、教団内部からは宗教ではないと主張するものもある。儒教だって、そのものは思想であるが、宗教に分類されることもある。一番惑わされるのは仏教である。その本質は自らの力で悟りの境地に達する方法論を示しているにすぎず、それは学問の一種であり、あえて言えば哲学であろう。儒教だって仏教だって、それを極めようとする者は、ごく一部のエリート層であって、庶民とは別世界の話であり、無関係となる。
 仏教には様々な宗派があるが、浄土宗や浄土真宗は、つとめて大衆的であり、「南無阿弥陀仏」と7かな文字(短縮してナムアミダブの6文字、あるいはナマンダブ5文字、さらにはナマンダの4文字)の呪文を繰り返し唱えれば救われるとなるから、仏教とはいったいなんぞや、そして宗教とはいったいなんぞや、となってしまう。
 ここのところは、小難しいことを言う学者や坊主は横においといて、一般信者つまり庶民の受け止め方で宗教を再定義したほうがいい。なぜならば、信者となるのは庶民が大多数であり、単純明快でなければ意味をなさない。

 人は何かにすがりたい、何かに救いを求めたい、そしてまた、何かに御利益を求めたい。その程度は大小があろうが、毎日その何かに少しはアクセスするだろう。
 その何かは何かと言えば、日本ではあまたの神仏であり、世界の多くの地域では唯一神である。それらに対して、ただひたすら祈るのである。ただし、ゴリゴリの共産主義国家においては宗教は禁じられているから、神に祈ることは許されないが、こっそりと自分が信ずるものに祈りをささげているに違いない。
 こうしてみると、宗教という何だか高尚な小難しいものについて、あれこれ言うより、単なる「信仰」が宗教であると言い切ってしまったほうが、スッキリする。
 日本人は、折々に、困り切ったらお百度参りを、あまたの神仏を自由選択して、その都度それに祈りを捧げれば、それでよいのである。これでもって、神仏にすがれるのであり、救いが求められるのであり、場合によってはご利益が授かろうというものだ。これで心が落ち着く。そう、人は心の安寧が求められれば対象は何でもいいのである。
 ここまで言い切ってしまうと、いかにも低俗すぎる感がする。でも、現代人の信仰はそんなところだ。小生はそれでいいと思う。

 少々付け加えるとすれば、その昔の日本人はもうちょっと高尚であった。
 大自然に対して畏れを抱いていたのである。人間の力の及ばぬ大自然の振る舞いに対して、決して抗う(あらがう)ことなく真摯に受け入れる態度を取った。例えば、山の神。大雨が降っても一気に鉄砲水が来るではなく、長期間雨が降らなくても川にはいつも水が流れてきて、農作物を育ててくれる。貯水ダムがなくても、どこからともなく水が流れてきて、水が常時手に入るのである。これに感謝せずにはいられないじゃないか。山の麓に社を建て、山の神にたびたび感謝する。まれに大雨で山崩れが起き、田畑が土砂で埋まることがある。でも、これはやむを得ない。山の神も懸命に山の斜面を支えてくださっただろうが、山の神の力が及ばないことも当然ある。山の神のその懸命な御尽力に感謝の言葉を捧げ、お祈りしよう。こうした態度を取ったのではなかろうか。
 もう少し付け加えれば、山の木を使いたいからと、やたらめったら伐採すると、ちょっとした雨でも山が崩れる。木を切りすぎたために、山の神がお怒りになったと人々は考える。そこで、木を切ったら、当然に苗木を植林するという行動を人々は取った。
 また、森の木々にも神が宿ると人々は考え、大木を伐採するときには、その木に感謝の言葉を捧げ、切らせてもらうという態度を取り、こうしたことからも植林はせねばならないことになる。
 さて、この植林であるが、明治初期に、苗木を植える絵を欧米人が見て、なんでこんなことを日本人がするのか理解できなかったという。彼らには大自然というものは収奪の対象であって、山を守るなどという観念は全く持っていなかったのである。山の神も森の木々の神も全然存在しない、唯一神しかいない彼の宗教では、当時はそうした考えしか湧かなかったのであろう。
 現代の日本においても、山の神や森の木々の神もいなくなってしまった感がする。森の木を切っても植林する手間がないからとほったらかしにするし、山崩れが起きれば放置していた行政の責任だとわめく。そこで、行政は山が抜けないよう砂防ダムなどを作ればいいじゃないかと土木工事に忙しい。山には林道や作業道が作られ、そればかりかスーパー林道だとの名目で観光道路を作ったりして山を荒らしまわる。明治初期に苗木を植える絵を描いた人が、タイムマシーンでやってきて、その有様を見たら腰を抜かすであろう。山の神も森の木々の神も殺されてしまった、と。

 悲しいかな、こうして日本においても、実質上の一神教化が進みつつある。あまたの新興宗教がそうだ。うちの神様以外には信じちゃいけない、うちの仏さましか信じちゃいけない、いや神や仏じゃなくてこの経典しか信じちゃいけない、などなど唯一これのみを信じなさいという排他的なもの。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教とまるで一緒だ。
 要するに、すがり、救いを求め、そして御利益を授かる、そうした対象を1本に絞り込み、極めて単純明快な姿に仕立てている。信者にとって、これほど有り難いことはない。加えて儀式は単純そのもの。すぐ覚わる。有り難や、有り難や、これで救われた、だ。
 しかし、後が怖い。高額なお布施を“自主的に”払わねばならない。場合によっては全財産を寄付するよう誘導される。さらには共同生活へと追いやられ、タダ働きさせられる。
 いい例がオウム真理教だが、新興宗教は往々にしてそうしたもんだ。キリスト教だって同類である。その初期は共同生活をしていた、ユダヤ教の新派であるからして新興宗教に違いはないのである。麻原彰晃がもうちょっと上手に立ち回っていたら、今頃イエス様のようになっていたやも知れぬ。

 さて、将来「宗教はどう変化するか」であるが、ポイントとなるのは信仰であるから、「信仰はどう変化するか」ということになるが、過去を少々振り返ってみよう。
 一番最初に唯一神信仰となったユダヤ人のパレスチナの地でも、その昔は八百万の神を信仰していたようだが、山の神も森の木々の神も早々に殺されてしまい、だんだん神の数が減って、救済神ただ一つになり、一神教が誕生した。周辺地域も同様な傾向を示す。
 その後、2千数百年以上経つが、神殺しは進み、次第に一神教が広がりを見せてきている。けっして多神教化する逆方向の動きはない。不可逆的に一神教化が進む。これは必然である。なんせ単純明快で、かつ、他の神は信じちゃいかん、と強制されるからだ。
 先に言ったように日本でも、これは着実に進む。すでに知識人の多くにあっては、自らは無神論者と主張するも実質上は一神教徒になっている。それは、ユダヤ教を嫌ったユダヤ人のアインシュタインと同じ立場だ。アインシュタインは「唯一の神という超自然的ではないところの、大自然や宇宙あるいはそれらの全ての仕組みを支配する法則性、つまり真理と同義語の神」、つまり汎神論の神の信仰を彼は持っていたのである。
 このことについては、鈴木秀夫(地理学・気象学・宗教学:東京大学名誉教授:故人)が1976年の著した「超越者と風土」のなかで次のように書かれている。
 日本の無神論者の多くは、歴史の流れを必然と認め、世界に法則が充満していると考え、それによってほとんど一神教の世界に生きているのである。…さらに注目されるのは、多くの人が、手紙の末尾で、「御健康をお祈り」し、結婚式の祝詞を「新家庭の幸福と発展をお祈りして」終ることで、もし、祈りをささげる一神または多神を持たないとすれば、その祈りは呪術にほかならず、呪術とは、言葉の持つ力を神とするか、自分を神にすることで、無神論の世界ではない。
(引用ここまで)
 かように日本人も一神教化しているのであり、それに加えて、キリスト教など、既存の明確な唯一神を信ずる者が日本には極めて少ないので、呪術がまかり通り、自分を神とする教祖がいくらでも湧いて出るのであり、これは、また、それにブレーキを掛ける明確な唯一神が日本には存在し得ないからでもあろう。

 もう一つ、外国から日本人は不信心と思わせる宗教文化がある。日本人はめったに寺院、神社に出かけない。なぜ、そうなのかについて、鈴木秀夫の同著から引用しよう。
 ソーファーは、キリスト教とは集まる信仰形態を持つもので、日本における仏教は、集まらない在家仏教であったという。そして日本にキリスト教が接した時に、キリスト教においておこったことが、集まりを中心としない無教会主義の出現であり…。(ソーファー「宗教地理学」)
 人煙まれな砂漠[小生の注:ユダヤ教はじめ一神教が発生した地域は砂漠的気候の地域であった]にあっては、人は集まることが喜びであり、人口稠密な谷底平野に住む日本人にとっては、人から離れるところに安らぎがあるのだろう。在家祭壇、在家祈祷が可能であったのも、僧侶が巡回し得るほど家々の距離が短かったからである。
 日本のキリスト教会は、在籍信者が日曜日の礼拝に集まらないことを憂えているが、これは、この伝統にもとづくものと考えられる。
 集まりを中心とせず、したがって集まりを維持するに必要な教会制度を否定し、無教会主義を主張した内村鑑三は、その意味において、彼がそうであろうと欲したごとく、極めて日本的キリスト教理解であったといえる。
(引用ここまで)

 日本人の既存宗教離れは急速に進んでいる。小生は、寺総代や神社総代を何度もやってきたが、1年に幾度もない宗教行事の参拝者は世代交代が進まず、じりじりと年々減ってきているし、神社にいたっては宗教行事の一般参拝者はずっとゼロだ。お寺も神社も、その維持管理にけっこう金が要るが、お布施なり寄付なり、労働奉仕などの門徒や氏子の負担は大きく、これがいつまで持つか、先は暗い。
 坊主は不信心、といっても先に言ったように呪術の世界にいるか、汎神論の世界にいるのだろうが、決してその宗派を信心する心境にはありそうになく、単なる稼業として紙切れの“福沢諭吉”を唯一神として崇めているだけであろう。宮司も同類である。
 この先、残り得る社寺は経営基盤が安定している(境内地以外に土地を所有し、賃貸収入がある)ところだけとなろう。坊主は宗教事業ではなく不動産事業で食っていく形となる。なんで、社寺がこんなにも土地を持っているのか。その昔、あくどい坊主や宮司がいたのではなかろうか。田畑宅地を寄進させたとしか思えないのである。小生が既存宗教を嫌う大きな原因として、これがある。今どきの新興宗教とおんなじだから。
 人の「こころ」の弱みに付け込んで脅し、信者から財産をまきあげる。ああいやだ、いやだ。まあ、人間というものは、煩悩の塊なんだから、これが正常なのだろうが。
 
 さーて、そこでどうする、特に若い方はこれから。「宗教はどう変化するか」は、若い方の出方次第となる。1995年の地下鉄サリン事件からもう25年経っているが、新興宗教と言えばオウム真理教という強烈なイメージがつきまとい、数多く新興宗教が生まれ出ても、警戒されてさほどの信者は集め得ないであろう。
 悩み多き若者は多い。どうするか。
 ひとつ考えられるのは、「見方、生き方を変える思想」ではなかろうか。もうお亡くなりになったが小林正観さんが一番有名であろう。この類の人はあまたいる。小生が一番びっくりこいたのは五日市剛さん(もう56歳になっておられるが)である。
 こうした方々はたいてい神がかっているが、“神ってる”は2016年に広島カープの鈴木誠也外野手を評しての言葉でもあり、ここで感ずる神と人間との距離感はさほどなく、抵抗感はさほどなかろう。
 しかし、とことん追いつめられたら、自分の心の持ちようだけでは(つまり自力では)解決しないであろう。となれば2つ目は呪術だ。まあ、これも自力の範疇には入ろうが。
 なお、汎神論という一神教の信者にあっては決して救われない。こんなものを信じているのは、自分の生活に余裕があって、救いなど求めなくていい状態にこころがあるからにすぎない。たとえば、知識人が何か大きなへまをやって社会的信用を失って失職したら、食っていけなくなり、そうなったら何かにすがるしかなくなる。彼が信じていた汎神論の神は冷たく彼を突き放すばかりであり、自殺するしかなかろう。

 よくよく考えてみるに、釈迦も「見方、生き方を変える思想」を説いたのだし、(よく知らないが、釈迦は、何ともならなくなったら手を合わせて何でもいいから祈れとでも言ったのではなかろうか。その時点では仏様はなかったのだから。)、つまり、仏教もその出発点に立ち返ってみれば、今の日本とおんなじだろう。
 庶民的立場に立ってものを言うと、こういうことになる。
 庶民が、こころに少しは余裕があれば生き方の思想に触れて立ち直ればいいのだし、とことん追いつめられてどうしようもなくなったら単純明快な何かにひたすらすがるしか術はないのである。
 その点、江戸時代前期に全国を行脚した円空さんは立派なお坊さんだ。病気で死にそうになっている人、飢餓で死にそうになっている人、借金で首が回らなくなっている人、などなど、もうどうしようもない状態に置かれている人々に、それぞれに適した仏像を、そうした人々の前で彫り上げて与えたという。たぶんそのとき、何か癒しの言葉も投げかけたであろう。その仏像の数はなんと12万体というからすごい。30年以上の行脚だから毎日10体彫った計算になる。というか、全国各地で毎日毎日10体は彫っていたという話から、12万体という数になるのであろうが。
 つとめて庶民的であった生臭坊主の親鸞は、どうしようもなくなったら単に南無阿弥陀仏と唱えりゃええ、と言っただけであり、とてもじゃないが、円空さんの足元にも及ばぬケチな存在だ。小生にはそう思われてしかたない。もっとも親鸞が大衆仏教を作り上げたことには小生も評価を惜しまないが、その後がいかん。親鸞は生臭坊主であったから、それまでの僧侶のしきたりを破って妻帯者となり、子を作り、彼が立ち上げた浄土真宗という教団のトップの座を世襲にしてしまった。これじゃあ宗派が大きく腐敗するに決まっておるではないか。
 で、結論は?となるが、小生はここでギブアップ。まあ、葬式仏教と言われて久しいが、最近は坊主を呼ばない葬式が流行り出したから、これは大変望ましいことだと評価しておこう。小生が死んだときも、その方式に決めている。

 本日はここまで。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
単品につき脳トレ休み

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.23 ご高齢のお客様から手剥きの栗をいただく [グルメ]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 五穀豊穣の秋、五穀の一つにたいていは栗が入る。今日、ご高齢のお客様から「栗をたくさんいただいたから採りに来てほしい。」と電話があった。
 94歳になられるご婦人からである。2年ぐらい前までは片道2kmあるも自転車でおいでになった。でも、同居する息子夫婦から危ないから乗るなと止められたこともあって、それからは送り迎えしたり、往きは息子さんか孫が送ってきて帰りは小生が送る、という形になった。
 その老婦人から時々あれこれいただく。今回は栗。女房がそろそろ切れそうになる漢方薬を持って、栗をいただきに行ってきた。栗は栗でも、何と手剥きの栗。茹でた後、一つ一つ包丁で剥いて、食べれる状態になっている。それもたくさん。自宅の分を加えると随分な量となり、ようぞまあここまで根気のいる作業をなさったものだと感心する。
 元気すぎるほどに元気な94歳のお祖母さんである。何一つ悪い所がない健康体。もっとも、当店の滋養強壮漢方薬を3種類毎日飲んでおられるし、健康食品1種類も毎日飲んでいただいている。もうそろそろ歩く広告塔になる、といった存在だ。
 いつまでもお元気で。なんとかしてピンピコシャンシャンで百歳を迎えていただきたい。そう願っているところです。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
単品につき脳トレ休み

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.22 メインブログ「薬屋のおやじのボヤキ」を開設して10年 [稼業]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 親父が創業した薬屋の跡を継いだのが平成6年(1994年)4月で、45歳であった。薬や健康に関しては全くの素人であったがゆえに数年間は随分と基礎的な勉強をした。少し分かりかけてくると、ますます訳が分からんようになる、まあこれは学問の世界に共通することだろうと思うが、インターネット検索して調べてみようと考え、稼業を継いだ数年後(20年ほど前)にパソコンを買った。併せて本も随分と買うようになった。
 そんな頃には既にブログが登場しており、自分もブログを立てて情報発信しようと思えばできないことはない状態にあったが、店はかなり忙しく、まだまだ勉強せねばならない状況にもあり、とてもじゃないがお遊びめいたブログなどやってられなかった。
 勉強を進めるうちに、この世の中、様々な学問があまりにも間違ったことを言っており、それがどんどんひどくなっていくように感じられ、多少とも余裕が生まれてきたから、長大論文を4本ほど(稼業とは直接関係するものではないが)執筆した。まあこれは自分の頭の中を整理するのが主目的で、世間に大っぴらに公表するつもりはなかった。これに3年ほど要したのだが、それが終わったのが10年前である。(最近になってブログアップし始め、間もなく完了の見込み)
 そんな頃には薬屋もドラッグストアに客を取られて廃業する店がどんどん出てきて、当店もその例外ではなく、客数は落ち込み、暇がたっぷりできてきた。その手持ちぶたさから、半分お遊びでブログを始めたのが、メインブログ「薬屋のおやじのボヤキ」である。開設して今日でちょうど10年になる。
 ブログの表題をどうするか。表題の説明文「公的健康情報にはあまりにも嘘が多くて、それがためにストレスを抱え、ボヤキながら真の健康情報をつかみ取り、発信しています。」が先にできた。そこで、表題は「薬屋のおやじのボヤキ」と相成った。もっともこれは、尊敬する漢方薬局のご主人が顧客向けに「ぼやき通信」と題した新聞を毎月発行してみえたから、それを一部借用した次第。
 稼業を継いで直ぐに毎月顧客向けに健康情報「生涯現役新聞(当初は別の名称であったが)」を発信していたから、それらを元にして、内容を今一度吟味し、ブログ記事を毎週1、2本投稿していった。また、セミナーで学んだことや新たに買った本の要約など、記事のソースには全く困らなかった。あれも書きたい、これも書きたい、と暇を見つけては夢中になって投稿していたことを懐かしく思い出す。
 そして、その4年後には商工会のホーページ作成講座を受講し、当店のホームぺージを立て、無料健康相談を明記し、ブログもそのようにした。そうしたところ、記事のコメント以外にメールや電話でぽつりぽつりと健康相談が入るようになった。
 そして1年経った5年後、2015年6月2日にメインブログの訪問者数が100万人の大台に乗った。その少し前には1日の訪問者数が最高6640人と大フィーバーしたことがあり、一気に100万人に到達したといったところだ。なお、この頃の1日当たりの訪問者数は1500人程度であった。
 その1年半後の2016年12月22日には、訪問者数は200万人の大台に乗り、訪問者数は1日平均1700人程度で横ばい、このブログの全盛期となった。この頃から健康相談も週に1、2回は入るようになり、これにかなり振り回され、先行きを心配したほどであった。
 そんな頃から新規情報がネタ切れとなり、投稿回数も減ったがために、訪問者数はじりじり減少し、それに合わせて健康相談件数も減っていった。正直な気持ち、助かったあ、である。これで健康相談に振り回されることはなくなり、第2の本業にしたい百姓に力が入れられると、安堵したところである。
 訪問者数が300万人の大台に乗ったのは、今年(2020年)3月2日のことであり、1日当たりの訪問者数は400人弱まで落ち込んだ。新規投稿がほとんどなくなってしまったから、検索エンジンにそうそうかからなくなったからであろう。でも、ポツリポツリと健康相談が入り、それなりに読者のお役に立っているようだ。
 そして、それから半月強たった今日、ブログ開設10年の節目を迎えたところである。今現在のブログは「漢方五季の食養」と「 24節気の健康と食養」の毎年の日付更新、当店顧客様への毎月の健康情報「生涯現役新聞」をスキャナーで写し取っての貼り付け、といった程度のものであり、新規記事となると、時節柄、コロナ情報を時折発信しているだけである。よって、1日当たりの訪問者数は300人程度へと下落。まあ、これはいたしかたない。なお、新たな知見を得たときには過去記事を訂正したり、追記したりと、記事の内容に誤りのないように心がけている。
 栄枯盛衰の我がブログ。こうして振り返ってみると、歳も歳(72歳)ですし、これからは決して力むことなく、坦々とこのブログを続けていこう、そう思っているところです。少しは読者のお役に立つことを願って。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
6品思い出す。うち1品は別のもの。1品はなし。4/8で50点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.21 百姓用ズボンが欠乏し、ジーパンを買うも… [日々雑感]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 9月17日に、次のとおり記事にした。
 接客用に着ているワイシャツもどこかが汚れれば百姓用にしているし、背広のズボンをたばこの火で穴を開ければ(ヘビースモーカーにつき、よくあること)、これも百姓用。その背広の上着のほうは寒くなれば百姓用防寒着だ。あと残すは、よれよれになったネクタイだが、防寒用マフラーにするには小さすぎるし、夏の汗止めハチマキにするには大きすぎ、こればっかりは使い物にならん。
 というようなことで、百姓用野良着は靴を含めて接客用店内使用品のお古で代用している小生である。これらをきれいに洗い、多少の寒さ防止になるネクタイを締めれば、どこかの社長さんが革靴・スーツ姿で畑にお出まし、とあいなる。ケッサクな話。
(引用ここまで)
 ところが、である。冬用の百姓用ズボンは、ちゃんとした分厚い作業用のもので10数年愛用してきたのだが、尻の部分が擦り切れて穴が空き、今春に処分した。その少し前に冬用の店着ズボンで傷んだものを処分したばかりであった。
 となると、新たに買わねばならない。そこで近所にある職人の店へ行って買うことにした。幾種類もいっぱい並んでいるので、若い店員さんに、かくかくしかじかと告げ、選んでもらったのがジーパンタイプのもの。普段着のジーンズといった形のものに脇ポケットが付いている。前に使っていたものと似ており、これに決めた。
 さて、今朝、これを履いて畑に行こうと思ったが、魚釣りにしか使わないジーンズ、少々汚れているのがあることを思い出した。これを冬用の百姓用ズボンにすればいいじゃないか。そして、新たに買ったジーパンを魚釣り用にしよう。脇ポケットが付いているから魚釣りスタイルにぴったりだ。
 というようなわけで、これからは何十年も前に買ったジーンズで百姓をすることにした次第。そして、今度の月曜日に行く予定の豆アジ釣りには、今回買ったジーパンタイプの作業ズボンを履いていくことにしよう。魚釣りはやはりビシッとスタイルが決まっていないといかんからな。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
6品思い出す。2品はなし。4/6で65点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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