SSブログ

3.8 お客様からの贈り物に大喜び [稼業]

 お昼前に、“今日は近くまで来たから、これ食べて。”と、お客様から和菓子をいただき、それから暫くして別のお客様から、“旅行に行ってきたから、これお土産、食べて。”と、お菓子をいただいた。この方々からは、以前にも同様にして何度か頂き物を受け取っている。
 お二人とも上客様であり、お客様から贈り物をいただくなんて筋が違う、というものであるが、これらのお客様には、うちで採れた野菜をお配りしたり、女房が手作りの手芸品を差し上げたりしてるから、そのお返しという意味合いもあろう。
 でも、これは「純粋贈与」と受け止めたい。
 小生も女房も大喜びして素直に受け取ったし、お客様2人とも満面に笑みを浮かべておられたからである。

 「純粋贈与」とは、見返りを求めない贈与のことである。
 この言葉は、矢野智司氏が著「贈与と交換の教育学」の中で用いているが、主眼が「贈与のリレー」に行っているような感がする。一方、中沢新一氏の場合は、著「対称性人類学」の中で、「純粋贈与」の発展型として「対称性の論理」が働くことによって非対称なものを同質化(人A=人B、人間=動物)する思想が生まれることを詳細に論説している。
 よって、中沢新一氏の「純粋贈与」は興味深いものがある。
 ここで、そのさわりだけを紹介しよう。

 贈与によって受け取ったその物には、その物の使用価値以外に、信用、名誉、愛情など様々な多次元的な価値が付着しており、また、それらの価値が圧縮されていたりしていて、これは、貨幣価値に換算できるものではない。
 贈与は、物を媒介にして、人と人を結び付ける働きをするので、昔の人は、「贈り物には贈る人の魂が付着している」からとして、ゆめおろそかな気持ちで贈り物をあげなかったし、また、受け取りもしなかった。
 この贈与がうまくいくと、(純粋贈与またはそれに近いものの場合)、昔の人が「贈与の輪が動くときに霊力が動く」と言ったように、互いのこころは幸福な感情をかきたてられて、人と人の間に密接な一体感が生まれる。
 この贈与は、本質的な面で「人A=人B」という非対称なものを同質化する「対称性の論理」と深く結び付いている。

 これだけでは十分にご理解いただけないであろうが、今日の2件の贈与は完全な「純粋贈与」ではないものの、限りなく「純粋贈与」に近いものとして受け止められたところであり、贈った方も受け取った方も、互いにとてもうれしい気分になり、より親近感が高まったのは間違いない。
 ところで、さわりだけを紹介した中沢新一氏の「純粋贈与」の説明は、6年前に小生が著した論文「新・学問のすすめ 第2部 数の文化と論理」から抜書きした、要約である。
 生意気にも、畏れ多い表題としてしまっているが、第1部「アインシュタインの宇宙」と併せて、自信作(勝手にそう思っているだけ?)であるがゆえに、また若かった(当時59歳)こともあって、つい筆が滑ってしまったところである。
 今日のこの日記を書き終える段になって、そろそろこの論文もブログアップしたいなあ、と思った次第。乞うご期待!
  
nice!(0)  コメント(1)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 1

木村

純粋贈与の話、大変興味深く読ませていただきました。小生は3年ほど前までギフト販売をしていましたので、懐かしい気持ちです。

仰せの様に今のギフトは見返り期待、義理ギフトが大半であります。いくら珍しく高価な品でも、心がなければ魂は動きません。ましてや商品券であったり宅配利用であったりしますので、動く魂は薄いものとなります。

純粋贈与には物もありますが、心、声掛け、笑顔、情報、知恵、経験の贈与もありこの記事を拝見してむしろ今後はそちらの贈与をしたいと考えた小生であります。
by 木村 (2014-03-09 18:05) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0