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9.3 科学技術の大発展がもたらすもの(その4) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 「科学技術の大発展がもたらすもの」第1回は「世の中便利になれば余暇時間が増す?」、第2回「情報の洪水」、第3回は「タケコプターの時代は来るか」について書いたが、今回は「医療は進歩するか」と題し、思いのままを綴ることとする。

医療は進歩するか
 医療が一番進んでいる国は中国であろう。2千年超の歴史を誇る中医学(漢方)に近代西洋医学を組み合わせての治療技術ゆえ、鬼に金棒、と言いたいところだが、あまりに西洋医学が間違っているから、逆戻りしている感がしないでもない。
 そもそもの中医学は、広大な中国大陸5地域の食と気候風土の相違によるところの各地特有の治療技術を総合化させたものであり、漢の時代(紀元前)に基本古典医学書「黄帝内経」が完成している。
 黄帝内経のうち素問 異法方宜論篇(其ノ十二)には次のようにしたためられている。(一鍼堂さんホームぺージより寸借)
黄帝(架空の人物で皇帝)が問う。「医師が疾病を治療するとき、同じ病気に対して各種の異なる治療の方法があり、そのいずれの場合でも結果的には治療しうるということは、どのような道理によるものであろうか。」
岐伯(上医:皇帝の御側付きの名医)が答える。「それは、地理、形勢の相違によって、治療方法にも各おのにふさわしいものがあるからです。」
(引用文が長いので、要点を示せば、東方:瀉血療法(切開術)、西方:漢方薬療法、北方:灸療法、南方:針療法、中央:按摩療法が発達した。)
「たとえば、東方の地域は天地始生の気を得て、気候は温和で、魚と塩とを産出する地方であり、 海浜にあって水に接近しています。東方の地域の人たちは、魚類をよく食べ、鹹(塩)味を好み、この地方に安住して魚塩を美食としています。しかし、魚類を多く食べますので、魚の性が火に属することにより、人は中に熱を累積するようになります。また塩を多く食べますので、鹹が血に走ることにより血液が消耗損傷するようになります。そこで東方の地域の人たちは、いずれも皮膚の色は黒く、肌のきめは粗いのです。この地域では癰瘍の類の外科的疾病が多発します。これらの病気に対する治療法としては、砥石刺法を用いるべきです。それゆえ、砥石の治療方法は、東方より伝来したものです。」
「西方の地域は、山が多く荒野・砂漠が広がり、たくさんの金属・宝石を産出し、また砂や岩も多くあります。この地域の自然環境は、秋季の気候状況によく似ており、自然界には一種の物を引きしめる現象があります。西方の地域の人たちは、山陵に住み、住居は簡単で風に吹きさらされ、その水土も剛強な性質をもっています。彼らの生活では、衣服について深く考えるようなことはせず、毛布を身につけて、草でつくった寝床で眠ります。しかし、食生活は〔ぜいたくで〕新鮮でおいしい乳製品や肉類をとるために、身体は肥えており、外邪によって容易に侵されるようなことはありません。彼らの発病の多くは内傷に属し、これらの病気に対する治療法としてはすべて薬物を用いるべきです。それゆえ薬物療法は、西方より伝来したものです。」
「北方地域の自然界の気候は冬季の状況によく似ており、閉し蔵める気象を有し、地形は比較的高く、人々は山陵に住み、普段は風が冷たく氷の張る環境の中にいます。北方地域の人たちは、遊牧生活を好み、四方の原野を仮住まいとし、食べものはみな牛・羊乳製品です。そこで、内臓が寒を受け、張満の疾病を生じやすくなります。これらの病気に対する治療法としては、艾を用いて焼灼すべきです。ですから艾灸による焼灼療法は、北方より伝来したものです。」
「南方の地域は、自然界の万物を生長させ養う気候に富み、陽気が最も旺盛な所です。地形は低く、水土が薄く弱いので、霧や露が常に発生します。この地域の人たちは、酸味と発酵させたり煮たりした食品をよくとり、身体の皮膚はきめが細かくて赤味を帯びています。ここでは筋脈の拘急、しびれて感覚がなくなるほどの疾病が多発します。これらの病気に対する治療法としては、微鍼を用いるべきです。九鍼による治療法を、南方より伝来したものです。」
「中央の地域は、その地形は平坦であって、湿気が多く、産物は豊富であり、人々の食物の種類はとても多く、生活も比較的安定しています。この地域では、痿弱・厥逆・寒熱などの疾病が多発します。これらの病気に対する治療法としては、導引・按蹻の治療方法はまた中央から拡まっていったものです。」
「以上のことから考えると、聡明な医師というものは、これらの多くの治療方法を総括して、具体的な状況にもとづいて、臨機応変に対処できる人です。そこで、治療方法には各種それぞれ相違がありますが、結果的にはすべて治癒できるのです。これは医師が病状をしっかりと理解でき、さらに治療の大原則を把握しているからに他なりません。」
(引用ここまで)

 もう一つ中医学で重視するのは「未病(みびょう)」である。引き続き一鍼堂さんホームぺージより寸借する。
 重要キーワード「未病」についてですが、『黄帝内経 素問』ではどのように書かれているのでしょうか?書かれているあたりの記述をみてみましょう。
『黄帝内経 素問』
四気調神大論篇(第2)の一番最後より
<原文と読み>
従陰陽則生、逆之則死。
(陰陽に従えばすなわち生き、これに逆らえばすなわち死す。)
従之則治、逆之則乱。
(これに従えばすなわち治まり、これに逆らえばすなわち乱れる。)
反順為逆、是謂内格。
(順に反するを逆となし、これを内格という。)
聖人不治已病、治未病。不治已乱、治未乱、此之謂也。
(聖人、已病を治さずして、未病を治す。已乱を治さずして、未乱を治すとは、これをいうなり。)
夫病已成而後薬之、乱已成而後治之、
(それ病すでに成りて後にこれを薬し、乱すでに成りてこれを治するは、)
譬猶渇而穿井、鬪而鋳錐、不亦晩乎。
(たとえれば、なお渇して井をうがち、闘して錐を鋳るがごとし、またおそからずや。)
———————————————————————————
 ここで、真ん中の4行目に「未病」が出てきましたが、そもそも「未病」とは「いまだ、病ならず」と読んで、「今は病気が発症してないけれども、いずれ発症する状態」という意味になります。また、「未病」と対比して「已病(いびょう)」というキーワードが出てきてますが、これは「すでに、病たり」と読んで、「もうすでに病気が発症している状態」をいいます。
 上の原文で真ん中ぐらいに 「未病」と「已病」の両方が出てきている文章がありました。大事なので、もう一度そこだけ抜粋しますと
聖人不治已病、治未病。不治已乱、治未乱、此之謂也。
(聖人、已病を治さずして、未病を治す。已乱を治さずして、未乱を治すとは、これをいうなり。)
 ここで、主語が「聖人」とありますが、「聖人」とは東洋医学のヒーローのような人のことで、 養生をしっかりと守る、そして他人にも説いて病気を予防させるような健康のスペシャリストのようなイメージです。
 未病と已病とを『素問』では井戸や戦いくさにたとえて説明されていますが、これをもう少し掘り下げてみます。
 戦が始まってから武器を造ることを考えるのは確かに遅すぎますが、事前に準備するのは武器を調達することだけではなく、その武器を使いこなせるように兵士を訓練することが必要であったり、兵士が足りなければ徴兵することも必要であったり、どの部隊に兵士を配置するのかを決めたり、など、やるべきことが沢山あります。
 何かやりたいことがあれば、そのやりたいことのために必要な準備などが出てくるのはどんな事にもいえることです。未病を防ぐ・取り除いておくという内容ですが、解釈を少し拡げ、自分にとってやらなければいけないこと、やっておいた方が良いことなどを普段から意識して取り組んでおくこと、そのような意識をもつことが重要だ、という内容にもなってきます。
(引用ここまで)

 基本古典医学書「黄帝内経」から2点取り出して紹介したが、これは現代の中医学でも根幹をなしており、これなくして治療も予防もできない、根本医学・根本健康学である。そして、免疫力を養うことに重点を置いているのも中医学の特徴だ。 
 一方の西洋近代学は感染症と外傷の治療に目覚ましい、目立った治療法を発展させた。つまり戦争、戦争また戦争というヨーロッパの戦乱の中から必要に迫られて発達させた「野戦病院の医学」であり、対象とする患者は質実剛健な戦士である。
 感染症に対するワクチンや抗生物質の開発は目覚ましいものがあり、これは平時においても大変役に立つ。外傷については消炎鎮痛剤、麻酔薬の開発、輸血、外科手術の高度化といった、これも平時における外傷治療に大変役に立っている。
 しかし、それ以外の疾病については単なる対症療法(熱が出れば解熱剤、むくみが出れば利尿剤といった措置)しか持ち合わせておらず、単に症状を消すのみで疾病の原因を治そうとはしない。よって、根本治癒には何も手を差しのべず、個々人の自然治癒力に任せるのみとし、これに関しては医療の対象外とするのである。
 その根底には、適者生存、自然淘汰の考えがあり、虚弱で病弱な人間は自らの自然治癒力が弱いのだから早死にするはやむなし、で済ませてしまう文化がある。これは、老人介護では良い方向に働く。つまり、自力でスプーンを使って食べられないほどに虚弱な体になったら餓死するしかないと、放置して自然死させるのであり、日本のような寝たきり老人なるものは存在しない。
 西洋医学の本質はこのようにいまだ野戦病院の医学ゆえ、今後ますます増大するであろう生活習慣病には全く太刀打ちできない。がんがいい例だが、がん細胞を切除したり放射線で焼き殺したり、散ったがん細胞を抗がん剤で叩くといった、副作用でどれだけ苦しもうとも、何でもいいからがん細胞をゼロにすればいい、という考えで医療に取り組むから、もぐら叩きゲームで終始する。がんができる根本原因は何か、がんと共生する(西洋では考えもしないことだが)にはどうしたらいいのか、ということは検討の対象外にされてしまうのである。
 戦後の高度成長期から始まった花粉症や各種難病についても、対症療法しかしないから、決して治癒しない。根本原因を知ろうともしない(知ろうとしても、その技法を持ち合わせていない)西洋医学である。高度成長期から始まった新たな生活習慣といえば冷蔵庫文化であり、冷たい物中毒がゆえに全く新しい疾病の登場と考えるべきものであるのだが、それを主張する学者はゼロに等しい。加えて、そのような“とんでもない学説”は、嫌悪され、無視され、相手にされない。
 こうしたことは、学問の世界に共通するのであるが、特に医学にあっては、従前の説に基づいて治療されてきた方法が否定されるとなると、その治療法により体を害した(最悪は死亡した)患者から訴えられることにもなり、新説(=正しい学問)を認めるわけにはいかないのである。
 加えて、欧米や日本での医療は、資本主義経済の下における営利主義を取らざるを得ず、これに製薬会社の営利主義が密接に関与し、あらゆる病気は簡単に完治してしまっては困るのである。様々な病気に関して、無駄な検査を積極的に行い、しなくてもいい手術をし、かえって害になるような薬を多用し、不健康な状態を持続させ、患者は再検査、再手術、再投薬といった儲け仕事の材料にされるのである。
 こうした経営方針の下にある医療なのだから、どれだけ科学技術が大発展しても、どれだけ高度な医療技術が施されても、あらゆる病気は治癒しない(治癒させない)運命にある。資本主義経済の下における営利主義がそうさせる。
 その点、中国は共産党の下にあり、新説(=正しい説)の下に、簡単に治癒させてしまう技術を一気に導入することが可能であるのだから、それに大きな期待が寄せられる。ところが、中国の経済発展も資本主義経済を導入したからであって、医療においても何よりも儲けることを考えるから、欧米や日本と大同小異になってしまったことだろう。もはや中国においても、岐伯のような名医の出番はなくなってしまう、そのように危惧されるところである。
 資本主義経済は、科学技術を大発展させるのに非常に適した経済的仕組みではあれど、それは利潤の追求という大前提の下になされるものであり、利益が生まれず、逆に利益を失うことになる新たな革新的技術というものは抹殺され、闇に葬られるのである。往々にして、それら革新的技術というものは、新たに発見された正しい学問によるところが大きいのだが、そうした正しい学問も先に言ったように同様な運命にあるのである。
 スマホがますます便利に使え、ドローンが何でも運んでくれるといった科学技術の大発展による恩恵は幾らでも受けられる一方、医療はますます金がかかるも、いっこうに病気は改善しないばかりか病気で苦しむことが多くなる未来である。
 資本主義経済に代わる何か新しい経済システム、それは共産主義経済とも違った、それはどんなものか分からないが、遠い将来において、人類の英知でもって作り出して初めて、停滞し続ける医療が大きく前に進むことだろう。
 そうした経済システムが動き出せば、「がんは放っておけばいい。血圧は高くてかまわない。コレステロールは血液検査から除外して無視すればいい。」となり、よけいな薬を飲まされずに済んで、それだけでも人間は健康になれるのである。
 インフルエンザや旧型コロナ風邪そして今般の新型コロナ風邪だって、そのウイルス性の感冒は、未来永劫そのウイルスの特性からして、基本的にいかなる治療薬でもってしてもウイルスを殲滅できないのであり、唯一の治療法なるものは患者自身の自然治癒力しかなく、「医者にかからず布団をかぶって寝ておれ」が基本になるのであり、これを第一にするしかない。これらも「放っておけばいい」の部類に入る。
 糖尿病がますます増えるのは目に見えている。世の中便利になればなるほど体を動かさず、飽食する。自然の摂理は、動物はずっと飢餓との戦いをしてきたから、それに対処する術をしっかり保持しているのだが、飽食は未経験だから対処のしようがないのである。
 でも、これは案外技術的に簡単に対処できよう。人間というものは腹八分(もっと少なくせねばいかんだろう)で我慢できるわけではないから、今、米国で胃袋を半分にしてしまうという手術が行われているが、これでもって絶対的に食べられないようにするという荒療治である。こんな大袈裟な治療をせずとも、胃の中にバルーンを入れ、食べたらバルーンが膨らみ、2、3時間したらバルーンが縮む、といったものは今の科学技術では不可能ではあるが、そう難しいことではなく、将来においては皆がこうしたものを胃袋に入れ込むであろう。こうして糖尿病は克服される、そのように考えられる。これは資本主義経済下で可能な技術開発だ。
 もう一つ西洋医学で将来期待される、夢のような医療技術が「再生医療」である。臓器移植はたいていの場合拒絶反応を伴うが、iPS細胞などによる臓器新生にはそれがない。自身の細胞から作られるものだから、免疫反応が起こりようがないからである。劣化した臓器を新品の臓器に取り換える、つまりサイボーグ人間の誕生であり、これが行きつくところまで行きつけば不老長寿となる。はたして、こんなことが可能だろうか。
 「腸は考える」と言われるように、臓器一つひとつに心があるようだ。そして、臓器同士はその心でつながっているように思われる。「心身」という言葉があるように、「心」と「身体」は一体のものであり、人工的に作られた臓器が突如入り込んできて、はたして「心身」が健康に保たれるのか、この壁は厚いように思われるのであるが、なんとかしてこの壁を乗り越えてほしいものだ。かなり難しいと思われるが、「臓器の心」が解明されれば、これは可能となろう。
(今日はここまで) 

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。うち2品は別のもの。他に1品。3/8で40点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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