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11.17 今日は「銀幣社」石作神社の総代として新嘗祭を執り行う [日々雑感]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 氏神様(神社)は各部落ごとにあるが、旧上羽栗村(その昔は5か村あり、明治初期に合併)全体の氏神様を統括する神社が石作神社である。ここは「銀幣社」という社号標を掲げているのだが、これは他の都道府県にはなく岐阜県神社庁独自の社格制度であり、岐阜県神社庁支部長が参向して銀幣を奉る神社である。もう一段上の社格に「金幣社」というものもある。10月17日に石作神社で執り行われた例大祭では、神官が3人も来て、たしかに銀幣らしきものが神殿に奉られたように思う。
 さて、今日は石作神社の新嘗祭である。11月23日の勤労感謝の日(戦前は新嘗祭)には、たぶん金幣社で新嘗祭が行われるのであろうから、格下の銀幣社はそれを外した日曜日あたりでの実施となり、単なる氏神様はまた別の日の開催となる。その石作神社の新嘗祭が今日午後3時から祭事が始まるので、総代は1時半に集合し、諸準備を行わねばならず、小生も総代であるからして遅刻せぬように出かけた。
 先の例大祭と違って並みの祭事だから、神官はいつもの方お一人だ。来賓というか主賓は、毎回そうだが、旧上羽栗村を構成していた、その昔の5か村の村長である。今日では、5部落(それぞれ1~4自治会で構成)の代表自治会長(その昔は区長、今は部落連合自治会長)にその任に当たっていただき、年6回も来ていただくことになる。祭事における5連合自治会長の任務は玉串奉奠(たまぐしほうてん)とお供えの献饌(けんせん)・撤饌(てっせん)。玉串奉奠は主賓として当然のことだが、お供えの献饌・撤饌はいかがなものかと思う。これは総代が行えばいいのではなかろうか。小生の地元の氏神様「八幡神社」(ここはたぶん一番格下の「白幣社」だろう)でも同様な行事を行うのだが、主賓の各自治会長は玉串奉奠だけで、お供えの献饌・撤饌は総代で行っている。なんせ神社庁支部主催で新任の総代は祭事のしきたりの研修を受けるくらいだから。このこと(献饌・撤饌)について納得がいかないので、あるとき神官さんに聞いてみたのだが、神社によってやり方はそれぞれであり、昔からの風習でそうなっておるようです、とのことであった。となれば、平総代がさしゃり出て物申しては波紋を投ずることになり、世話になっている総代長に迷惑をかけることになるから、口を紡ぐとこにした。
 おっと忘れていた。もう一つ旧村長さんに重要な任務があった。連合自治会長の代表者が行う「ご発声」である。祭事の途中で、神殿の御扉(みとびら)が神官の手によって、ごくゆっくりと開扉され、そのとき扉がギギ、ギギーと音がする造りになっているのだが、それに合わせて「オーーーーー、(息継ぎ)オーーーーー」と大きな声を発するのである。祭事の終わりに行われる閉扉も同様。この発声を警蹕(けいひつ)というのだが、これは、御扉の開扉によって神殿内におわします神様に皆が面会することとなり、姿勢を正して緊張せよという合図であって、警蹕の間は頭を軽く下げておらなばならない。閉扉時も当然にして同様。小生は地元部落の連合自治長を勤めていたとき、氏神様、石作神社の両方でこの係をしたが、これをやっている本人としては、けっこう楽しめて面白い。カラオケ大会の先陣とオオトリをつとめるようなものだから。
 さて、こうした神事、いつまで続くのだろうか。神官、自治会長、総代、当番という役付きの人しか神事には来ず、一般参拝者はゼロ。主賓の自治会長の中には初回の行事のときに“なんで俺が来なきゃいかんの?”とけげんな顔をされる方も。加えて、献饌・撤饌ともなると、“ええっ、こんなん聞いてなかった。どうやればいいの?”である。心配になるのは、主賓のどなたかが“いい加減ににせえ。なんで自治会長が宗教行事をせにゃいかんのだ!”と、ケツを捲られること。
 昔からやっている、単にそれだけの理由で行われている神社の祭事。もう止めていいんじゃないの、と言いたくなるが、小生、総代は今年3年目になるゆえ、あと半年もしないでお役御免となる。よって、“あとは知らん!”で済ませられるから、何も言わずに坦々と役目をこなそうじゃないか。皆もそう考えている。祭事が終わって後片づけをして直会(なおらい)で酒をしこたま飲んで、“ああ今日一つ行事が終わった。よしよし。”である。
 こうして、今日の祭事が坦々と過ぎていきました、とさッ。
 それにしても今日はいい日和。祭事の間、快晴で無風。暖かくって助かったぁ~!

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。うち2品は別のもの。3/7で40点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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