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11.26 「がんとの共生」のために「生き方を変えよう」と考えたのだが… [前立腺がんと仲良く生きる]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 「11.20 生き方を変えよう、自分の体にがんが見つかったんだから」で記事にしたのは前立腺がんが見つかった、その経緯だけであり、これに今後どう対処していくかについては、具体的には何も書かず、次の一言で済ませた。
 「がんとの共生」であり、そのためには「生き方を変えよう」というもの。
 薬屋家業をするなかで、これまで20年以上、がんに関して幾冊かの本を読み、ネット情報を拾ったりするなかで、がんは無治療でいったほうがいいと感じた小生である。つまり、がんは、外部からの侵入者・せん滅すべき対象では決してなく、自らの体の一部であって「がんとの共生」をすべきものであり、がんがこれ以上暴れることなく、おとなしくしてくれる、これを願ったほうがいいと思うようになったのである。そうすれば、場合によっては、がんが自然と縮小してくれることさえあるようだ。
 そのためには、今まで頑張りすぎてがんになったのであろうから、まずは自分を自分で褒めてあげようじゃないか、「今までよう頑張って来たな。ご苦労さん。褒めてつかわそう」と。そして、これからの人生は「生き方を変えよう」じゃないか、と過去を振り返って生活習慣全般を見直し、心身ともに無理がかからぬようにすることは当然のことながら、何か前向きな明るく楽しい人生のスタートを切る、となるようにせねばいかんだろう。
 早い話、「がんになってよかった。新たな生きがいのある人生が始められた。」となればいいのである。けっこう多くの方が、そうやって「がんとの共生」をされているようだ。
 こうしたことを、少しばかりのお客様ではあるが、がんを患った方々に対応してきた。

 さて、過去を振り返ってみての生活習慣全般の見直しは、すでに女房と相談し、おおよその方向性はまとまった。そのなかで、自分は決して頑張ってもいない、無理もしていない、という意識であったものが、他人から見れば、頑張りすぎ、無理しすぎ、ということが多々あるようなのである。ここは、素直にその意見に従って、出力ダウン(半分の出力にしたいのだが、なかなかそうはまいらぬが)を一つひとつの事柄について実行あるのみ、ということにして、取り組み始めたところである。これの具体的なことは後日順次記事にしよう。
 ところが、何か前向きな明るく楽しい人生のスタートを切る、という「生き方を変えよう」という課題については、はてさてどうしたらいいのだろう? 
 これが、なかなか思いつかないのである。
 薬屋という稼業は“暇つぶし、ボケ防止”のためにも女房と二人で続けたいし、百姓仕事は小生一人でやっているのだがこれも続けたい。ファーマー・ファーマシーの二足のわらじはいいものであり、両方の仕事はまだまだやりたい。ほかにアパート管理があるが、下駄ばきアパートの一角での薬屋稼業につき、これは稼業と一体のもので、引き続きやらねばならぬ仕事である。趣味としては、自然科学の分野、今では社会科学の分野にも広げ、幅広く論文(といっても小論だが)を執筆している。なお、これらについては、ホームページやブログを立てて発信し続けている。
 これら(ちょっと多すぎるきらいがする)を引き続きやりながら「生き方を変えよう」としても、選択の幅はだいぶ狭められてしまう。頑張りすぎという量的な問題は、先に記したように出力ダウンでけっこう解決するだろうが、「生き方を変えよう」という質的な問題となると、はてさてどうしたものか、なかなか思いつかないでいる今日現在。
 稼業の質を変える、百姓仕事の質を変える、アパート管理の質を変える、論文執筆の質を変える、なんて、どうやったらいいのか。こうした課題については、すでに何年も前から取り組み、けっこう変えてきているつもりだから、妙案が浮かばないでいるのである。
 こうしたことをあんまり考えすぎると、かえって心的ストレスがたまり、逆効果となりかねない。今まで何人かのお客様に「生き方を変えよう」と無責任に、気楽に言ってきたが、はてさて自分のこととなると、“弱った、どうしたらいいんだろう?”となってしまった。
 ここは、何か発想の転換をせねばいかんだろう。これは、あせってもできるものではない。そのうち何か閃くのをしばし待つことにしよう。時間はたっぷり残っていようから。

 ところで、通常、医者から「あなたはがんの恐れあり」とか「あなたはがんになっています」とか言われると、“ガ~ン”と心が打ち砕かれて、シオシオッとなってしまいそうだが、小生の場合は、全然そうした気分にはならなかった。
 医者から最初「がんかどうか検査しましょう」と言われたとき、“自分ががんに罹っているなら、み~んな、がんになっとる。肉体的ストレスも精神的ストレスも、自分はう~んと少ないんだから。”と高をくくっていたのだが、こうして自分だけが(とまでは言わないが)選ばれた存在になったとき、自分では意識していなかったが、“自分は人よりも肉体的・精神的ストレスが多くかかっていたんだろうなあ、きっと。”という気分になっただけで、恐怖心は全く湧かなかった。
 “少しはがんを怖がれよ”といったところだが、これまたどうしたことか。暇ができたら、これについても書いてみよう。 

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。


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<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
7品思い出す。1品は別のもの。6/8で75点

※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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