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11.24 享年と行年、その定義ははっきりしているも、なんだかええかげんに使われている当地の風習である [学び]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 11月7日に亡くなられた新家(あらや=分家)の老主人の七七日法要(49日法要とか満中陰法要とか忌明け法要とかいう)が今日、営まれた。当地では五七日法要(35日法要)が普通だが、近年は七七日法要も多くなり、今回は住職の都合で延びて少々遅れての開催となった。
 うちら近辺はどこもかも浄土真宗であり、小生が若い頃に法要で唱えられた経典は、浄土三部経(仏説無量寿経、仏説観無量寿経、仏説阿弥陀経)全巻であった。これに加えて、親鸞聖人の手による正信偈(これは参列者全員で唱和する)と御文章(御文様:蓮如上人の手紙。その1通を適宜選んで住職が朗読)があり、途中2回の休憩をはさんで1時間半はかかった。
 それが、4、50年前からだろうか、仏説観無量寿経が省略されて休憩は1回になり、1時間ほどで終わるようになり、最近は仏説阿弥陀経も省略され、45分ほどで終わる。だんだん世の中忙しくなり、それにつれてお勤めの時間も短くなった。有り難いことである。
 そして、読経中はやはり正座していたいものであり、それが短くなって、なんとか足を崩さずにおられるから、助かる。今回も正座に堪えられた。
 こうして、型どおりに法要が終わり、近所の料理屋まで歩いて行って会食し、お開きとなった。やれやれ終わったわい。少々飲み過ぎたから一眠りするかと、自宅で布団にもぐり込み、2時間ほど昼寝をする。こうして、今日1日が終わる。

 ところで、気になったのは、亡くなられた方の年齢である。
 葬式のとき、亡くなられた方の年齢が必ず示されるのだが、「満〇〇歳」とはせず、「享年(きょうねん)〇〇」とか「行年(ぎょうねん・こうねん)〇〇歳」とか表示される。
 享年には「歳」がつかず、行年には「歳」付くというのもおかしなものだが、享年とはなんぞや、行年とはなんぞや、これをつい先日まで知らなかった。
 当地では、葬儀のとき、たいてい享年を使うが、11月に亡くなられた新家の老主人の場合、葬儀屋さんが“行年にしましょう”と言い、そうなった。
 そこで、その違いについて調べてみた。
 「享年」は何年生きたかであり数字の下に「歳」を付けないが、享年に「歳」を付ける表記も一般的になりつつある。「行年」は何歳まで生きたかであるから数字の下に「歳」を付けるとされているが、歳を付けない風習もある。
 「享年」は寺院に入れるお墓や位牌などに使用されることが多い。「行年」は霊園やお墓などで使用されることが多い。

 さて、その意味だが、「享年」とは、天から命を享(う)けた年数を表し、仏教の考え方では赤ちゃんがお腹にいるときから命として捉える。「行年」とは、この世で何年修行をしたかを表す数字で、お腹の中では修行できないから、産まれたときからカウントする。
 なるほど、こういう使い分けか、である。
 すると、満年齢でカウントするかと言えば、いやいや数え年で表すのが一般的であり、「享年」は数え年の計算法と同じになる。数え年は、生まれたときが1歳で、これは、十月十日(大雑把にとらえて約1年)おなかの中で命を育んでいるから、理屈に合う。
 そして、正月を迎えると皆、1歳年を食って2歳となる。まあここは、他人の年齢を覚えるのに、とっても都合がよくて便利この上ない。もっとも、年末に生まれた赤ちゃんは、まだ生後1か月も経たないのに正月に2歳になるとは少々違和感があるが。
 じゃあ、「行年」の計算法はどうなるかというと、生まれたばかりは0歳ということになり、数え年の数え方からいけば、正月を迎えて1歳になるということか。

 さて、実務ではどうなっているか。
 「享年」の場合、亡くなったとき、数え年の計算法によれば、誕生日を過ぎていると「満年齢+1歳」となるし、まだ誕生日を迎えていないと「満年齢+2歳」となる。これは確かなこと。じゃあ、「行年」はとなると、「享年」より1つ小さい年齢になるのか。
 いろいろ複雑になってきた。
 で、今回11月の葬儀の場合、これは当地の以前からの「享年」の数え方だが、誕生日を過ぎていようがいまいが「満年齢+1歳」で済ませていたし、葬儀屋さんは“「享年」も「行年」も「満年齢+1歳」でいきますから、行年99歳としましょう。”とのことで、あっさり決まってしまった。これは、「享年」と「行年」に関して現実には寺院や地域によって解釈に違いがあることによるようだ。

 こうしたこともあってだろうか、最近では全国的に満年齢で示すケースが増えてきているようだ。このほうが、なにかとすっきりしていて、いいような気がする小生である。

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。


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<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。正解。100点

※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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