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10.20 タイミング良く、明日は緑ゴミを出す日 [百姓]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 庭木の夏剪定が延び延びになり、東の垣根の樹木の枝が公園との境の道路の半分を塞いでいる。道路と言っても公園の淵で行き止まりになっており、全く車が入らないから支障はないが、いつまでも占有していては横着も度が過ぎよう。
 8月以来、暇ができたら、これを剪定しようと思っていたのだが、なかなか取り掛かれなかった。そうこうしていたら、従兄弟が昨日、21日は緑ゴミを出す日だから、頼まれ仕事でそれを出したいから軽トラをその日の朝貸してくれと言う。
 ああそうか、20、21日の当店連休は畑仕事に余裕があるから、小生もそうしよう。今日、樹木の枝を切って、その場に積み置きし、明日、従兄弟が軽トラを戻してくれたら、それを積んで、集積場の三宅町民センターへ搬入すればいい。
 こうして、非常に効率良く剪定&搬出ができた。これからは、毎月1回ある緑ゴミの日の前日に剪定をすることにしよう。
 なお、従前は、剪定ゴミ・野菜の残骸は全部休耕田へ運び込み、冬から春にかけて野焼きしていた。苦情が出ないよう、風向きに注意して燃やしていたのだが、今年の春そうしたところ、かなり遠方にいた警ら中のパトカーに発見され、お小言をいただいた。
 よって、今年の剪定ゴミの野焼きは最小限にせざるを得ず、その多くは緑ゴミとして出すしかなくなったのである。こうすると、草木灰があまり手に入らなくなり、極力自然農法に近いものを取ろうとしている野菜作りに支障が出るが、これは止むを得ないことだ。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。他に2品。5/7で70点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.19 小雨の中、秋祭り子供神輿の練り歩き強行 [奉仕活動]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 今日は当地の秋祭りで、子供神輿の練り歩きが予定されていた。しかし、一日中雨模様だ。さあ、どうなるだろう。
 子供神輿行事としては、当地三宅地区4子供会は、旧上羽栗村を統括する石作神社に集合し、そこで神主から御祈祷を受けたのち、4子供会とも三宅地区の氏神様である八幡神社に移動し、玉串奉奠(神主なし)による参拝をする。それが終わってから、各子供会それぞれの地区を練り歩く。
 小生は石作神社の総代ゆえ、所属子供会の集合地である八幡神社から石作神社への往復に随行するのが役目である。たったこれだけであるから、楽なものである。
 雨が止んだ7時20分に八幡神社へ行ってみた。石作神社でのご祈祷は予定通り行われ、代表者(子供と保護者)だけが空身で行ってご祈祷を受けてくるとのこと。そういえば、過去に雨のときはそういうやり方だったっけ、である。そして、ご祈祷の後、代表者が八幡神社に参拝する、ということであった。
 八幡神社の総代も4人が来ていた。彼らもそうしたことがよく分からず、遅掛けの参拝準備に取り掛かった。それを手伝っていたら、8時を少し過ぎてしまった。
 代表者が石作神社でご祈祷を受けるのだから、石作神社の総代である小生もそこへ行かなきゃいかんかもしれぬが、時すでに遅しであり、まあいいか、で済ませてしまった。
 8時半過ぎには代表者全員が八幡神社に到着し、参拝。
 それが終わったところで、子供神輿の練り歩きは決行するか1週間延ばすか、4子供会が協議して足並みを揃えよう、という話になり、今けっこう雨が降っているから、一先ずは出発を遅らせようと相成った。子供たちはそれぞれの家で待機中。
 小生は、もう完全に用なし。そこでご無礼した。
 さあ子供神輿の練り歩きは来るか? 小雨が降りしきる中、予定の時刻、午後1時過ぎに子供たちが合羽を着て神輿を担ぎ、やってきた。大人の大半はハッピ姿で合羽なし。しっとり濡れるだろうに、ご苦労なことだ。
 無理やり強行した子供神輿の練り歩き。予定通りやっちまったほうが役員の皆さん方は何かと楽だから、これもまたよかろう。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
4品思い出す。他に1品。4/5で80点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.18 朝鮮人にも感謝されている戦前の小学校の日本人先生 [学び]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 日本は長く台湾、朝鮮を統治したのだが、その下で台湾人、朝鮮人の初等教育に力を入れた。ただし、教科書は日本国内と同じものを使ったようだが。こうした教育は、欧米列強の植民地支配では絶対にしなかったことである。下手に学を付けさせたら利口になって反逆しかねないからである。しかし、あえて日本はこれを行なった。
 小学校就学率は日本国内は明治の終わり頃には100%近くに達したが、ほぼゼロからスタートした朝鮮では終戦時には男子60%、女子40%の就学率に達し、同じく台湾では70%超となっていた。
 もう一つ付け加えると、高等教育機関としての帝国大学の設立は大阪、名古屋を待たせて、京城[現在のソウル](大正13年)、台北(昭和3年)を先行させた。(もっとも、どちらも教授陣は日本人、かつ、学生の多くも日本人であったようだが。)
 さて、この教育は、日本語そして日本文化を押し付けるという面においては、いただけないものであることは確かであるも、今日になっても台湾人からは、教育を受ける機会が得られたことを喜ばれており、なかでも小学校の先生には特に感謝している、という話を幾つも聞いた。
 ところが、同じ形の統治でありながら、朝鮮人からは、そうした話は聞いたことがない。これは両地域の文化の違い、日本が撤退した後の諸情勢と関係しよう。
 でも、一つ見つけた。それは小松真一氏の「虜人日記」である。終戦時、フィリピンにおける捕虜収容所(ストッケード)での様々な出来事が綴られている中にあった。
 以下、それを山本平七著「日本はなぜ敗れるのか」から孫引きする。
 
 志願兵、軍属、軍夫として沢山の朝鮮、台湾人が比島に来て戦ったが、敗戦のため、彼らは日本と分かれる事になった。それで各人各様の感情にとらわれていたようだったが、段々に落ち着いてくると…日本軍に協力したにかかわらず、日本軍の将校共(ども)から不当の扱いを受けたり、酷使され、いじめられた者の内に深い恨みを持つ者が沢山いた。そして、このまま別れたのでは気分が済まず、同じストッケード内に住むを幸い、日本人に復讐することを決め、…悪日本人のリストを作り、片端から暴力による復讐が行われだした。
 部隊長級の人でもこのリンチをに会った人も相当にいた。…この不祥事件が続出するので、日本人側でも暴力には暴力をというので、彼等に撲り込みをかけると殺気が満ちた事もあったが、日本人は今猛省する時だ、東亜百年の計の為に、という論も出、撲り込みはやめた。…
 一方、…彼等の世話を良くみた人に対しては、缶詰、タバコその他沢山の贈物が来た。彼等の内にはかなり悪質なのがいたが、全体として良く協力してくれた事は感謝すべきだ。日本と別れるのを泣いて悲しみ、どうしても日本人になるといってきかん少年もいた。彼等が帰国する前に、この変な雰囲気のまま別れたのでは今までの交友が無駄になるというので、細野中佐の肝入りで朝鮮人代表を招いて、日本人のおかした罪を謝り、彼等と気分よく別れようという事になった。当日は多数の出席者があった。そして日本人の非道を謝し、東亜民族の運命共同体の理念が説かれ、今後は朝鮮はソ連の影響を多く受けるだろうが、仲よくやっていこうと説かれた。最後に朝鮮代表が別れの辞を述べ、この会の目的の一部を果たして解散した。
 朝鮮人、台湾人の共通の不平は彼等に対する差別待遇であり、共通に感謝された事は日本の教育者達だった。彼等は、国なき民から救われた喜びだけは持っていた。
(引用ここまで)

 最後の一文中「国なき民」の意味をどう解していいのか、微妙なところがあるが、それはそれとして、戦前に外地へ行って小学生教育に当たられた先生方は皆、人格者であったようだ。そうした方々のお陰で、台湾人からは今でも日本のことを良く思っていただけ、当時の朝鮮人の根底にもそれがあったのではなかろうか。戦後70年経ち、ほとんどの方がお亡くなりになっていようが。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
割子弁当を2食。脳トレ休み。

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.17 夕食を2度食う [日々雑感]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 10月は何かと行事が多い月である。1日に2つの行事があったりもする。今日と10日後がそうだ。うまく時間が離れているから、両方とも参加できる。
 今日は、午後1時から石作神社の例大祭に総代として準備に出かけ、午後4時過ぎから直会(なおらい)で割子弁当の会食があった。夜の会合があるので、酒は乾杯のお神酒をおちょこ1杯だけで止めにした。それが終わったのが午後5時過ぎ。
 午後7時半からは、K製薬会社の岐阜ブロック勉強会があり、これは毎年1、2回開かれるが、始まる前に、これまた割子弁当が出る。何日か前に出欠を営業マンに聞かれたとき、了解した。つまり、7時すぎに行って弁当を食べてから会合に臨むというもの。
 そのときは、当日2つの行事があることは頭にあった。でも、例大祭に直会が付き物であることを失念していたのである。それに気が付いたのは直会が始まったとき。
 あれあれ、である。少しだけ手を付けて、あとは持ち帰りとしたところで、残りをどうするか…。しばし考え、出した結論は、全部食べるしかないではないか。
 けっこう豪華な弁当につき、これで十分に腹が膨れた。
 勉強会には7時15分頃に着き、2時間少々経っったところで2回目の割子弁当に箸をつける。これは神社の弁当ほど豪華ではなかったが、まだ胃の中に未消化物が残っていたのであろう、やっとの思いで最後の一口を胃の腑に放り込んだ。
 こうして今日は2度も夕食を食べたのだが、時間を置けば食べられないことはないことを知った次第。ちなみに、それから2時間少々経ってから、家で、頂き物の菓子とぶどう、これもしっかり平らげた。
 不思議と胃袋にはたいそうな量を詰め込めるものだ。もっとも胃はビックリしていることだろうが。 

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
6品思い出す。正解。100点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.16 今年は柿を一族郎党に少しは送れそうだ [百姓]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 例年、畑に3本ある柿の木に、少なくとも年に1回は農薬噴霧(ヘタムシ防除薬)していたが、ここ5年間、無農薬にした。
 そうしたところ、実が生るのは例年どおりであったが、梅雨の途中から落果が始まり、梅雨明け後一時的に落果が少なくなるものの、お盆頃から再び激しくなり、9月半ばには少なくなり、やっと9月末に落果は終わる、といった有様であった。落ちずに残った柿はわずかばかりで、10月初めから熟しだすも、それらは全部鳥に突かれてしまい、やっと10月半ば頃から被害は下火になる、という状況を呈することが多い。よって、収穫できるのは10月半ばから、といったところである。それ以降、順次熟したものから収穫し、11月末には収穫が終わるのだが、あまりの落果の多さのため、柿の木が3本あっても、自家消費分が何とか確保できるだけであり、年によっては全然足りないこともあった。
 そうした状態が3年続いた後、ヘタムシなどは幹や太い枝の皮の中で越冬するとのことであるから、皮を剥ぐ作業を行ったが、大変な手間がかかり、3日間を要した。
 そうしたところ、無農薬4年目はほとんど落果しなかったが、皮剥ぎで樹が弱ったのか実の付きようがさほどではなく、収穫量はたいした量にならなかった。よって、一族郎党に送ることはできず、お隣りさんや一部のお客様に少々差し上げられただけで終わった。
 さて、無農薬5年目の今年、柿の木3本中、1本は並みの実の付きようだったが、2本はめちゃめちゃ実を付けた。昨年のように落果がなかったら、皆、小さな実ばかりになってしまうと心配したほどだ。しかし、例年どおり梅雨半ばから落果が始まり、9月末まで続いた。約7割の落果、といった状態だ。でも、無農薬最初の3年間に比べれば、うんと歩留まりはいい。
 10月になって熟しだすとともに、例年どおり鳥害が出だし、ずっと“お鳥様に献上”してきた。彼らも生き物ゆえ、他に食べ物がなければ柿でも食うしかないから、しばらくの間であれば許そうじゃないか。そうあきらめている。
 10月12日には台風が襲来し、事によっては強風が吹くであろうから、10日に実が幾つか付いて垂れ下がった枝で概ね熟した柿(ぶよぶよの柿も)を10個ほど収穫した。その台風は思ったことのほどはなく、風害は全くなかった。
 今日になって、熟すものもだんだん多くなり、幸い鳥害も減り出した。そこで、取り敢えず完熟したもの(ぶよぶよの柿も)の中から10数個を2回目の収穫。
 数日したら、また収穫し、自家消費することができる。その後、1、2回収穫してからだろうが、少なくとも完熟もの30個、まとめて収穫できないだろうか。あまり大きい柿じゃないから、一族郎党のどこか1か所に送るには、これくらいの数を一度に収穫できないことには、なんともならぬ。
 今年は、これが可能にならないかと期待している。しかし、送り先は少なくとも4か所あり、全部の所へはとても送れないだろう。送れない所には、岐阜が本場の富有柿を産地から届ける手配を例年どおりせにゃならんだろうなあ。
 いずれにしても、今年は当分の間、毎日、柿が食べられるし、どこかへは送ることもできる。有り難いことだ。来年もぜひ今年並みには熟してほしいものだ。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。うち1品はなし。4/5で80点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.15 水分補給は白湯が一番か [稼業]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 秋分が過ぎ、節気は今、寒露となっている。朝晩は十分に冷える季節の到来。
 それに伴って、小生の場合、小便の出が悪くなる。日中もトイレの回数が増え、それもチョロチョロとなる。前立腺肥大が原因である、そう言って間違いなかろう。
 今冬がまたまた憂鬱になってくる。幾種類かの漢方薬などで対処しているが、今年は1種類増やそうかと考えている。
 そして、もう一つ、対処法を今日から実行することにした。
 今までずっと、家や店にいるときは午前中にコーヒーを4、5杯飲み、お昼に緑茶1杯、午後もコーヒーを2杯ぐらい飲んでいた。これ全部水分補給のためであり、どちらもけっこう好きなものだから、惰性で続けてきた。
 ところで、コーヒーも緑茶もともに体を冷やす食品であり、かつ、利尿作用もある。だから、日中なんべんもトイレに行かねばならない。
 昨日一昨日の観光バスの旅で、ガイドさんが両日とも午前と午後に各1回、コーヒーか緑茶のサービスをしてくれたが、初回のコーヒー以外はいずれも断り、のどが乾いたら、持参したペットボトルのお茶をほんのちょっぴり口にするだけに止めた。そうしないとトイレ休憩まで持たないかもしれないからだ。
 さて、今日は女房が化粧品会社のセミナーに出かけた。そう何べんもトイレに行ってられない。そこで、考えた。コーヒーは午前中に3杯も飲めば、もうその後は飲みたいとは思わない。コーヒーは胃にもけっこう負担がかかるから、胃がもう嫌だと反応しているのだろう。そう思えるから、今日はコーヒーは3杯で止め、その後のどが乾いたら、白湯を飲むことにした。お昼におにぎりを食べながら緑茶を1杯。その後もずっと白湯。
 そうしたところ、白湯でけっこう体が温まるし、利尿作用も生じないから、日中のトイレの回数がはっきりと減った。
 これはいい。明日からもそうしよう。水分補給は白湯が一番。きっと間違いない。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
4品思い出す。うち1品はなし。3/4で75点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.14 久し振りのカラオケ、盛り立て役に徹する [湯治旅行/宿泊旅行]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 K製薬会社の招待で1泊2日で行ってきた氷見温泉。会社は大判振る舞いしてくれたのであろう、少なくとも1人4万円はかかっただろう。もっとも参加会費は1万円、2人出席の場合は2人目は2万円取ってはいるが。時期的にいろんな行事とガチ合うから参加者はさほど多くなかった。そのためかバスは超豪華。観光バスは通常40数人乗りだが、今回は3列シートで27人定員。こんなのは初めて。2回の昼食も豪華で、好みのアルコールも自由に注文できた。そして、2日目の行程に錫の鋳物づくり体験もあったが、これもけっこうな料金がかかっていた。
 海が間近に見える温泉であったが、曇天・小雨模様であったし、浴槽もあまり広くなく、泉質は塩水と、さほどでもなかったし、少々あわただしかったから湯治としては中途半端。でも3回の入浴とも30分は入れたから、まあまあ満足。
 さて、懇親会の後、例によってどこかの部屋で深夜までの勉強会が行われるものと思っていたが、今回はカラオケ大会となってしまった。この旅行には行ったり行かなかったりで、数年から10年前に3回ぐらい懇親会の場でカラオケがあったような気がする。でも、今回はホールを貸し切った形のカラオケである。

 小生はカラオケは好きではない。よって、まともに歌える歌は数少ない。演歌2曲、デュエット1曲、若い人の歌1曲、この4曲しか持ち歌はないし、できれは歌いたくない。ところが、小生が歌うとけっこう受けるようである。この会ではネクタイをねじり鉢巻きにして歌ったことがある(小生の記憶では1回だが、営業マンが言うには2回はあるという)からだろうし、デュエットでは相手の女性に嫌がられずにセクハラすれすれの演技をするのだが、これも受けるようである。
 そうしたこともあってか、カラオケ大会が始まったら早速小生に指名がきた。2番目に歌わされる。そうなると、持ち歌の若い人の歌をわざと少々音程を外し、歌詞を変え、面白おかしく歌うしかない。これで、場がどれだけか盛り上がり、ヘタな人も歌いやすくなる。と言っても、今回は全員が全員、歌がうまい人ばっかりだったが。
 さて、お後は、タンバリン、マラカスで歌っている人を満足させるに徹する。盛り立て役一番の女性Oさんがタンバリンを持ち、小生は3本あったマラカスのうち2本を使ってリズムを合わせる。ところがこのホールのマラカスは粗悪品であり、あまり音が出ないから強く振らないとらしい音が出ない。おかげで翌日左手手首に少々鈍痛を覚える。
 そうこうしていると、営業マンがデュエットを歌えと言う。そこで、しゃあないからと持ち歌をリクエスト。曲が始まる。相手は誰だ。さっとOさんがマイクを持つ。ああそうか、数年前に行った、セクハラすれすれの演技に付き合ってくれ、それを記憶していて、これで場を盛り上げようという彼女の魂胆、ツーカーの仲、といったところか。今回は少々演技法を変えて、ダンスはワルツ主体とし、最後は緞帳の後に隠れ入り、緞帳をドスンと動かして何かあったようににおわせ、拍手喝さい。営業マンもこれを期待してのデュエット指名であった。
 こうなると、終わり頃にもう1曲歌わねばならない。営業マンも知っている、小生のハチマキ姿。タオルを2本用意している。小生が1本、営業マンが1本。これを頭に巻く。ネクタイなりタオルなりハチマキをして歌うと、まずは観客の注目を浴びる。それの間接的な効果もあるが、10年近く前、目茶うけした演技がある。とんでもないパワハラである。森進一の演歌を歌いながら、独特の節回しに合わせて小生が営業マンの後から迫るのである。最後には浴衣をまくしあげパンツをずりおろし、営業マンのケツを観客に陳列。こんとき彼は何度もかなり抵抗したのだが、最後にはあきらめた。ケツ丸出しの姿。これはうけた。完全なパワハラ。今どき、これは許されないであろう。
 さて、曲が掛かるまでに10分はある。そこで、彼と打ち合わせ。小生の提案、今回は前回の逆をやろう。小生がケツを丸出しにする。2人で相談して大筋の進行を決める。曲の一番の途中で小生が彼を誘い、彼を求めようとする演技を小生が静かに始める。間奏のときにフロアから舞台に上がる。そのときに小生は浴衣の後ろをまくり上げ、ステテコが見えるようにする。パンツははいていないからずり下げればケツ丸出しとなる。
 ことは順調に進み、曲の2番の最後のほうでステテコをずり下げてくれた。ここで失敗。浴衣も下がってしまった。マイクを持ちながら浴衣をまくしあげてケツ丸出しにする方法はサッとはできそうにない。こうなったたら真正面を向いて一物を一瞬パッと見せるしかない。えいやッとばかりそうした。そして、ステテコがずり下がったまま舞台からフロアにピエロ歩きで降りる。曲が終わるとき、森進一の真似をして深々とお辞儀する。
 拍手喝さいであったかどうかは定かでないが、こうした男色物は滅多になかろうから、うけたに違いなかろう。一物の陳列はやり過ぎだが。
 しかし、もうこんなことはやりたくねえなあ。まして担当の営業マンが代わったし、彼は真面目そうな雰囲気の人間だから、男色物の演技に向かないし。
 でも、女性とのデュエットはなんべんやってもいい。機会があったら、またOさんと違った演技で場を盛り上げたいものだ。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
温泉での宴会につき、脳トレ休み

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.13 業界の集まりで1泊2日の温泉旅行 [湯治旅行/宿泊旅行]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 商売をやっているといろんな業界の集まりで懇親会がもたれるし、また地元の付き合いでもそれが多い。そして、旅行まで行う集まりも以前は各種業界でけっこうあり、最盛期には5つあった。だがしかし、業界もだんだん元気がなくなり、これもご時世であろう、旅行は順次取りやめになってしまい、まして1泊2日の温泉旅行なんて行う業界は珍しくなった。
 唯一、これを概ね毎年行ってくれているのはK製薬会社で、可能な限り参加するのだが、毎年10月中旬であり、地元の神社行事などと重なることが多く、行ったり行かなかったり。幸い今年はごっつんこせず、参加できることとなった。
 今日明日の1泊2日で北陸「氷見温泉」へ行ってこられる。製薬会社の行事だから夕食前に1時間ほど勉強会があるし、懇親会後はどこかの部屋で夜遅くまで情報交換のフリートーキングとなる。これはいろいろ学べて有意義ではあるが、それは過去のこと。もう儲けようとは思わなくなったから、今回は温泉三昧を楽しもうと決めた。
 懇親会前に一風呂浴び、懇親会後の情報交換もそこそこにして酔いが少々醒めたところでゆったり温泉に浸かろう。そして、朝も。今回は湯治第一の旅行だ。小生のような輩は製薬会社にとっては迷惑な存在だろうが、許されよ。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
今日はお休み

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.12 季節外れの台風には弱ったものだが [日々雑感]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 台風19号の予想進路が発表された当初は、当地岐阜辺りも直撃されそうで、弱ったことになったわいと心配した。その後、少し東に首を振り、当地は台風の少々西側になる可能性が高くなり、安堵した。でも、風は相当吹くだろう(実際には肩すかしを食った)と思われ、畑の台風対策は一昨日それなりに講じたところである。
 さて、今朝の予想進路を見てみると、昨日一昨日の予想と全く変わらず、関東直撃の様相を濃くし、当地は安穏としておられるが、関東・静岡の方々は大変なことになった。9月9日の台風15号の直撃を受け、暴風でもって千葉県では停電被害が長期となり、それがやっと復旧したばかりのところへ、ほぼ同じ進路を取っての再度の直撃であり、暴風は前回より強烈のようである。再び長期停電の恐れもあろう。
 加えて、前線や湿った空気の影響もあり、とんでもない雨量になりそうだ。昭和33年の狩野川台風(上陸時に960ミリバール)とほぼ同じ進路であり、このときは秋雨前線を刺激して伊豆半島中央部を流れる狩野川が大洪水を起こし、その流域だけで死者・行方不明者853名を出す大災害となった。これに匹敵する雨量が見込まれるようでもあり、他所事ながら気になる。なんとか無事に過ぎ去ってくれることを祈るしかない台風19号。

 ところで、狩野川台風の翌年、昭和34年に当地は伊勢湾台風(上陸時に930ミリバール)の直撃を受けた。室戸台風、枕崎台風とあわせて昭和の三大台風に挙げられる、とんでもない巨大な台風である。名古屋市をはじめ伊勢湾岸は干拓地がけっこうあり、海抜0メートル(なかには2、3m)地帯は高潮被害であっという間に水没し、そうした所を中心に犠牲者5,098人を出した。
 雨はたいしたことなかったが物凄い暴風が吹き荒れ、全壊家屋3万6,135棟。当地岐阜でもバタバタと民家が倒れた。築7年の我が家もはっきりと少し傾いたし(親父は家がもう倒れると観念したと後で言ったほど。後日、引っ張り起こし、補強工事も実施)、西隣の家は全壊した。そのとき小生は小学校5年生であり、台風襲来が夜であったから真っ暗となり、家がギシギシきしむし、瓦が飛んで壊れる音がするし、東角の洋間の戸が一気に全部吹っ飛ぶなど、随分と怖い思いをした。その途中の段階で親父が2、3部屋の畳を1か所に積み上げ、その周りに隣の家の人と皆で長いことすくんでいた。万一家が潰れても、畳に寄りかかっていれば圧死することはないというもの。なお、隣家4人の方々はしばらく恐怖で震えておられた。
 これらが一種のトラウマとなり、伊勢湾台風の進路を取るような大型台風の襲来が予想されるとなると、怖くてしかたがない。あれからもう60年も経つのに。もし、そうした危機が押し迫ったら、何もかも放り出し、夜中であろうと何であろうと高速道路を突っ走って、安全な遠方へ逃げ出したいくらいだ。
 ところで、またまた、ところで、であるが、縁は異なもの味なもの。
 室戸台風、枕崎台風と伊勢湾台風を昭和の三大台風という。これは随分前から知っていた。当地岐阜は今言ったように伊勢湾台風の直撃を受けた。そして、息子の嫁さんの出身が枕崎市と聞いて、“ああ、あの三大台風の枕崎か”と思ったものだ。風神が2人を引き合わせた、そんなふうに思わせられる縁である。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
3日前を思い出す。0点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.11 ノーベル賞をもらう人はやはり物の見方が違う [学び]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 ノーベル賞を取る人はやはり素晴らしい実績を残している。でも、実績は本当のところどうでもいい。どういう研究態度を取っておられたか、それが何よりも重要だ。
 そうした態度については、2日前に横井小楠の言葉を紹介したが、昨年、ノーベル医学・生理学賞を受賞した本庶佑・京大名誉教授が2018年10月1日の受賞記者会見で語られた次の言葉も注目に値する。
(以下部分引用)
 私…は、なにか知りたいという好奇心がある。それから、もう一つは簡単に信じない。
 よくマスコミの人は、ネイチャー、サイエンスに出ているからどうだ、という話をされるけども、僕はいつもネイチャー、サイエンスに出ているものの9割は嘘で、10年経ったら残って1割だと言っていますし、大体そうだと思っています。まず、論文とか書いてあることを信じない。自分の目で確信ができるまでやる。それが僕のサイエンスに対する基本的なやり方。つまり、自分の頭で考えて、納得できるまでやるということです。…
 研究者になるにあたって大事なのは、知りたいと思うこと、不思議だなと思う心を大切にすること、教科書に書いてあることを信じないこと、常に疑いを持って、本当はどうなっているのだろうと。自分の目で、ものを見る。そして納得する。そこまで諦めない。
(引用ここまで)
 本庶佑・京大名誉教授と横井小楠は、学ぶことの根本、それは「疑なり」と言っているのであり、これが今日忘れられているから情けない。
 このことについては、福沢諭吉が同様にその著「学問のすすめ」第15編「事物を疑って取捨を断ずる事」に、真理の追究についての取組み方を示している。
(以下部分引用)
 信の世界に偽詐(意味:うそ、いつわり)多く、疑の世界に真理多し。試みに見よ、世間の愚民、人の言を信じ、…その信は、偽を信ずる者なり。西洋諸国の人民が、今日の文明に達したるその源を尋ぬれば、疑の一点より出でざるものなし。…ガリレヲ…ニウトン…ワット…何れも皆疑いの路に由って真理の奥に達したるものと言うべし。…進歩して真理に達するの路は、ただ異説論争の際にまぎる(意味:波間を切っていく)の一法あるのみ。而(そ)してその説論の生ずる源は、疑の一点に在りて存するものなり。…疑の世界に真理多しとは、蓋し(けだし:思うに)これの謂(いわれ)なり。
(引用ここまで)

 さて、10月9日にノーベル化学賞が決定した旭化成の吉野彰名誉フェロー(71歳)は、「リチウムイオン電池」の開発が評価されて、他の2人と共同受賞となった。
 その吉野氏は全く別サイドの話をしておられる。彼が興味を示しておられる分野は多方面に及び、歴史学にもたいそう興味を持っておられ、次のように言っておられる。
 「歴史の流れを読み解くと、その先の未来が見えてくる。歴史学は研究にとって面白いツールだ」
 吉野氏はどの辺まで歴史を遡って考えておられるのか定かでないが、歴史学というと、たいていは邪馬台国は九州か畿内か、本能寺の変は明智光秀が単独でなしたのか裏で誰かが糸を引いていたのか、といったつまらない話ばかりだ。
 こんなことを研究するのが歴史学ではない。古墳時代に、戦国時代に、覇者ではなく庶民の価値観がどう変わったのか、庶民の思想がどう変わったのか、そして当時は庶民がどんなものを食い、庶民の婚姻形態はどんなであったか、つまり広い意味での庶民文化がどうであり、どう変わっていくか、これを研究するのが、歴史学の神髄である。そうでなければ、現世がどんなんであるか分析できないし、将来も見通せない。
 今の歴史学者は、そうしたことに興味を示さない。史跡をほじくり返したり、古文書を探しに探したり、といったつまならいことばかりをやっている。そうした批判は、口うるさくて煙たがられている武田邦彦氏(専門は原子力材料:現中部大学教授)が何度もしておられる。武田氏も、専門外のことではあるが、歴史に随分と興味を持たれ、そうした研究をなさっておられるようだ。
 小生も、そうしたサイドから歴史を学ぶのが好きだ。そしてそれを踏まえて、さらに横井小楠の教えを踏まえて、もう10年前になろうか相次いで論文を3つ書いた。今、4つ目の論文に着手しようかどうしようか迷っているのだが、今回の吉野氏の研究態度を知って、またまたケツを押されそうになった。困ったことになったわい。
  
<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
外食につき脳トレ休み

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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