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10.4 生活様式はどう変わるか(その4) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 人類の未来がどうなるのか、その新たなテーマ「生活様式はどう変わるか」に関して第1回は「庭付き持ち家はいつまで続く」、第2回は「労働形態はテレワークに?」、第3回は「AI革命で仕事はがらりと変わる」について書いた。今日はその第4回。

女性の生活はどう変わるか
 太古からの女性の生活、その立場について歴史を紐解いてみると、日本列島とユーラシア大陸(ブリテン諸島を含む)とでは随分と違ったものになる。前者は遅々とした変化しか示さず、明治以降で急変したのに対し、後者は古代文明とともに激変し、その後の変化はほとんどないのである。
 一方の男はというと、本質的には「男は女の紐」であるのだが、古代文明の発生とともに仕事を無理やりさせられ、ケツに鞭打たれる形で労働を強いられてきた。これは洋の東西を問わないのだが、日本列島の場合は随分と甘さがある、といったところだろう。
 小々奇異な捉え方と思われるかもしれないが、太古の生活は、現在の採集狩猟民のなかに残存しているであろうから、それを少しだけ覗いてみよう。
 現在の採集狩猟民で、まずまず生活環境に恵まれている地域では、食糧採集の女性の労働時間は1日3時間程度である。一方、男の場合は、毎日の食糧採集は女性に任せっきりであり、気が向いたときに男どもが誘い合って狩猟に出かけ、日帰りで獲物を持って帰ることもあれば、何日も出かけたままで手ぶらで帰ってくることもあるという。手ぶらの場合でも、女性たちは男どもに何ひとつ文句を言わないそうだ。
 なんせ採集狩猟民の部族のなかには、「遊び」と「労働」を区分けする言葉がなく、両方をごっちゃにした言葉しかない集団も存在するのだから、「仕事をしなければならない」という観念は生じ得ないのである。要するに男どもは毎日が遊びなのである。
 こうしたことが尾を引いているのかどうか知らないが、西欧では「労働は下賤な階級の者どもがすることであって、労働から解放されることを望む」というのが、一般社会通念となっている。まあ、これは、古代文明以降、大半の人々が奴隷であったことに起因するであろうが。
 西欧社会の女性の立場がものすごく脆弱になった、つまりひどい男尊女卑に変わったのは、文明化と同時に急激に起こったと思われる。農耕牧畜の発生と同時にできたであろう私有財産制がそうさせた。大陸での農畜産物の生産は、気候変動の影響をもろに受け、数十年から2百年ぐらいのスパンで繰り返される地球の寒冷化が訪れると壊滅的な打撃を受け、食糧を失った民族の大移動、それは、飢えた民族の、持てる民族の地域への侵略と奪略であり、大量殺戮が伴う。これが起これば、人間社会の制度は、財産防衛と臨戦態勢構築が最優先がために、大きく変わらざるを得ないのである。
 その結果、婚姻制度は早々に父系の一夫一婦婚となり、男が財産と女を支配するようになった。また、奴隷も一夫一婦婚させ、夫婦で責任をもって奴隷の再生産をさせた。西欧においては、この婚姻制度が早くして成立したがために、大方の人々がこの婚姻制度が太古から変わりなく続いているように考えているが、これは大きな間違いである。日本においては、大陸のような他民族の侵略と奪略に遭わなかったから、婚姻制度はゆっくりと変化していったのであり、母系の多夫多婦婚がかなり最近まで続き、男どもは複数の女性を相手とする通い婚であって、女性優位の社会がずっと続いた。もっとも支配層では戦国時代あたりから臨戦態勢最優先がために西欧と同様に父系の一夫一婦婚へと遷移したが、下々までもが全てそうなったのは戦後になってからである。
 庶民までもが一夫一婦婚し、女性が夫の支配下に置かれるという家父長制は、明治になって政府の力でもって制度化され、かつ、強化されたのであり、それが定着し、戦後しばらくまで実質上は続き、現在においても残存している。
 
 民主主義社会になったから男女は平等、とはまいらない。古代ギリシャ市民は民主主義社会を構築していたのだが、強固な家父長制を敷いていた。古代ローマも帝政を敷くまでは市民は民主主義社会であり、古代ギリシャと同様だ。西欧においては近代民主主義社会になって、家父長制は取らないなど表面上は男女平等を装っているも、男どもの女性蔑視は根深いものがあるようだ。旧約聖書に、イブはアダムのあばら骨から作られたとあるように、女は男とは違って欠陥製品だという感覚が、男どもにはあるとのこと。日本人には信じられない話だが。
 その点、日本では、男どもは女を支配したいという願望を持ってはいようが、欠陥製品なんてことは思いもしないし、子を産んで育てるという立派な存在という意識が強いのではなかろうか。もっとも、男と女では思考回路の違いがあって、互いに異性は何を考え何を思っているか、さっぱり理解できない異質な存在であることは確かなようだが。
 そうしたことから、表題にした「女性の生活はどう変わるか」については、男である小生には推測しようにも、何ともしようがない面がある。しかし、男の歴史はたいした変化はしないだろうが、女性の歴史は今までがそうだが大きく変わってきており、将来は激変するような気がしてならないのである。それがどうなるか、おおいに興味をそそられる。あまりに激変するようであれば、世の中がひっくり返り、それが波及して男どもにも激変が生ずるのか、はてさてどうなるものか、興味が尽きない。

 そこで、戦後から現在に至る女性の生活の変化を、まず簡単に整理しておこう。
 戦後しばらくまでは、女性の家事労働は炊事・洗濯・掃除あらゆるものが手作業であり、時間もかかれば、毎日が重労働でもあり、女性は専業主婦の道しか、まず取り得なかった。それが、1950年代には冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビが「三種の神器」として登場し、1960年代になるとカラーテレビ、クーラー、自動車(カー)が新たな三種の神器「3C」として広がり始めた。こうなると、女性は家事労働から大きく解放され、自由時間が大幅に増えた。
 その結果、専業主婦はだんだんパート労働者になっていくし、仕事と家事と育児も両立させて正規労働する女性も大きく増えてきたのである。
 その後も、家事労働や買い物の利便性は時代が進むにしたがってどんどん向上してきている。今日に至ってはコンビニ店とネット通販の普及で、それが加速された。この傾向は将来まだまだ進む。
 こうなると、家事なるものは、有って無い存在と化すことになる。

 こうして女性が働きやすい環境がどんどん整ってきたものの、唯一の例外として女性に残された厄介な問題は、出産・子育ては昔とほとんど変わらないことである。
 こればかりは、いくら時代が進もうとも、相手が相手だから省力化・合理化・自動化に馴染まない。いや、逆に、昔に比べてよけいに手がかかるようになってきた。昔は、周りに手助けしてくれる人がいたり、年上の子が面倒を見たりしてくれたが、今は母親一人で全部しょい込まねばならないケースが多い。
 加えて、母子ともに身ぎれいにしておかねばならぬから、例えば食事を与えるとき、幼児が口からこぼさぬよう、よだれを出さぬよう、などなど付きっきりで世話せねばならぬ。昔のように、よだれが母子の衣類に付いたって一向にかまわない、では済まされなくなったのである。食事以外の場合でも、身ぎれいにしておかねばならず、ほったらかしにはできなくなってしまったご時世であり、母親は子どもの世話で振り回される。
 女性にとっての他の部門の生活改善がスムーズにどんどん改善されてきているのに比べて、育児環境の改善度合いは遅々として進んでいない感がする。
 いい例が待機児童である。小学校に入れば義務教育となり、小学校入学待機児童は一切ないのに対して、保育園入園待機児童があるなんて、あまりにもおかしい。少子化を防ごうとするなら、真っ先に解消せねばならない課題である。
 少子化を大問題とするのであれば、子どもは社会の宝であり、出産から3年間は母親が付きっきりで面倒が見られるよう、所得などの制限を一切設けず、全ての母親に育児手当を年間3百万円ぐらい与えたって一向にかまわにであろう。 
 とにかく、安心して子が産め、安心して子を育てられる環境整備が急務である。そして、その間、社会復帰できるよう以前の仕事のスキルアップを自宅でテレワークし、育児休業が終わり次第、前の仕事に復帰してバリバリ働けるような制度改革が求められる。
 これは政治がどうするか、で全部決まることだが、今の状況をみていると、実に歯がゆい思いがする。女性を限度いっぱいまで我慢させ、足らず前は夫で補えという、若者たちへの押し付け政治、これでいいのか、である。老人医療だの、老人介護だの、年寄りを重視しすぎる政治には辟易とする。
 人類進化に関して“アクア説”を広くこの世に紹介した英国のエレオン・モーガン女史(2013年没)が「女の由来」(1972年出版)のなかで、次のように言っておられる。
 私自身としては、(子ともは)生まれてから4、5年は誰か一人の大人(母親)とのあいだに個人的で親密な持続的関係を結べたほうが、子どもにとって幸せだろうし、健やかに成長できるのではないかと考えている。…
 子どもが5歳ぐらいになると、社会は膨大な金を投じて、…小・中学校および高等学校の教育に膨大な予算をつぎこんで…社会になにがしかの貢献をなさせるように育て上げようとするのだ。
 …もしなんらかの理由から、5歳からではなく赤ん坊が生まれ落ちたその日からの“養育”が社会の手に委ねられることになれば、その費用は驚くべき数字になり、…(今の政府はそのための予算を決して組まない。)
 社会に代わってこの養育を行なっている母親の仕事はもっと評価されるべきであり、それに対しては賃金が支払われてしかるべきだ、と声高に主張するつもりは私にもない。しかし、…母親業という職業が経済的にまったく評価されていないという事実…が、今日まで多方面にわたり、多大な影響を及ぼしてきたことは間違いない。
 会社勤めのサラリーマン…これとは対照的に、育児はーー同じく社会経済にとって欠くことのできない職業でありながらーーどの点から見ても零細家内企業だ。仮に、夫のほうがアパートーー机も電話もちゃんとあるーーに残って仕事をし、妻が朝8時には家を出て、子どもの面倒を見るという骨の折れる仕事に出かけるというシステムを考えたらどうだろう? 彼女の行く先は、近くのこぢんまりした1区画を整地してつくられた、育児センターだ。センターは…砂場…育児用プール…お昼寝部屋、おむつ用コインランドリー、子供番組専用のテレビルーム、…子ども食堂、母親たちが交替で食事をとれるカフェテリアなどが完備している。…ミルクを調合したり、哺乳瓶を消毒したりするプロの職員がいる。…清掃係がいて、1日の終わりにはきちんと掃除をしてくれる。
 こうしたシステムが整っていれば、妻も、自分のやっている育児という仕事も夫の仕事と同じくらい重要なものである、と感じるようになるかもしれない…。そうなれば妻は、母親である自分にも、少なくとも保育を職業としている人たちと同じくらいの施設や設備、同じくらいの報酬が与えられてしかるべきだと思うようになるだろう。偏見やこだわりを捨ててよく考えてみれば、育児は他のどんな仕事にも負けないくらいやりがいのある、創造的な仕事であるとさえ思えてくるかもしれない。…
 …子どもとの関係の中で女が得ている生物学的報酬が昔より少なくなっているように見える大きな要因は、環境システムが整っていないことにあるのは間違いない。
(引用ここまで)
 もう50年も前の英国事情を踏まえてのモーガン女史の見解であるが、今とどれだけも変わっていない。けっこう控え目な要求であるが、育児環境は前進しないのである。
 こうした育児改革がないことには、女性の生活は大きく変わることはない。なんだか男どもが女性たちに意地悪(女性にハンディを負わせる)して、旧態依然の状態に女性を止め置こうとしているように感ずる。それも世界中の男たちが政治の力(育児予算を組まない)でもって。
 あらゆる分野でイノベーションが進むなか、育児イノベーションが大きく進むことを願ってやまない。それなくして、女性が女性らしく、生き生きとした人生を送ることはできないであろうし、女性が安心して社会で活躍することもできないであろう。
 今の世の中、その先もずっと、女性が生き生きとした人生を送るには、唯一の手段として、女性という性を捨て、独身を決め込み、男と真っ向勝負の仕事人になるしか道がないように思われる。つまり、男勝りと言われる女にならなきゃ女性はまともな仕事ができないのである。
 これでは悲しすぎる。 
(今日はここまで) 

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。うち1品は別のもの。他に1品。4/7で60点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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