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9.10 科学技術の大発展がもたらすもの(その6) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1

 朝方、昨日の一楽を書き始め、おおかた出来上がったところでパソコンの不具合がために、記事が消えてしまった。やむなく再び一からキーボードを叩くも、その半ばで操作ミスをして、これまた全部きえてしまった。こうなると、同じことを3度も繰り返す忍耐力は失せてしまい、“試合放棄”。よって、書き溜めしてある「人類の未来はどうなるか」に関するものを、今日の一楽に代えて投稿することとした次第。

 「科学技術の大発展がもたらすもの」第5回で「食糧資源はどうなるか」と題して書いたが、これに関りが深いものを2年前に別立てブログで書いた。それを紹介しよう。

日本という高度科学技術文明社会の将来はどうなるの?
 「食生態学入門」という書があります。1981年発刊ですから、もう37年が経とうとしており、随分と古い本ですが、現代にもずばり当てはまり、興味深いものがあります。著者は亡き西丸震哉氏で、氏が58歳のときに書かれたものです。氏は、農水省の異色官僚(中途退官)、食生態学者、エッセイスト、探検家、登山家など幅広い分野に精通していた「変人」といってもいいでしょう。以下、「食生態学入門」から抜粋します。
(以下引用)
 …すべての動物を責めさいなんできた最大の苦痛は飢えであった。この飢えから逃れるためには、動物はどんなことでも血相をかえて努力しないではいられない。
 飢えから開放されたとき、身体は休息をとりたくなり、心は安らぐ。…
 飢えからの開放が一時的なものではなく、おそらく永続的にその心配がなくなったと期待できるとき、…安楽追求へと動き出す。エサを求めてかけずりまわることがごく当たり前のときは、かけずりまわることを苦痛とは意識しなかったが、労力を減らしてもエサが入手できるようになると、もはや労働を苦痛として受けとめるから、こんどは労働という苦痛から逃れようとする。
 安楽の追求とは、ひとくちでいえば横着をきめこむことで、人間の現在の文明化という路線は、横着を徹底して追及しようとする願望にほかならない。…
 人間が横着をしたいとき、使われる側よりも使う側のほうが楽であるから、使う側にまわりたがる。職員は役員に、庶民は貴族になりたがり、なにもしないで生きていける立場に自分を置きたいと考える。
 文明の方向には理念の追求や、精神面の開拓、芸術、美術などいろいろあるが、これらすべて、ひまができてはじめてその存在を認識できる。しかしいちばん人間にもてはやされるものは、横着を助長することを保証する科学文明という方向であった。…
 人間が生物としての基本的労働をやめて、余った力を自分の好みの方向に使うことになるかというと、楽になったところでとどまって、スポーツは見る側にまわって自らは動かず、旅行とは乗り物が動きまわるものとなり、ケーブルカーが山登りするのに便乗し、…スキーは登りをやめてしまって滑るという後半だけのものとなった。
 洗濯は洗濯機、それに脱水機がつけば新しいものに切り替えなければ気がすまず、かつては下僕にやらせ、後進国での宗主国人ならば土着民を雇ってすませたような仕事は、今の文明国では労働力がないので、しかたなしに機械にその肩がわりをさせることで埋め合わせをする。
 はじめのうちの機械は人間の能力のほんの一部でしかなかったから、御主人がそれにつきそって働かされていたが、ついにはワンタッチですむようにまで横着化は進んだ。ひと声命令すれば下僕が動くところまで、もう一息だ。
 何十人かの下僕にかしずかれた王様が、まったく自分では動く必要がなかったのにくらべると、返事をするかしないかのちがいだけで、労力的には王様と少しもちがわないことをやってもらえる大衆が存在するようになった。
 日本人の1億の大多数が王様であるなら、もしその下にかしずく下僕がいたら、日本の国土には何十億の人間がひしめくことになる。それがいなくてすむだけでもたいへんな幸せだという考え方ができる。…
 日本に住む1億人は、使用人は人間でなくとも、まちがいなく1億人の王様だ。…
 まわりじゅう王様ばかりなのだから、やたらとまわりが気になって、体面維持は容易なわざではない。むかしのほんとうの王様のまわりには王様などはどこにもいなかった。
 日本人から見ると、アメリカ人あたりは自分たちより王様ぶりがよく、キング・オブ・キングスがやたらと住んでいるから、せめてあの程度にならなくちゃあと考える。…
 日本人は野次馬根性がとくに強く、オッチョコチョイだ。他人のよさそうなところを、自分とのちがいを深く考えることなく直輸入して、その結果がおかしくなったとしても、気にしない。日本人にとっていちばん気になるのはアメリカ人の生活である。
 …低級な味のものをパッと食べることができるシステムを近代的だと信じ、カッコいいという気になると、それを食べなければ時代から取り残されるようなあせりを覚えて、まずくてもまずいと思えず、これで幸せなのだと自分を納得させ、そのあげくうまさの感覚をも自分でたたきつぶしてしまう。
 使い捨てが現代人のすることだと、だれかが叫ぶと、自分の収入がどうであれ、…景気よく捨てることで満足した気になれる。…こういうやり方をすれば、あくせく働いて…買い込まねばならないから、ゆとりを作る方向ではなくて、ますますかけずりまわって人よりよけいに働かねばならず、ゆったり遊ぶ気持ちも出てこない。その遊びも、一流文明人はこういう遊びをやるものだといわれると、自分の趣味がどうであれ、いっせいにその遊びに突進して、血相かえてレジャーに取り組む。日本人には、この路線が身動きできない終点に着くまでは、絶対に心の平静が訪れなくなった。…
 モノに取りかこまれ、人にもっていかれないようにいつも気を配り、人情がうすれ、そして人間の究極の幸せとはこれなのだと、だれかに断言されれば、なるほど自分は最高の幸福をつかんだのだと満足して死んでいける。こういう日本人と太刀打ちできる民族はどこにもないだろう…
(引用ここまで)

 西丸氏は、このように科学技術文明というものはどういうものかをとても面白く表現しておられます。“日本人1億人みな王様”とは恐れ入りました、です。本書が書かれてから37年が経とうとしているのですから、それから随分と便利になった現代です。
(中略)
 もう一つ、西丸震哉氏の同著「食生態学入門」から抜粋します。
(以下引用)
 人間の心ーー適量の人数よりもはるかに多数が一定空間に生息すると、共同生活ができず、ぶつかりあってお互いにいらいらしてカラカラの世相となる。
 じつはこれは人間社会だけのことではなく、水槽内のグッピーの社会をみると、一定数になるまではふえつづけるが、限界を超えると親が子を追いかけまわして食うようになり、一定数以下になればこの闘争はやむ。…
 地球上に40数億人の人間が生存している…
 あまり聞かれない表現で、…人権を無視したと思われそうな方法だが、目方に換算してみると、約1億7000万トンとなる。単一の種の動物が地上にこれだけ生きているということは、生物の歴史のなかでごく当たり前のことだったかどうか。
 …クジラ類だが、…かつてもっとも多かったときにどのくらいの量になったかを推算してみると、全海洋で4500万トンぐらいであったと考えられる。つまり、人間の4分の1くらいでしかない。…
 (人間は)穀類を大量に作るようになったおかげで人口を増大させることが可能になって、これほどの人間量になったのだが、生物界でこれほどの量になるとき、その種の異常大発生という表現をする。イナゴやネズミの異常大発生は、一地域での特異的なものだが、今回の人間は全地球での同時大発生であるところにより大きな異常さがある。…
 …先進国が、さわぎとなるはるか以前に、人口を増やして、さんざん植民したあげく、後進国に人口を抑制しろといっても、その身勝手は反感をつのらせるばかりである。
 教育レベルを高めた大衆を保有する先進国で、その大衆が自発的運動として産児を減らそうとする傾向が増大するとき、人口増加率は減るが、人口が減るまでには20年以上を必要とし、…。
 後進国は生活レベルを上げながら、人口の増加率を落とすような器用な方法はなく、教育レベルを上げる努力が基盤にないかぎり、人為的に人口を調整することはできない。…
 人間の異常発生がもとで農業という作物の異常発生を極度に進め、病害虫の異常発生を起こし、農薬の異常多用によって人間の寿命にはね返らせるという循環によって、人間の異常発生が抑圧される段階が次に起こることになる。
(引用ここまで)

 西丸氏は、増えすぎた世界人口を「人間の異常大発生」と表現しておられます。そのとおりですよね。グッピーの社会と同じ。人間も一定数以下になればこの闘争はやむ、ということになりましょうが、中東やアフリカなどでの内戦は、とてもじゃないが一定数以下になりそうになく、永久に終わりそうにありません。(なお、「農薬の異常多用によって人間の寿命にはね返らせるという循環」は、西丸氏の別の書「41歳寿命説」で述べられていますが、これは単なる警告であって、当の本人もそこまでのことは思ってみえなかったようです。)
 日本社会においても、ますます大都市への人口集中、つまり「人間の異常大発生」によって、「適量の人数よりもはるかに多数が一定空間に生息すると、共同生活ができず、ぶつかりあってお互いにいらいらしてカラカラの世相となる。」という現実があります。
 それに輪をかけているのがSNSで、これが人々の生活に深く入り込み、人間関係をより複雑化し、ぶつかりあってお互いにいらいらさせているようでもあります。
 日本における「人間の異常大発生」の状態は永久に終わりをつげないでしょうから、日本人の精神疲労も相当なものになりましょう。
 これからの世の中、日本の王様たちが幸せに生きていくためには、いったん王様を止め、SNSを全部切ってしまい、過疎地へ逃げ込んで自給自足の生活でもするしかなくなってきたようです。そこまでのことはなかなか無理な相談ですが、少なくとも高度科学技術文明に振り回されるのではなく、それを最小限に上手に使いこなす、そうした生活を目指すしかないでしょうね。
(今日はここまで) 

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。うち1品は別のもの。1品はなし。3/6で50点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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9.8 パタッとなくなった農作業 [百姓]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 店の営業日でも早朝になにがしら農作業を強いられてきた。そうした日がこの夏、延々と続いていた。ところが、今朝は、何もするべき仕事がない。
 毎日収穫のキュウリと十六豆もしばしストップした状態にあるし、隔日収穫のオクラは昨日収穫。イチジクも収穫が終わった。今日行う収穫作業もなしなのである。
 よって、今朝はほっと一息。いつもなら、朝、野良着姿になるのだが、今日は最初から接客用の服装だ。
 朝6時には起きて、6時過ぎに店に入る。開店まで3時間近くある。ブログを打ったり、久しぶりに付いたコメントに返答したり、これも1時間ほどで終る。
 なお、3日前の記事に追記しておいたが、このブログのトラブルも今朝全面復旧した。不具合を照会した件について昨日回答があったが、ちょっとした操作で部分復旧したものの、自然復旧によるところが大きい。特に異常はないとの回答であったがゆえ。
 その後、店の雑用をこなす。時間はたっぷりあるから、急がず慌てず、ゆっくりゆっくり作業する。つまり、暇つぶし。久しぶりにセコセコせずにすんだ朝であった。
 毎日こうだと暇を持て余して嫌になるが、たまにはホッとできる朝をこうして楽しむのは実にいいものである。
 加えて、ここ1週間は連続して雨模様の天気である。いい具合に昨日で百姓仕事が一段落した。当面、ゆっくりした朝を満喫できる。有り難いことだ。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。うち1品は別のもの。他に1品。4/7で60点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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9.7 イチジクを食べに来たのはハクビシン? [百姓]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 今日でイチジク(ダルマティー:フランス原産)の収穫が終わり、鳥除けネットを外した。一昨年はまだ若木の小木でネットを張らなかったから、鳥にほとんど全部食われてしまった。そこで、昨年は鳥に突かれだしたところで鳥除けネット(10m角)を買ってきて張り、被害を防いだ。
 さて、今年、再び鳥除けネットを張り、鳥害を防ぐことにした。だがしかし、ネット近くに生ったイチジクは一部鳥に突かれたが、ネットから1m以上離れた、奥のほうに一部被害が出た。隔日収穫しているが、毎回、2、3個ないし4個程度は鳥以外の何か小動物に食われているのである。
 どうやら犯人はハクビシンのようである。隣のお寺にハクビシンが巣くっているという話は何年か前に聞いた。それを駆除したとも聞いたのだが、再び侵入したのか、寺以外に住み着いているのかもしれない。
 2、3年前には、うちでは被害がなかったが、近所でトウモロコシ畑で被害があったとのこと。トウモロコシがきれいに食われて、芯だけが残っているというもので、その芯は隣のお寺との境で2、3個見た。その犯人はハクビシンの可能性が高いという。
 そのハクビシンは甘い果物に目がないという。今日ネット検索してみたら、鳥除けネットが張ってあっても、その下部にちょっとした隙間があれば入り込むという。うちのイチジクの場合、大方はネットをピンと張り、所々に石で押さえてあり、鳥は絶対に入れない。でも、収穫に入る箇所辺りはネットの張りが弱く、鳥がくぐり込めないよう石で押さえてあるも、ハクビシンであれば入り込めるであろうから、そこから入り込み、甘い匂いがするイチジクを食べていった、ということで間違いないだろう。
 イチジクを隔日収穫しているが、一時は食べ頃の10個ほどを全部食われ、無収穫に終わったこともある。でも、張ったネットの奥のほうの毎回の被害は2、3個ないし4個程度だ。収穫は毎回少なくとも10個強はできていた。
 ハクビシンらしき小動物による被害率は全体では2割程度のものだ。ネット際の鳥としか思われない被害は初期に集中し、今は全くなく、全体では鳥害は1割を切る。
 犯人をハクビシンと決めつけられはしないが、その食べ方は、毎回2、3個ないし4個程度と、実におしとやかだ。この程度の被害であれば許そうじゃないか。
 毎日女房と二人でたっぷり食べ、生りすぎたときには何人かのお客様にも差しあげることができた。収穫総数は百数十個はくだらないだろう。十分に堪能させてもらえた今年のイチジク・ダルマティー。鳥やハクビシンにもお裾分けできた。彼らたちだって何か食わなきゃ生きていけないのだから、3割ほどの被害は大目にみてやろうじゃないか。
 今日、最終収穫し、来年も豊作を祈って、ネットを外したところである。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
3品思い出す。正解。100点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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9.6 雨前に種蒔き完了 [百姓]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 半月遅れで猛暑がやってきた今年、まだまだ猛暑が続いている。そろそろ種蒔きしたい冬野菜があるが、猛暑が続くなかで種蒔きすると土の表層がすぐ乾いてしまい、毎日水やりせねばならぬ。そんな手間がかかることはしたくない。
 週間予報を見ていると、明日は台風10号の影響で丸一日雨だし、その後も天気が悪い日が続く。よって、今日が種蒔きするに最適な日である。
 例年9月10日頃に種蒔きする大根とホウレンソウ第1弾。自宅前のホウレンソウは畝の準備ができているが、須賀前の大根の畑はまだだ。急ぎ昨日から大根の畝づくりに着手し、今朝完成させた。
 そして種蒔き準備。土が乾いているから作業が楽だ。どちらも、まずは畝の峰を均して鍬で軽く転圧し、まっ平らにする。スイスイと作業が進む。こうしないと、種が一箇所に偏るから必須の作業。
 ここでやっと種蒔きができる。あとは簡単。最後に軽く覆土し、鍬で軽く再度転圧。
 土が乾いているから、今日は芽吹きがストップしたまま。でも、明日の雨以降、順調に芽吹いていってくれる。その後、週間予報からして土が乾くこともない。
 有り難や、お天道様。

 それにしても今回の台風の進路予想はスゴイ。まだ熱帯低気圧であったとき、超大型の台風になる恐れがあるとして世界各国の予想進路が図示されていた。九州の西海上から紀伊半島あたりへやってくるという10本以上の予想進路。一番右のルートをたどると伊勢湾台風に近似する。
 弱ったもんだと案じていたが、台風になって最初に示された気象庁の予想進路は、当初の一番西のルートに近い。そして、ずっと予想進路は変わらず、今夜鹿児島に最接近。当地岐阜は明日“微風”が吹くだけだから、なんも対策せずに済む。
 しかし、気になることがある。息子の嫁さんの実家が枕崎。その100km西を通過したとのことだが、海風をもろに受けるだろうから心配だ。アメダスの記録を見ると19:49最大瞬間風速45.9mとある。もっとも枕崎は台風銀座にあり、建物は当初からそれなりに考えてあろうから(一度だけ訪問したが平屋建てでしっかりした建物に見受けられた)さほど心配はなかろうが。何事もなかったことを祈るのみ。 

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。うち1品はなし。4/5で80点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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9.5 ブログがなぜか“半公開”になってしまった [日々雑感]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 このブログ(別立てのSSブログも同様)を書き上げて投稿し、管理画面では公開できたことになっていても、ブログを開いてみると、2、3日前の記事までしか載っていない。これに今朝気が付いた。
 原因は、投稿(下書き保存も)したとき、いつも「ただいま記事投稿中です。他の操作を行わないで、しばらくお待ちください。」という案内が出るが、数秒もすれば「保存できました」と案内される。それが、いつまで経っても何の変化もないのである。数日前からそうなのだが、どうやら、これが原因していそうだ。過去にもまれにそういうことはあったものの支障なかったのだが、今回はずっと続いている。
 ブログのトップページは2、3日遅れで「公開」になる感じだ。もっとも、カテゴリーをクリックすると今日投稿した記事が現れる。
 左カラムの「最新記事一覧」は8月26日どまりになっているし、「月別表示」も8月27件とおかしな数字になっている。これをクリックすると8月30日までの記事が現れるが31日の記事は出ない。なお、「月別表示」9月は無表示だ。
 ブログがなぜか“半公開”になってしまったのである。
 その旨をメールで問い合わせたところであるが、今日は土曜日だし、込み合っていて即答できないことがある旨の断り書きもあった。週明けまで待つしかない。
 何本か立てているSSブログは、半分自分のために書いているから“半公開”であってもあまり困らないものの、ちょくちょく覗いてくださる読者も何人かおられ、そうした方々に迷惑がかかるから、なんとかスムーズに記事公開されないかと願っていることろです。
(9月7日追記)
 今日のお昼過ぎに、問い合わせに対する回答が来た。特に問題はないということであったが、一つ操作方法を教示いただき、早速それをやってみた。それが功を奏したのかどうかわからないが、夕方にはブログ表示は正常に戻っていた。ただし、「ただいま記事投稿中です。他の操作を行わないで、しばらくお待ちください。」という案内は出っ放し。もっとも、1分程度そのままにした後、他の操作をしてしまうが、問題なく済んでいる。やれやれ、である。
(9月8日追記)
 今朝投稿したら、完全に正常化し、幾秒も経たずに「記事の投稿が完了しました。」となった。やれやれ。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
外食につき脳トレ休み

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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9.4 科学技術の大発展がもたらすもの(その5) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 「科学技術の大発展がもたらすもの」第1回は「世の中便利になれば余暇時間が増す?」、第2回「情報の洪水」、第3回は「タケコプターの時代は来るか」、第4回は「医療は進歩するか」について書いたが、今回は「食糧資源はどうなるか」と題し、思いのままを綴ることとする。

食糧資源はどうなるか
 動物という生き物は、植物か他の動物を食べないことには生きていけない。そして、動物は、一時的に数が減っても、生息限度いっぱいいっぱいまで直ぐに生息数を増やしてしまう。生息数の限界は、メスが栄養不良で妊娠できない状態とイコールとなる。
 人間に関しては、古代文明が開化して以来、ずっと異常増殖してきている。人間はその人口圧により、自らの努力によって食糧を人為的に増産し続け、生息数を大幅に増やしてきた。しかしながら、食糧が十分に確保できたためしはなく、人類は古代文明が開化して以来、ずっと飢餓との戦いで明け暮れている。
 古来、世界的な戦争、それは大量殺戮と略奪であるが、これは世界的な食糧危機が訪れたときと一致し、いずれも寒冷化が原因している。寒くなれば、農産物の出来が悪くなるのであり、家畜も数を減らすのであり、餓死する者が当然に出てくるからである。
 近年の人類の異常増殖はアフリカなど低開発国で著しい。これは、先進国の食糧援助と医療支援が原因だ。この2つの“人道支援”でもって、より悲惨な状態を醸し出していると言っていい。高温多湿な地域にあっては、植物資源は豊富にあり、その分人口密度は高くなり、感染症(風土病)が蔓延し、幼児は貧栄養と免疫力のなさで死亡率は極端に高くなり、それでもって人口調節がなされてきたのであるが、ユニセフのテレビCMのようなことをやっていれば、幼児死亡率が大幅に低下し、人口爆発を起こし、より悲惨な局地戦争(人為的な手当たり次第の口減らし)を招くしかないのである。
 高度に文明化した先進国では人口は減少傾向にある。その原因は、子息に高等教育を付けさせるには金がかかり、少子化するしかないからと言われるが、これはそうではなく、原因は別にあるのだが、それはさておき、高度文明社会になれば人口増加が止まるのは事実であり、アフリカをはじめとする低開発国が全て先進国の仲間入りせねば、人類の異常増殖は止まらない。
 その抜本的解決法は「教育支援」であり、まずは子ども全員が初等教育を受けられる体制を敷くべく各種支援に積極的に乗り出し、次に、希望する若者には皆、高等教育を受けられる体制を構築するべく支援を惜しまないことにある。ユニセフの“人道支援”は止めて「教育支援」に切り替えるべきであり、食糧問題と医療問題は低開発国各国の自力で対処させるべきである。
 こんなことは、とっくに欧米各国は知っているのであるが、低開発国が内戦や隣の国と紛争を起こし続けているほうが(いつまでも低開発国にとどまり続けているほうが)何かと都合がいいから、紛争の種を摘まないように“人道支援”を続けているのである。日本人とは違った善悪の価値観の相違がここにある。日本政府高官も、このことを知っていながら、対米従属からして、“人道支援”から「教育支援」への変換はできないでいる。戦前において、我が日本が併合した台湾と朝鮮に対して、まず取った最大の施策は「初等教育の充実」であったことを思い起こしてほしい。 

 話が随分と横道に逸れてしまったが、人類の異常増殖は残念ながら将来的にも容易には止みそうにない。ずっと食糧危機問題は懸案課題となり続けるだろう。
 今の地球は幾分か温暖化の傾向にあるようだ。世間で騒がれているほどに温暖化はしていないのが現実のようだが、歴史時代(過去2千年余)を振り返ってみると、温暖化・寒冷化は、数十年ないし百~2百年ごとに不規則的に繰り返してきている。現在の温暖化傾向は数十年続いているから、何年もしないうちに寒冷化するかもしれないし、近い将来必ずそうなると覚悟した方がいい。
 寒冷化したらとんでもない食糧危機となろうから、この問題の解決法が見つかるまでは、ドンドン化石燃料を焚いてCo2をバンバン大気中に出しつづけ、地球を暖め続けねばいかんのである。もっとも、そうしたところで、どれだけも効果はなかろうが。
 だがしかし、メタンの温室効果は二酸化炭素の10倍、フロンガスは1万倍というから、そうした物質を大気中に大量放出して寒冷化を乗り切る技術が開発されるかもしれないし、ぜひそうあってほしいところである。

 これまた脇道に外れてしまった。
 さて、本題の食糧資源の拡大であるが、地球上の農耕に適するところは既に開拓済みといっていい。穀倉地帯などは元々は全部森林であった。平坦地の森林を切り開いて農地にしたのであり、もはやそうした土地はほとんど残っていないのである。
 そうしたことから、穀類・豆類は今以上の生産を上げることは事実上不可能だ。もっとも、遺伝子組み換えを行なっての増産はある程度可能であり、耐寒性の強い品種も開発され、どれだけかは寒冷化による減産にブレーキがかけられよう。もっとも、世界的に寒冷化対応の動きが出てこないことには、事が進まないが。
 なお、寒冷地に適した穀類がある。米や麦が育たなくても「キノア(キヌア)」であれば育つ。南米アンデスで自生しているホウレンソウの仲間で、大粒の種がたわわに実る。数十年前、地球の寒冷化対策が真剣に考えられた頃、日本でも試験栽培され、大きな実績を上げている。
 野菜については、その付加価値からして、将来的には工場生産が可能となろう。野菜は畑を必要としないのである。今、軌道に乗っているのはモヤシとキノコぐらいのものだが、政策的に初期投資を補助すれば大量生産が可能で、これは天候に左右されず、今現在の需要の何倍も生産可能となる。
 畜産については、豚や鶏は人間の食糧とバッティングし、特に豚は忌み嫌われる。人間と豚の食糧は全く同じだし、飼育するのに水をけっこう使用するから、乾燥地帯で誕生したイスラム教では“豚は食うな”という厳しい戒律を付している。牛はその点違うのだが、牧草がそうそう手に入らないから一部人間と同じ食糧を使っている。文明が高度化し、豊かになると肉食になる傾向が強くなり、食肉需要はますます高まり、穀類・豆類が畜産に回される割合が増えてくる。現在、既にその傾向がある。
 これを解消するには「人口肉」しかなく、数十年前から研究されているが、近年、この研究が加速した。筋細胞の培養による筋肉製造であり、工業生産による食肉供給である。やがて、これは実現するだろう。原料となるアミノ酸なども工業生産が可能であり、人間の食糧とバッティングしない。
 魚はどうであろう。現在、一部養殖が行われているが、それは高級魚についてであり、その餌は廉価な魚を加工したものだから、養殖が大幅に増えても、捕獲する魚の総量は変わらない。また、世界的に魚を食う文化が広まりつつあり、海洋食糧資源が枯渇する傾向にある。
 本格的な食糧危機となった場合、食物連鎖の上位にある魚(クジラはじめ海洋哺乳類を含む)を一網打尽にすれば、人間の口に入る海洋食糧資源は大幅に増えよう。捕獲対象外となるのはヒゲクジラ(動物性プランクトンを常食)とハクジラのうち深海のイカをもっぱら食べるマッコウクジラやハナゴンドウなどとなる。マグロも食物連鎖の上位にあるから天然物は絶滅させ、養殖魚だけでの供給になる。白熊が困るであろうが、アザラシも絶滅させる対象となる。
 随分と絶滅種がでてくるが、寒冷化の危機を乗り切るには、環境保護などど言っておれないのである。なお、生息数は少ないがラッコも贅沢に貝類をむさぼっているから、絶滅させるべき動物である。
 ついでながら、シシャモは日本人が食べる程度のものであるが、子持ちシシャモしか利用されない。その昔、オスのシシャモを食べたことがあるのだが、オスのほうがうまい。食糧難となれば、オスのほうも当然に食用となる。そろそろオスのシシャモが市場に出てくれないかなあ、小生だったら子持ちよりもオスのシシャモを買うのだが。
(今日はここまで) 

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
4日前を思い出す。0点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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9.3 科学技術の大発展がもたらすもの(その4) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 「科学技術の大発展がもたらすもの」第1回は「世の中便利になれば余暇時間が増す?」、第2回「情報の洪水」、第3回は「タケコプターの時代は来るか」について書いたが、今回は「医療は進歩するか」と題し、思いのままを綴ることとする。

医療は進歩するか
 医療が一番進んでいる国は中国であろう。2千年超の歴史を誇る中医学(漢方)に近代西洋医学を組み合わせての治療技術ゆえ、鬼に金棒、と言いたいところだが、あまりに西洋医学が間違っているから、逆戻りしている感がしないでもない。
 そもそもの中医学は、広大な中国大陸5地域の食と気候風土の相違によるところの各地特有の治療技術を総合化させたものであり、漢の時代(紀元前)に基本古典医学書「黄帝内経」が完成している。
 黄帝内経のうち素問 異法方宜論篇(其ノ十二)には次のようにしたためられている。(一鍼堂さんホームぺージより寸借)
黄帝(架空の人物で皇帝)が問う。「医師が疾病を治療するとき、同じ病気に対して各種の異なる治療の方法があり、そのいずれの場合でも結果的には治療しうるということは、どのような道理によるものであろうか。」
岐伯(上医:皇帝の御側付きの名医)が答える。「それは、地理、形勢の相違によって、治療方法にも各おのにふさわしいものがあるからです。」
(引用文が長いので、要点を示せば、東方:瀉血療法(切開術)、西方:漢方薬療法、北方:灸療法、南方:針療法、中央:按摩療法が発達した。)
「たとえば、東方の地域は天地始生の気を得て、気候は温和で、魚と塩とを産出する地方であり、 海浜にあって水に接近しています。東方の地域の人たちは、魚類をよく食べ、鹹(塩)味を好み、この地方に安住して魚塩を美食としています。しかし、魚類を多く食べますので、魚の性が火に属することにより、人は中に熱を累積するようになります。また塩を多く食べますので、鹹が血に走ることにより血液が消耗損傷するようになります。そこで東方の地域の人たちは、いずれも皮膚の色は黒く、肌のきめは粗いのです。この地域では癰瘍の類の外科的疾病が多発します。これらの病気に対する治療法としては、砥石刺法を用いるべきです。それゆえ、砥石の治療方法は、東方より伝来したものです。」
「西方の地域は、山が多く荒野・砂漠が広がり、たくさんの金属・宝石を産出し、また砂や岩も多くあります。この地域の自然環境は、秋季の気候状況によく似ており、自然界には一種の物を引きしめる現象があります。西方の地域の人たちは、山陵に住み、住居は簡単で風に吹きさらされ、その水土も剛強な性質をもっています。彼らの生活では、衣服について深く考えるようなことはせず、毛布を身につけて、草でつくった寝床で眠ります。しかし、食生活は〔ぜいたくで〕新鮮でおいしい乳製品や肉類をとるために、身体は肥えており、外邪によって容易に侵されるようなことはありません。彼らの発病の多くは内傷に属し、これらの病気に対する治療法としてはすべて薬物を用いるべきです。それゆえ薬物療法は、西方より伝来したものです。」
「北方地域の自然界の気候は冬季の状況によく似ており、閉し蔵める気象を有し、地形は比較的高く、人々は山陵に住み、普段は風が冷たく氷の張る環境の中にいます。北方地域の人たちは、遊牧生活を好み、四方の原野を仮住まいとし、食べものはみな牛・羊乳製品です。そこで、内臓が寒を受け、張満の疾病を生じやすくなります。これらの病気に対する治療法としては、艾を用いて焼灼すべきです。ですから艾灸による焼灼療法は、北方より伝来したものです。」
「南方の地域は、自然界の万物を生長させ養う気候に富み、陽気が最も旺盛な所です。地形は低く、水土が薄く弱いので、霧や露が常に発生します。この地域の人たちは、酸味と発酵させたり煮たりした食品をよくとり、身体の皮膚はきめが細かくて赤味を帯びています。ここでは筋脈の拘急、しびれて感覚がなくなるほどの疾病が多発します。これらの病気に対する治療法としては、微鍼を用いるべきです。九鍼による治療法を、南方より伝来したものです。」
「中央の地域は、その地形は平坦であって、湿気が多く、産物は豊富であり、人々の食物の種類はとても多く、生活も比較的安定しています。この地域では、痿弱・厥逆・寒熱などの疾病が多発します。これらの病気に対する治療法としては、導引・按蹻の治療方法はまた中央から拡まっていったものです。」
「以上のことから考えると、聡明な医師というものは、これらの多くの治療方法を総括して、具体的な状況にもとづいて、臨機応変に対処できる人です。そこで、治療方法には各種それぞれ相違がありますが、結果的にはすべて治癒できるのです。これは医師が病状をしっかりと理解でき、さらに治療の大原則を把握しているからに他なりません。」
(引用ここまで)

 もう一つ中医学で重視するのは「未病(みびょう)」である。引き続き一鍼堂さんホームぺージより寸借する。
 重要キーワード「未病」についてですが、『黄帝内経 素問』ではどのように書かれているのでしょうか?書かれているあたりの記述をみてみましょう。
『黄帝内経 素問』
四気調神大論篇(第2)の一番最後より
<原文と読み>
従陰陽則生、逆之則死。
(陰陽に従えばすなわち生き、これに逆らえばすなわち死す。)
従之則治、逆之則乱。
(これに従えばすなわち治まり、これに逆らえばすなわち乱れる。)
反順為逆、是謂内格。
(順に反するを逆となし、これを内格という。)
聖人不治已病、治未病。不治已乱、治未乱、此之謂也。
(聖人、已病を治さずして、未病を治す。已乱を治さずして、未乱を治すとは、これをいうなり。)
夫病已成而後薬之、乱已成而後治之、
(それ病すでに成りて後にこれを薬し、乱すでに成りてこれを治するは、)
譬猶渇而穿井、鬪而鋳錐、不亦晩乎。
(たとえれば、なお渇して井をうがち、闘して錐を鋳るがごとし、またおそからずや。)
———————————————————————————
 ここで、真ん中の4行目に「未病」が出てきましたが、そもそも「未病」とは「いまだ、病ならず」と読んで、「今は病気が発症してないけれども、いずれ発症する状態」という意味になります。また、「未病」と対比して「已病(いびょう)」というキーワードが出てきてますが、これは「すでに、病たり」と読んで、「もうすでに病気が発症している状態」をいいます。
 上の原文で真ん中ぐらいに 「未病」と「已病」の両方が出てきている文章がありました。大事なので、もう一度そこだけ抜粋しますと
聖人不治已病、治未病。不治已乱、治未乱、此之謂也。
(聖人、已病を治さずして、未病を治す。已乱を治さずして、未乱を治すとは、これをいうなり。)
 ここで、主語が「聖人」とありますが、「聖人」とは東洋医学のヒーローのような人のことで、 養生をしっかりと守る、そして他人にも説いて病気を予防させるような健康のスペシャリストのようなイメージです。
 未病と已病とを『素問』では井戸や戦いくさにたとえて説明されていますが、これをもう少し掘り下げてみます。
 戦が始まってから武器を造ることを考えるのは確かに遅すぎますが、事前に準備するのは武器を調達することだけではなく、その武器を使いこなせるように兵士を訓練することが必要であったり、兵士が足りなければ徴兵することも必要であったり、どの部隊に兵士を配置するのかを決めたり、など、やるべきことが沢山あります。
 何かやりたいことがあれば、そのやりたいことのために必要な準備などが出てくるのはどんな事にもいえることです。未病を防ぐ・取り除いておくという内容ですが、解釈を少し拡げ、自分にとってやらなければいけないこと、やっておいた方が良いことなどを普段から意識して取り組んでおくこと、そのような意識をもつことが重要だ、という内容にもなってきます。
(引用ここまで)

 基本古典医学書「黄帝内経」から2点取り出して紹介したが、これは現代の中医学でも根幹をなしており、これなくして治療も予防もできない、根本医学・根本健康学である。そして、免疫力を養うことに重点を置いているのも中医学の特徴だ。 
 一方の西洋近代学は感染症と外傷の治療に目覚ましい、目立った治療法を発展させた。つまり戦争、戦争また戦争というヨーロッパの戦乱の中から必要に迫られて発達させた「野戦病院の医学」であり、対象とする患者は質実剛健な戦士である。
 感染症に対するワクチンや抗生物質の開発は目覚ましいものがあり、これは平時においても大変役に立つ。外傷については消炎鎮痛剤、麻酔薬の開発、輸血、外科手術の高度化といった、これも平時における外傷治療に大変役に立っている。
 しかし、それ以外の疾病については単なる対症療法(熱が出れば解熱剤、むくみが出れば利尿剤といった措置)しか持ち合わせておらず、単に症状を消すのみで疾病の原因を治そうとはしない。よって、根本治癒には何も手を差しのべず、個々人の自然治癒力に任せるのみとし、これに関しては医療の対象外とするのである。
 その根底には、適者生存、自然淘汰の考えがあり、虚弱で病弱な人間は自らの自然治癒力が弱いのだから早死にするはやむなし、で済ませてしまう文化がある。これは、老人介護では良い方向に働く。つまり、自力でスプーンを使って食べられないほどに虚弱な体になったら餓死するしかないと、放置して自然死させるのであり、日本のような寝たきり老人なるものは存在しない。
 西洋医学の本質はこのようにいまだ野戦病院の医学ゆえ、今後ますます増大するであろう生活習慣病には全く太刀打ちできない。がんがいい例だが、がん細胞を切除したり放射線で焼き殺したり、散ったがん細胞を抗がん剤で叩くといった、副作用でどれだけ苦しもうとも、何でもいいからがん細胞をゼロにすればいい、という考えで医療に取り組むから、もぐら叩きゲームで終始する。がんができる根本原因は何か、がんと共生する(西洋では考えもしないことだが)にはどうしたらいいのか、ということは検討の対象外にされてしまうのである。
 戦後の高度成長期から始まった花粉症や各種難病についても、対症療法しかしないから、決して治癒しない。根本原因を知ろうともしない(知ろうとしても、その技法を持ち合わせていない)西洋医学である。高度成長期から始まった新たな生活習慣といえば冷蔵庫文化であり、冷たい物中毒がゆえに全く新しい疾病の登場と考えるべきものであるのだが、それを主張する学者はゼロに等しい。加えて、そのような“とんでもない学説”は、嫌悪され、無視され、相手にされない。
 こうしたことは、学問の世界に共通するのであるが、特に医学にあっては、従前の説に基づいて治療されてきた方法が否定されるとなると、その治療法により体を害した(最悪は死亡した)患者から訴えられることにもなり、新説(=正しい学問)を認めるわけにはいかないのである。
 加えて、欧米や日本での医療は、資本主義経済の下における営利主義を取らざるを得ず、これに製薬会社の営利主義が密接に関与し、あらゆる病気は簡単に完治してしまっては困るのである。様々な病気に関して、無駄な検査を積極的に行い、しなくてもいい手術をし、かえって害になるような薬を多用し、不健康な状態を持続させ、患者は再検査、再手術、再投薬といった儲け仕事の材料にされるのである。
 こうした経営方針の下にある医療なのだから、どれだけ科学技術が大発展しても、どれだけ高度な医療技術が施されても、あらゆる病気は治癒しない(治癒させない)運命にある。資本主義経済の下における営利主義がそうさせる。
 その点、中国は共産党の下にあり、新説(=正しい説)の下に、簡単に治癒させてしまう技術を一気に導入することが可能であるのだから、それに大きな期待が寄せられる。ところが、中国の経済発展も資本主義経済を導入したからであって、医療においても何よりも儲けることを考えるから、欧米や日本と大同小異になってしまったことだろう。もはや中国においても、岐伯のような名医の出番はなくなってしまう、そのように危惧されるところである。
 資本主義経済は、科学技術を大発展させるのに非常に適した経済的仕組みではあれど、それは利潤の追求という大前提の下になされるものであり、利益が生まれず、逆に利益を失うことになる新たな革新的技術というものは抹殺され、闇に葬られるのである。往々にして、それら革新的技術というものは、新たに発見された正しい学問によるところが大きいのだが、そうした正しい学問も先に言ったように同様な運命にあるのである。
 スマホがますます便利に使え、ドローンが何でも運んでくれるといった科学技術の大発展による恩恵は幾らでも受けられる一方、医療はますます金がかかるも、いっこうに病気は改善しないばかりか病気で苦しむことが多くなる未来である。
 資本主義経済に代わる何か新しい経済システム、それは共産主義経済とも違った、それはどんなものか分からないが、遠い将来において、人類の英知でもって作り出して初めて、停滞し続ける医療が大きく前に進むことだろう。
 そうした経済システムが動き出せば、「がんは放っておけばいい。血圧は高くてかまわない。コレステロールは血液検査から除外して無視すればいい。」となり、よけいな薬を飲まされずに済んで、それだけでも人間は健康になれるのである。
 インフルエンザや旧型コロナ風邪そして今般の新型コロナ風邪だって、そのウイルス性の感冒は、未来永劫そのウイルスの特性からして、基本的にいかなる治療薬でもってしてもウイルスを殲滅できないのであり、唯一の治療法なるものは患者自身の自然治癒力しかなく、「医者にかからず布団をかぶって寝ておれ」が基本になるのであり、これを第一にするしかない。これらも「放っておけばいい」の部類に入る。
 糖尿病がますます増えるのは目に見えている。世の中便利になればなるほど体を動かさず、飽食する。自然の摂理は、動物はずっと飢餓との戦いをしてきたから、それに対処する術をしっかり保持しているのだが、飽食は未経験だから対処のしようがないのである。
 でも、これは案外技術的に簡単に対処できよう。人間というものは腹八分(もっと少なくせねばいかんだろう)で我慢できるわけではないから、今、米国で胃袋を半分にしてしまうという手術が行われているが、これでもって絶対的に食べられないようにするという荒療治である。こんな大袈裟な治療をせずとも、胃の中にバルーンを入れ、食べたらバルーンが膨らみ、2、3時間したらバルーンが縮む、といったものは今の科学技術では不可能ではあるが、そう難しいことではなく、将来においては皆がこうしたものを胃袋に入れ込むであろう。こうして糖尿病は克服される、そのように考えられる。これは資本主義経済下で可能な技術開発だ。
 もう一つ西洋医学で将来期待される、夢のような医療技術が「再生医療」である。臓器移植はたいていの場合拒絶反応を伴うが、iPS細胞などによる臓器新生にはそれがない。自身の細胞から作られるものだから、免疫反応が起こりようがないからである。劣化した臓器を新品の臓器に取り換える、つまりサイボーグ人間の誕生であり、これが行きつくところまで行きつけば不老長寿となる。はたして、こんなことが可能だろうか。
 「腸は考える」と言われるように、臓器一つひとつに心があるようだ。そして、臓器同士はその心でつながっているように思われる。「心身」という言葉があるように、「心」と「身体」は一体のものであり、人工的に作られた臓器が突如入り込んできて、はたして「心身」が健康に保たれるのか、この壁は厚いように思われるのであるが、なんとかしてこの壁を乗り越えてほしいものだ。かなり難しいと思われるが、「臓器の心」が解明されれば、これは可能となろう。
(今日はここまで) 

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。うち2品は別のもの。他に1品。3/8で40点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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9.2 科学技術の大発展がもたらすもの(その3) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 「科学技術の大発展がもたらすもの」第1回は「世の中便利になれば余暇時間が増す?」、第2回「情報の洪水」について書いたが、第3回は「タケコプターの時代は来るか」と題し、思いのままを綴ることとする。

タケコプターの時代は来るか
 ドラえもんに出てくるタケコプターは反重力を利用しての非常に便利な移動手段であり、ぜひ将来実現させてほしいものであるが、相対性理論の枠外にあるから、それを超える新理論を待たねばならぬ。よって、もし実現しても、遠い遠い未来のこととなろう、架空の夢物語である。
 しかし、今の技術でドローンがあるじゃないか。
 テレビで自然物や動物物を良くみるが、昔はヘリコプターにカメラを積み込み、震動防止装置を取り付け、苦労して撮影していたようだ。よって、狭い区域に入り込んだり、動物に接近することができず、迫力ある微細な映像は見ることができなかった。でも、今はドローン撮影が主になって、これが実現した。
 ドローンの技術は日進月歩でどんどん性能がアップしてきている。中国企業がダントツに優秀で、世界シェアの過半を握っており、米軍までもが一時採用した。これが5Gとの組み合わせで、さらに機能アップする。
 近い将来、ドローンが人間を運ぶ、つまり自家用車やタクシー代わりになりはせんか。それは夢物語ではないだろう。それも、近距離だけではなく、遠距離も。そして、ドローン空中衝突という交通事故の多発、と単純に考えてしまうが、これは5Gによってたいてい防がれるだろうし、近い将来6Gになるに決まっているから、交通事故もますます有り得なくなる。
 空を見あげれば、赤とんぼの大群かと思いきや、ドローンが飛び回っている、それも人をぶら下げて、といったことになろう。通勤通学もドローンとなり、駐車場はドローン置場に代わる。そして、リニア中央新幹線が開業した頃には、リニアなんて無用の長物となっているやもしれない。飛行機にしたって、近距離は飛ばなくなり、超遠距離が中心となりはしないか。
 観光旅行も様変わりする。いい景色が自由自在にドローンで見られる。ただし、富士山を上空から眺めようと殺到してドローンで大混雑。“大型赤とんぼ”にかすんでしまって富士山が見られない、なんて状態になってしまうだろうから、乗り入れ規制がかけられる。富士山以外についても、地上からいい景色を眺めようとする者は、“大型赤とんぼ”が邪魔になって、らしい景色が楽しめず、これまた各地で乗り入れ規制がかけられることとなろう。
 ドローンの登場によって、人や物の輸送手段は大きく様変わりし、ドローンがますます速く便利な輸送機関となるのは間違いなかろう。そして、これが行きつくところまで行きつくと、道路・鉄道網が不用となるから、都市の姿も一変する。
 かくして、我々の日常生活もドローンなしでは語れなくなるに違いない。自転車も不用。自家用車も不用。要るのは一人一台のドローンであり、遊びに行くときは2人乗り、4人乗りのドローンをチャーターすればいい。それ以上の人数となればドローン2機のチャーターだ。
 今、エコカーだの電気自動車だのと言っているが、遠い将来には、自動車を見るのはサーキット場だけとなろう。自転車も競輪場だけ。
(今日はここまで) 

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
3品思い出す。他に1品。3/4で75点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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9.1 やっと猛暑から解放される [日々雑感]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 熱帯夜はまだ続いているが、連日の猛暑は昨日で終ったようだ。
 今年はお盆から猛暑日の連続で、半月遅れで暑くなり、通常ならお盆からは幾分とも涼しくなるのだが、ひどい残暑となった。
 やっと今日、さすが9月になったからだろうか、最高気温は33℃台に終わり、昨日と比較したら“涼しい日中”とさえ感じたくらいである。
 こう猛暑が遅くまで続くと、店頭に飾ってある草花のプランターもみすぼらしくなり、“熱中症”で枯れるものもだんだん出てきた。
 当店連休明けの今朝、外に出してあったプランターの手入れをしたのだが、ベゴニアは花を付ける元気が全くなくなってほとんど花を付けておらず、1プランターに2株植えているも1株は枯れて1株だけ辛うじて生き残っているというものが多くなった。
 日日草はわりと元気だが、今朝2株が枯れてしまっていた。
 草花たちも、長引く暑さには耐えられなくなったといった感じで、何とも哀れだ。
 ヤーコンの鉢植は1週間ほど前までは何とか元気でいてくれたが、先週末から葉の色もくすんできて、自宅の半日陰で養生している3鉢はほとんど枯れ、店頭に飾ってある鉢だけが何とか生き残ってくれているという状態。
 でも、今日で猛暑もお仕舞い(そう願う)だから、これ以上ダメージを草花たちも受けないであろう。なるべく早く元気を取り戻し、花をたくさんつけてほしいものだ。ヤーコンも新しい若葉を出してほしい。
 例年になく痛めつけられた店頭の草花たちであったが、今日はほっとした気分でいよう。明日以降も今日程度以下の暑さで終ってほしい。お天道様よろしく。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
4品思い出す。うち2品は別のもの。1品はなし。1/6で20点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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8.31 科学技術の大発展がもたらすもの(その2) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 「科学技術の大発展がもたらすもの」第1回は「世の中便利になれば余暇時間が増す?」を書いたが、今日は第2回「情報の洪水」と題し、思いのままを綴ることとする。

情報の洪水
 小生のメインブログ「薬屋の…」で、ちょっとした解説記事を書くに当たって、随分と何冊もある蔵書の中から関係部分を探し出したりして書くことが多いのだが、それだけでは情報が足りず、ネット検索して、これはという情報が見つかれば、それを織り交ぜて記事にすることが多い。それが、年々ネット情報に頼ることが多くなった。
 ネット検索していると、そりゃあスゴイ。よくもまあこんなに情報があるのかと感心させられるというか、あっけにとられる。
 ところが、ネット情報は玉石混交(「玉石混合」だったっけ? これも検索で一発で分る)というか、誤った情報がいかにも多すぎる。どれが正しいのやら、さっぱり分からなくなることもある。また、正確にはどうなのかを調べようと思っても、似た情報というものは、ある所が発信源で、それを流用しているものが多かったりする。こうなると、もう何ともならない。念のためウイキペディアはたいてい覗いてみるのだが、通り一遍、無味乾燥といった解説が多く、役に立たないし、政府の方針に沿ったバイアスがかかっており、間違った内容がけっこう多く、いただけない。
 やはり正確な情報を得ようとするならば、ちゃんとした本を買い、有料の文献検索サイトを利用することだが、そこまで熱心に取り組む勇気は小生にはもうない。
 小生が立てているブログは今9本あり、店のホームぺージを加えると10本にもなり、その情報量となると、何十冊かの本と同量となろう。よくもまあこんなに書いたものだとあきれる。いかにもやりすぎ、といった情報量である。大した内容ではないのに。
 どんなホームページもブログもニュースのサイトも、おしなべて小生が立てているものとたいして変わりないだろうから、情報の洪水もいいとこだ。
 検索エンジンもどんどん改良されているようだが、なかなか思ったようなものが引っかからない。どうでもいい情報の中に個性的な情報が埋もれてしまうような感じがするが、そうした個性的なものが浮かび上がるような検索エンジンに改良してもらいたいところであるも、そう事はうまく運ばんだろう。ここのところは、“上手な検索の仕方セミナー”なんてなものがあって、それに参加して勉強せねばいかんだろうが。
 ここまでは文字情報についてであるが、最近は画像(特に動画)が爆発的に広がってきている感がする。画像はウソをつかないと思いきや、巧妙に捏造されたりしてるから、とんでもないがさネタをつかませられたりするから、甚だ危なっかしい。
 情報全体について言えることは、何らかの色が付いていることである。政府方針、業界方針に乗っかっていたり、売らんがため、営利のため、という情報が多すぎる。

 ここまでは情報を得ようという能動的な面での諸問題についてであるが、受動的な情報取得については、また違った問題が生ずる。
 マスメディアは、情報を早く伝える順番から言うと、昔はラジオ・テレビ・新聞・週刊誌であった。この中で内容が十分吟味され、かつ、迅速性があった報道が新聞であり、けっこう信用が置けたものである。何日か遅れざるを得ない週刊誌は、その内容は奇をてらったり、面白おかしなものに変質させたものが多かった。
 近年は、最も早く情報を伝えてくれるのはネットニュースとなり、それも各社争って早く報道しようとする。よって、正しくない報道がなされたり、誤解を生む内容だったりし、正確性は犠牲にされる。
 何時間か後に放送されるテレビとなると、映像で勝負だとばかり、どぎつい画面であふれかえり、視聴者を釘付けにする。今やテレビは斜陽産業となり、ネットをやらない中高年をターゲットにするから、コロナがいい例だが、こうした脅し路線をひた走る。
 新聞はもっと遅れるから、昔の三流週刊誌並みとなった。これも斜陽産業につき、営利面でやむを得ないかもしれない。こちらも中高年がターゲットだ。
 その点、じっくり構える週刊誌のほうが、今では昔の新聞並みに内容が良くなったやもしれぬが、やはりネットに押されて苦戦しているようだ。
 こうして、まともな情報を受けられなくなってしまいつつある昨今である。

 もう一つ新たな受け身情報がある。それはSNSの普及に伴って現れた。前にも書いたが、専業主婦間で毎日やりとりされ、彼女たちは忙しくなったようであるが、これは一部高齢者を除いて万人に当てはまろう。毎朝、膨大な量のメールをチェックせねばならないし、日中も時折スマホを覗かねばならんだろう。そして、やたら送られてくるメールの全てを無視するわけにもいかず、お義理でけっこうな数のメール返しもさせられよう。
 きっと、どうでもいい内容のメールをそうも送るな、と言いたいことだろうが、これも友達付き合いで我慢するしかなかろう。
 加えて、移動通信システムは1980年代に始まったアナログ携帯電話の第1世代移動通信システムから順次高速化・大容量化が進み、早や5G(第5世代移動通信システム)に移り変わろうとしている。5Gは「高速・大容量」「低遅延」「多数端末との接続」が売り物というから、今普及しているSNSはその多くが移動通信であるがゆえ、その質と量は格段にアップしよう。
 この移動通信によるSNSが一番困る情報の洪水ではなかろうか。5Gさらには6G、7Gと進むにつれ、これがよりひどくなり、将来においては“情報の洪水”というよりは、“情報の氾濫”と言ったほうがいいかもしれぬ。そして、“情報で溺れ死ぬ”ということにもなろう。
 第1回で書いた「世の中便利になれば余暇時間が増す?」にも、これは大きく影響すると考えられる、困った問題である。
(今日はここまで) 

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
6品思い出す。うち1品は別のもの。2品はなし。3/7で740点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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