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10.10 結婚記念日で外食する [お出かけ]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 今日は我が夫婦の結婚記念日である。それに合わせて、娘からタルトとかいうケーキではないそうだが同じようなものを送ってくれた。これはこれで有り難くいただくことに。
 記念日の本命は、女房の希望で外食である。閉店後に出かけるのだから、小生としては居酒屋なり小料理屋のほうが有り難いのだが、かような下賤な所ではなく、ハイカラな洋風レストランが女房の好みだ。となると、イタリアンレストランしかない。近辺にあまたあるが、たいていの店は味がよくない。一番近い所にあった店がここらでは最高の味を出していたが、移転新築してより近くなったものの、同じシェフでありながら大きく味を変えてしまい、我が夫婦ともにその舌に合わなくなった。
 そこで、我が岐南町に隣接する岐阜市のその先の各務原市、こう書くとずいぶん遠く感じるが、5km先に昔からあるパスタの店へ行くことにした。ポモドーロである。10年ぶりぐらいに今年1回行ったが、合格点が付けられる味であったから、今回もそこへ。
 前回はパスタセットを2種類とって2人で分け合い、今回も同様にしたが、バスタをもう1品注文し、3種類のパスタを分け合って食べた。程よく満腹。味も上々。満足。できればワインでも飲みたかったのだが、そうなると帰りは女房が運転せねばならず、運転下手でかつ苦手な女房であるゆえ、これは遠慮しておいた。
 家に帰って、焼酎を飲み、しばらくしてタルトなるものをいただく。
 こうして、結婚記念日の晩餐会を楽しく過ごすことができた。結婚して46周年。もうこんなにも年月が経ってしまった。女房に感謝、感謝、感謝。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
7品思い出す。うち1品は別のもの。1品はなし。5/8で60点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.9 あと2年で百歳となられるお客様、いつまでもお元気で [稼業]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 数年前まではお嫁さんと一緒にご来店いただいた老婦人、それ以降はお嫁さんお一人でのご来店となり、時折老婦人の膝痛がために健康食品を買っていかれる。
 久しぶりに、お嫁さん、といっても60歳にはなろうが、彼女も膝痛で時折健康食品を買ってくださるのだが、今日ご来店になった。母の膝痛のあれを、と言って。
 お嫁さんの話では、その老婦人は98歳になられたという。物忘れは多少ひどくなったものの、まだボケてはいないし、ちゃんと歩ける健康体であるとのこと。
 この分では、その方、百歳になっても自立した生活ができそうだ。今のところ、膝痛も時折感ずるだけで、当店でお買い上げいただいている健康食品も何か月かに1箱しか飲んでおられない。毎日であれば毎月1箱となって当店も儲かるのだが、今や儲け根性はなくし、ただひたすら百歳になっていただきたいだけだ。
 さて、その方、百歳になられたら、何かお祝いしなきゃいかん。今まで、そうしたお祝いをしたことないから、はてさてどうしたものか。まだ2年近くあるから、そのうち何か思いつくであろう。それを楽しみにしていよう。

 人間、この世に生まれたら百歳まで生きたいものだ。面白いものがある。当店のホームページのトップページにかかげてあるのだが、ここにも貼り付けておこう。
 
長寿頌.jpeg

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
6品思い出す。うち1品は別のもの。5/7で70点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.8 今年はホウレンソウが好調になりそう [百姓]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 ホウレンソウの栽培は難しい。10年ほど前までは、小生が畝立てして、おふくろにバトンタッチし、おふくろが施肥や種蒔きして、毎年、ちゃんとしたホウレンソウが育っていた。そのコツは石灰窒素をたっぷり使うことのようであった。
 体が弱ったおふくろに代わって、小生が全部やるようになってからというもの、まともにホウレンソウが育ったことはほとんどない。苦土石灰は使うが、石灰窒素をはじめ化成肥料は一切使わず、有機肥料だけでの栽培である。
 どうやら、土壌のpH調整がうまくいっていなかったようだ。日本列島の土壌は火山性の岩石からできているがために、わりと酸性に傾いており、かつ、化学肥料の使用により、いっそう酸性に傾く。よって、苦土石灰(カルシウムとマグネシウムの水酸化物)を入れ込んで中和し、弱酸性状態の土壌にしないと野菜は栽培できない。
 酸性土壌を嫌う一番の横綱がホウレンソウであり、やはり石灰窒素もいるようで、下手をすると芽吹きもしない。芽吹いたとしても、ちっとも生長しない。
 さて、3年前から野菜全般、無肥料栽培に取り組み、ホウレンソウはここ2年、苦土石灰さえ使わず、栽培してみた。案の定、チョウ不作となった。
 なお、1年目、2年目ともに完全無肥料とはせず、アルカリ物質であり肥料にもなる草木灰を少々撒いてみたのだが、その効果はなかったようだ。
 そこで、3年目の今年は、前作の一部夏野菜もそうだが、大陸の土壌(石灰岩性土壌もけっこう混ざって酸性度が弱いと思われる)に近付けようと、蛎殻粉末を入れ込むことにした。蛎殻(かきがら)の成分は石灰岩とほとんど同質であり、少しずつ雨水に溶けていく。蛎殻粉末が何年で全部水に溶けるか分からないが、苦土石灰は1年もせず溶け切ってしまうのに対し、その何倍かゆっくり溶けるであろう。
 加えて、自宅を整理していて見つけた火鉢から木灰を取り出し、今年だけだがこれもホウレンソウの畝に入れてみた。こうすりゃ、土壌の酸性度はうんと改善されるだろう。
 そうしたところ、してやったり、である。ホウレンソウの出来はすこぶるいい。
 9月14日に種蒔きした第1弾を今日にも収穫したいくらいだが、まだ幾分小さいし、朝から雨だから、今日は見送るが、2、3日すればこの雨も上がり、そうしたところで、初収穫しよう。
 なお、1週間ごとに時差種蒔きし、第4弾まで作付けしてある。それら全てが順調だ。そうなると、夫婦2人ではとてもじゃないが食べきれない。どうしよう、といううれしい悲鳴。捕らぬ狸の皮算用とならなきゃいいが。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。うち1品は別のもの。他に1品。4/7で60点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.7 今年最初で最後の台風がやってくるが影響なし [百姓]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 毎年お盆を過ぎると台風が気になってくる。日本暦の雑節に「二百十日」があり、これは台風の厄日で9月1日頃となる。こんな早い時期には当地岐阜はめったに台風は来ない。その10日後も同様な雑節「二百二十日」があり、こちらのほうが合っている。もっとも、子どもの頃の9月26日伊勢湾台風と9月16日第二室戸台風、この2つが恐ろしい台風であったから、「二百三十日」を厄日としたほうがいいであろうが。
 今年も気になっていた台風。「二百十日」頃に来ると、種蒔きしたり苗を植え付けて間もない冬野菜が打撃を受ける。物によっては寒冷紗(虫除け兼日除けネット)を掛けてあり、それが吹っ飛ぶ恐れがある。山芋の支柱も、ツルが繁茂している個所は倒れる恐れがある。などなど、それなりに対策を施さねばならないところが幾つもある。「二百二十日」にしろ、「二百三十日」にしろ、同様だ。
 今年は幸い、これまでずっと無風で済んだ。でも、10月半ばに台風が来ることも時折ある。そんな頃に来る台風は大した風は吹かないが、それでも気にはなる。
 そうした遅がけの台風14号が日本列島の南海上を通過していきそうで、当地は10月11日に最接近する。台風の北に位置するから、北寄りの微風で済み、影響は全くなし。有り難いことである。
 この台風でもって今年の台風は打ち止めとなろう。有り難い、有り難い。
 お天道様に感謝、感謝、感謝。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
外食につき脳トレ休み

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.6 庭のサルスベリがまだまだ花をいっぱい付けている [日々雑感]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 夏から秋の花サルスベリ、立秋(8月7日頃)の頃に満開となる。それから2か月が経とうというのに、まだまだ花をいっぱい付けている、我が家のサルスベリ。
 もっとも最盛期よりどれだけかは減ったが、こんな時期まで毎年こうだったっけ?
 今冬は朝の冷え込みがとんとない。今日やっとらしい冷え込みとなったが、それでも16.2℃で平年値の16.1℃より高い。全然冷え込みがないからサルスベリが咲き続けているのだろうか。
 うちの庭のサルスベリは随分と大きい木だ。庭師さんが、庭のサルスベリとしてはとても珍しいものだと言っていた。毎年、きれいな花をいっぱい付け、目を楽しませてくれるのだが、かなりかなりの老木だ。
 樹齢は100年を超えるかもしれない。20年前にはすでに横に伸びた太い幹につっかい棒がしてあった。それをもう少し頑丈な形で支えることとしたのがその頃で、それをもっとしっかりとしたものに作り替えたのが10年前ぐらいだ。
 なんせ、太い幹(枝分かれして2本)は中ががらんどうで、よくぞ生きているなあ、って感じだ。よって、強い台風が来たら簡単に折れてしまいそう。
 案の定、2018年9月4日の強い台風(岐阜気象台で最大瞬間風速39.3m)で、上に伸びた幹(こちらのほうが細い)はベシッと折れてしまった。でも、横に伸びた太い幹は頑丈な支えが功を奏してかどうかは分からないが、折れなかった。このほんとかな?)強風では持たんだろうなあ、と思ったが、その強靭さには驚かされた。
 庭師さんが、サルスベリは剪定しないものだ(ほんとかな?)、と言われ、ずっと剪定されていないせいか、少しずつ主枝が伸びて、一昔前より大きな木になった感もする。
 おふくろが他界して5年になるが、その後、庭木で枯れるものが目立つ。おふくろに引っ張られて庭木も順々にあの世に旅立っていく、そんな思いにとられているのだが、このサルスベリだけはそういうことにはなってほしくない。
 なんせ2年前に台風でダメージを受けても、今年は花を長く長くいっぱい付け続けているんだから。小生がくたばるまで、毎年花をいっぱい、長いこと付けていてほしい我が家のサルスベリである。
 それにしても、いつになったら花がなくなるのだろう。ネット検索したら、「6月から咲き始め、9月の終わりから10月初旬まで咲いています。」とあった。ということは、今はまだ花がいっぱい付いていても不思議ではないということか。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。うち1品は別のもの。4/6で65点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.5 今日で百姓仕事が一区切り付いたが、これはコロナのお陰だ [百姓]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 初夏の頃から店が定休日の日・月曜日はほぼ丸一日百姓仕事に精を出し、営業日も早朝に農作業をすることが多かった。それが5か月続いた。
 そして、今日を迎えた。今日の予定は半日もせず終わるから、午前中に所用があったので9時半までゆっくりしていた。その時刻になって自宅へ行くと、公園で自治会長さん一人で草刈りをやっておられる。まだほんのわずか雑草が芽吹いただけで、今年は草刈なしでいけると思っていたが、彼がやっていては放っておけず、小生も草刈りに加わる。それが終わったのが11時で、その後に所用を済ませ、11時半から農作業開始。
 紫ナスを撤去処分し、その跡にブロッコリー&カリフラワーの第3弾苗の定植である。その他若干の農作業をし、終了したのが午後3時。
 これにて当分、百姓仕事はこれといったものがない。10月10日に小松菜第1弾の種蒔き(それも長期予報次第では遅らせることになる)をするだけだ。
 ここのところ1週間ぐらいは、例年やったことのない余分な仕事(本来はやったほうがいいが時間が取れない)を随分とやった。それでも、仕事がパタリと止まる。
 なぜだろう? 一つは休耕田を急きょ売却してしまったから、その草刈りをしなくてよくなったことが挙げられる。でも、それは1日で済むから、他に何かある。
 ああそうだ、コロナだ。コロナ騒ぎがために様々な行事が皆、中止になってしまった。出かけたのは役場の会議1回と農協の委員会1回のたった2回だけで、それも短時間だから、無いに等しい。暇を持て余し、急きょ1泊2日の湯治旅行&魚釣りにも行った。
 なんだかコロナ様様で、百姓仕事がはかどった次第。有り難いコロナ様だ。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
6品思い出す。正解。100点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.4 生活様式はどう変わるか(その4) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 人類の未来がどうなるのか、その新たなテーマ「生活様式はどう変わるか」に関して第1回は「庭付き持ち家はいつまで続く」、第2回は「労働形態はテレワークに?」、第3回は「AI革命で仕事はがらりと変わる」について書いた。今日はその第4回。

女性の生活はどう変わるか
 太古からの女性の生活、その立場について歴史を紐解いてみると、日本列島とユーラシア大陸(ブリテン諸島を含む)とでは随分と違ったものになる。前者は遅々とした変化しか示さず、明治以降で急変したのに対し、後者は古代文明とともに激変し、その後の変化はほとんどないのである。
 一方の男はというと、本質的には「男は女の紐」であるのだが、古代文明の発生とともに仕事を無理やりさせられ、ケツに鞭打たれる形で労働を強いられてきた。これは洋の東西を問わないのだが、日本列島の場合は随分と甘さがある、といったところだろう。
 小々奇異な捉え方と思われるかもしれないが、太古の生活は、現在の採集狩猟民のなかに残存しているであろうから、それを少しだけ覗いてみよう。
 現在の採集狩猟民で、まずまず生活環境に恵まれている地域では、食糧採集の女性の労働時間は1日3時間程度である。一方、男の場合は、毎日の食糧採集は女性に任せっきりであり、気が向いたときに男どもが誘い合って狩猟に出かけ、日帰りで獲物を持って帰ることもあれば、何日も出かけたままで手ぶらで帰ってくることもあるという。手ぶらの場合でも、女性たちは男どもに何ひとつ文句を言わないそうだ。
 なんせ採集狩猟民の部族のなかには、「遊び」と「労働」を区分けする言葉がなく、両方をごっちゃにした言葉しかない集団も存在するのだから、「仕事をしなければならない」という観念は生じ得ないのである。要するに男どもは毎日が遊びなのである。
 こうしたことが尾を引いているのかどうか知らないが、西欧では「労働は下賤な階級の者どもがすることであって、労働から解放されることを望む」というのが、一般社会通念となっている。まあ、これは、古代文明以降、大半の人々が奴隷であったことに起因するであろうが。
 西欧社会の女性の立場がものすごく脆弱になった、つまりひどい男尊女卑に変わったのは、文明化と同時に急激に起こったと思われる。農耕牧畜の発生と同時にできたであろう私有財産制がそうさせた。大陸での農畜産物の生産は、気候変動の影響をもろに受け、数十年から2百年ぐらいのスパンで繰り返される地球の寒冷化が訪れると壊滅的な打撃を受け、食糧を失った民族の大移動、それは、飢えた民族の、持てる民族の地域への侵略と奪略であり、大量殺戮が伴う。これが起これば、人間社会の制度は、財産防衛と臨戦態勢構築が最優先がために、大きく変わらざるを得ないのである。
 その結果、婚姻制度は早々に父系の一夫一婦婚となり、男が財産と女を支配するようになった。また、奴隷も一夫一婦婚させ、夫婦で責任をもって奴隷の再生産をさせた。西欧においては、この婚姻制度が早くして成立したがために、大方の人々がこの婚姻制度が太古から変わりなく続いているように考えているが、これは大きな間違いである。日本においては、大陸のような他民族の侵略と奪略に遭わなかったから、婚姻制度はゆっくりと変化していったのであり、母系の多夫多婦婚がかなり最近まで続き、男どもは複数の女性を相手とする通い婚であって、女性優位の社会がずっと続いた。もっとも支配層では戦国時代あたりから臨戦態勢最優先がために西欧と同様に父系の一夫一婦婚へと遷移したが、下々までもが全てそうなったのは戦後になってからである。
 庶民までもが一夫一婦婚し、女性が夫の支配下に置かれるという家父長制は、明治になって政府の力でもって制度化され、かつ、強化されたのであり、それが定着し、戦後しばらくまで実質上は続き、現在においても残存している。
 
 民主主義社会になったから男女は平等、とはまいらない。古代ギリシャ市民は民主主義社会を構築していたのだが、強固な家父長制を敷いていた。古代ローマも帝政を敷くまでは市民は民主主義社会であり、古代ギリシャと同様だ。西欧においては近代民主主義社会になって、家父長制は取らないなど表面上は男女平等を装っているも、男どもの女性蔑視は根深いものがあるようだ。旧約聖書に、イブはアダムのあばら骨から作られたとあるように、女は男とは違って欠陥製品だという感覚が、男どもにはあるとのこと。日本人には信じられない話だが。
 その点、日本では、男どもは女を支配したいという願望を持ってはいようが、欠陥製品なんてことは思いもしないし、子を産んで育てるという立派な存在という意識が強いのではなかろうか。もっとも、男と女では思考回路の違いがあって、互いに異性は何を考え何を思っているか、さっぱり理解できない異質な存在であることは確かなようだが。
 そうしたことから、表題にした「女性の生活はどう変わるか」については、男である小生には推測しようにも、何ともしようがない面がある。しかし、男の歴史はたいした変化はしないだろうが、女性の歴史は今までがそうだが大きく変わってきており、将来は激変するような気がしてならないのである。それがどうなるか、おおいに興味をそそられる。あまりに激変するようであれば、世の中がひっくり返り、それが波及して男どもにも激変が生ずるのか、はてさてどうなるものか、興味が尽きない。

 そこで、戦後から現在に至る女性の生活の変化を、まず簡単に整理しておこう。
 戦後しばらくまでは、女性の家事労働は炊事・洗濯・掃除あらゆるものが手作業であり、時間もかかれば、毎日が重労働でもあり、女性は専業主婦の道しか、まず取り得なかった。それが、1950年代には冷蔵庫、洗濯機、白黒テレビが「三種の神器」として登場し、1960年代になるとカラーテレビ、クーラー、自動車(カー)が新たな三種の神器「3C」として広がり始めた。こうなると、女性は家事労働から大きく解放され、自由時間が大幅に増えた。
 その結果、専業主婦はだんだんパート労働者になっていくし、仕事と家事と育児も両立させて正規労働する女性も大きく増えてきたのである。
 その後も、家事労働や買い物の利便性は時代が進むにしたがってどんどん向上してきている。今日に至ってはコンビニ店とネット通販の普及で、それが加速された。この傾向は将来まだまだ進む。
 こうなると、家事なるものは、有って無い存在と化すことになる。

 こうして女性が働きやすい環境がどんどん整ってきたものの、唯一の例外として女性に残された厄介な問題は、出産・子育ては昔とほとんど変わらないことである。
 こればかりは、いくら時代が進もうとも、相手が相手だから省力化・合理化・自動化に馴染まない。いや、逆に、昔に比べてよけいに手がかかるようになってきた。昔は、周りに手助けしてくれる人がいたり、年上の子が面倒を見たりしてくれたが、今は母親一人で全部しょい込まねばならないケースが多い。
 加えて、母子ともに身ぎれいにしておかねばならぬから、例えば食事を与えるとき、幼児が口からこぼさぬよう、よだれを出さぬよう、などなど付きっきりで世話せねばならぬ。昔のように、よだれが母子の衣類に付いたって一向にかまわない、では済まされなくなったのである。食事以外の場合でも、身ぎれいにしておかねばならず、ほったらかしにはできなくなってしまったご時世であり、母親は子どもの世話で振り回される。
 女性にとっての他の部門の生活改善がスムーズにどんどん改善されてきているのに比べて、育児環境の改善度合いは遅々として進んでいない感がする。
 いい例が待機児童である。小学校に入れば義務教育となり、小学校入学待機児童は一切ないのに対して、保育園入園待機児童があるなんて、あまりにもおかしい。少子化を防ごうとするなら、真っ先に解消せねばならない課題である。
 少子化を大問題とするのであれば、子どもは社会の宝であり、出産から3年間は母親が付きっきりで面倒が見られるよう、所得などの制限を一切設けず、全ての母親に育児手当を年間3百万円ぐらい与えたって一向にかまわにであろう。 
 とにかく、安心して子が産め、安心して子を育てられる環境整備が急務である。そして、その間、社会復帰できるよう以前の仕事のスキルアップを自宅でテレワークし、育児休業が終わり次第、前の仕事に復帰してバリバリ働けるような制度改革が求められる。
 これは政治がどうするか、で全部決まることだが、今の状況をみていると、実に歯がゆい思いがする。女性を限度いっぱいまで我慢させ、足らず前は夫で補えという、若者たちへの押し付け政治、これでいいのか、である。老人医療だの、老人介護だの、年寄りを重視しすぎる政治には辟易とする。
 人類進化に関して“アクア説”を広くこの世に紹介した英国のエレオン・モーガン女史(2013年没)が「女の由来」(1972年出版)のなかで、次のように言っておられる。
 私自身としては、(子ともは)生まれてから4、5年は誰か一人の大人(母親)とのあいだに個人的で親密な持続的関係を結べたほうが、子どもにとって幸せだろうし、健やかに成長できるのではないかと考えている。…
 子どもが5歳ぐらいになると、社会は膨大な金を投じて、…小・中学校および高等学校の教育に膨大な予算をつぎこんで…社会になにがしかの貢献をなさせるように育て上げようとするのだ。
 …もしなんらかの理由から、5歳からではなく赤ん坊が生まれ落ちたその日からの“養育”が社会の手に委ねられることになれば、その費用は驚くべき数字になり、…(今の政府はそのための予算を決して組まない。)
 社会に代わってこの養育を行なっている母親の仕事はもっと評価されるべきであり、それに対しては賃金が支払われてしかるべきだ、と声高に主張するつもりは私にもない。しかし、…母親業という職業が経済的にまったく評価されていないという事実…が、今日まで多方面にわたり、多大な影響を及ぼしてきたことは間違いない。
 会社勤めのサラリーマン…これとは対照的に、育児はーー同じく社会経済にとって欠くことのできない職業でありながらーーどの点から見ても零細家内企業だ。仮に、夫のほうがアパートーー机も電話もちゃんとあるーーに残って仕事をし、妻が朝8時には家を出て、子どもの面倒を見るという骨の折れる仕事に出かけるというシステムを考えたらどうだろう? 彼女の行く先は、近くのこぢんまりした1区画を整地してつくられた、育児センターだ。センターは…砂場…育児用プール…お昼寝部屋、おむつ用コインランドリー、子供番組専用のテレビルーム、…子ども食堂、母親たちが交替で食事をとれるカフェテリアなどが完備している。…ミルクを調合したり、哺乳瓶を消毒したりするプロの職員がいる。…清掃係がいて、1日の終わりにはきちんと掃除をしてくれる。
 こうしたシステムが整っていれば、妻も、自分のやっている育児という仕事も夫の仕事と同じくらい重要なものである、と感じるようになるかもしれない…。そうなれば妻は、母親である自分にも、少なくとも保育を職業としている人たちと同じくらいの施設や設備、同じくらいの報酬が与えられてしかるべきだと思うようになるだろう。偏見やこだわりを捨ててよく考えてみれば、育児は他のどんな仕事にも負けないくらいやりがいのある、創造的な仕事であるとさえ思えてくるかもしれない。…
 …子どもとの関係の中で女が得ている生物学的報酬が昔より少なくなっているように見える大きな要因は、環境システムが整っていないことにあるのは間違いない。
(引用ここまで)
 もう50年も前の英国事情を踏まえてのモーガン女史の見解であるが、今とどれだけも変わっていない。けっこう控え目な要求であるが、育児環境は前進しないのである。
 こうした育児改革がないことには、女性の生活は大きく変わることはない。なんだか男どもが女性たちに意地悪(女性にハンディを負わせる)して、旧態依然の状態に女性を止め置こうとしているように感ずる。それも世界中の男たちが政治の力(育児予算を組まない)でもって。
 あらゆる分野でイノベーションが進むなか、育児イノベーションが大きく進むことを願ってやまない。それなくして、女性が女性らしく、生き生きとした人生を送ることはできないであろうし、女性が安心して社会で活躍することもできないであろう。
 今の世の中、その先もずっと、女性が生き生きとした人生を送るには、唯一の手段として、女性という性を捨て、独身を決め込み、男と真っ向勝負の仕事人になるしか道がないように思われる。つまり、男勝りと言われる女にならなきゃ女性はまともな仕事ができないのである。
 これでは悲しすぎる。 
(今日はここまで) 

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。うち1品は別のもの。他に1品。4/7で60点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.3 生活様式はどう変わるか(その3) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 人類の未来がどうなるのか、その新たなテーマ「生活様式はどう変わるか」に関して第1回は「庭付き持ち家はいつまで続く」、第2回は「労働形態はテレワークに?」について書いた。今日はその第3回。

AI革命で仕事はがらりと変わる
 石器時代を生きた人は全員が採集狩猟民でオール一次産業の従事者であった。古代文明が誕生した頃、道具の飛躍的な技術革新が起こり、農耕牧畜の生産性が飛躍的に高まり、輸送能力もアップした。これを鉄器革命というが、第一次技術革命と言っていい。
 これによって、人はオール一次産業従事者から、一部の人たちが二次産業の製造業従事者、三次産業の商人そして公務員(役人と兵隊)になった。そして、一次産業は高度化し、採集狩猟から農耕牧畜となり、仕事の内容が大きく変わった。
 その当時、まだまだ一次産業従事者が圧倒的に多かったが、これはどれだけも変化することなく、近代を迎えた。そして、産業革命がおこった。第二次技術革命である。製造・運搬といったものが全て人力(牛馬の力を借りることはあっても)で行っていたものを、その何十倍もの力学的馬力を作り出す蒸気機関の発明と急速な普及である。これによって、労働生産性が一気に飛躍的に向上した。
 このとき、人力による手工業従事者が失業したかとなると、そうではない。製造業は人手不足となり、かなりの農耕牧畜業従事者が製造業に従事することとなった。大量に安価に製品が作りだされ、輸送コストも格段に小さくなり、需要が爆発的に膨大なものとなったからである。物質文明社会の到来である。
 産業構造も変化し、二次産業従事者が増えるとともに三次産業従事者も増え、卸小売業だけではなく、サービス業も大発展し、公務員も増えた。
 間もなくして蒸気機関が内燃機関に代わり、鉄道・道路網が整備され、第二次技術革命は着実に高度化されて成果を上げていく。つまり、さらなる労働生産性の向上であり、一次産業は機械化により、その従事者は大幅に減った。二次産業は物質文明の担い手であり、その後の生産量は何倍にも何十倍にもなったが、労働生産性の向上のほうが大きく、従事者を漸減させた。それに代わって、余剰労働力は三次産業に吸収され、今や三次産業が最も従事者数が大きくなったが、それでも労働力不足だ。これが先進国の実情である。

 さらなる労働生産性の向上は、コンピュータが担ってくれるようになった。
 50年ちょっと前までは、数値集計するのにまだまだ算盤を使っていた。子どもは算盤塾へ通い、2級の資格を取ると就職に有利という時代であり、学業のけっこうな部分を塾通いに充てたものである。小生とてそうであった。それが、50年前には一気に電卓が普及し、もう算盤の時代でなくなり、珠算2級の資格は無意味なものになった。広くコンピュータに人間が負けた第1号といっていいであろう。
 その後、コンピューターは順次性能を上げ、ロボットが製品を人間以上に間違いなく作る分野が広がってきた。でも、現在まだまだコンピューターは本領を発揮していない。
 今、学校教育では英語の授業が一昔前より強化されている。グローバル社会を迎え、日本人全員が英語を読み書きでき、しゃべられるようになる社会を作ろうとしている。なんともトンチンカンなことをやっている。うちのアパートには外国人がけっこう多いのであるが、日本に来て間がなく日本語が分からない人は、翻訳機を手に持って、ここに話しかけてくれと言う。すると、彼の国の言葉にすぐ翻訳されて、意思疎通できるのである。もっとも、今現在は分かりやすい日本語を短めの文章でしゃべらねばいかんが。
 これは、50年前に一気に出回り出した電卓に似ている。当時の電卓は今のものとはちょっと操作が違い、少しは使い方を覚えないと計算間違いした。
 翻訳機もそうで、年々使いやすいものに技術改良されていき、10年以内にビジネスの世界においても、あらゆる分野で機械翻訳が実用化されると考えられている。こうなると、学校教育の英語授業は何のためにやっているのか、ということになる。算盤塾が消滅したように、英語の授業も消滅する運命にあるではないか。英会話スクールとて当然に消滅する。来年に日本でオリンピックが開催されるかどうか怪しいが、諸外国から日本語の話せない人が大勢来たって、日常会話程度のことなら、今の翻訳機で十分間に合う。小生が今、インド人と話をしているように。

 時代がここまで進むと、もはや単なるコンピューターではなく、人工知能(AI)ということになり、これが普及すれば、定型的な仕事は全部AIに代替され、単純作業の業種は姿を消す。近い将来、必ず訪れるであろう第三次技術革命の到来である。
 これは、一次、二次、三次、どの産業にも全体に波及する。農業従事者は種蒔き、収穫作業から解放される。工場労働者の定型的な現場作業はなくなり、ほとんど無人化する。三次産業もその多くがAIロボットで代替される。スーパーのレジ係は今なくなりつつあるが、早々に無人化されるであろうし、単に宿泊するだけのビジネスホテルなんぞは受付と各室にパソコン端末が置かれるだけで従業員不在の無人の館と化す。
 となると、街は、AIに職を奪われた失業者であふれかえるのではないか、と心配になってくる。でも、決してそうならない。過去の歴史がそれを証明している。熟練した職人が技術革新で職を奪われ、当の本人は路頭に迷うことになっても、世の中、別の新鋭業界が伸びてきて人手を欲しがり、その職人の跡継ぎは別の教育を受けて新たなスキルを身に付け、他の業界に入っていくのである。
 AIが普及すれば経済は間違いなく発展し、経済発展すれば人手不足となるのが資本主義経済の姿である。これが資本主義のいい点であり、また、反面、怖いところである。

 さて、将来的にはどんな業種に労働者が増えるのであろうか。
 医者とて、もう始まっているが、患者を問診したり、血圧や体温を測ったり、検査したりしたデータをパソコンに打ち込めば、病名診断と処方する薬がたちどころに画面表示されるのであり、何も医学部を卒業して国家資格を取らなくても、誰にでも簡単にできる。また、定型的な簡単な手術なら、AIロボットが医者以上に上手に措置してくれるのも間近いであろう。難しい手術となれば、これは手が不器用な医者に任すより、建設業界からAIロボットに職を奪われた、手がめっぽう器用な熟達した大工さんを採用し、AIの指示を受けてノミの代わりにメスをふるわせた方が上手に手術できるだろう。医者も今のようなスキルしか持ち合わせていない人間は失職する。人口は増えないから患者も増えない。一人一人の病気もそうは増えない。つまり、医療対象が増えない状態で労働生産性が大きく高まるのだから、医療従事者数は大幅に減らさざるを得ないのである。
 高度科学技術文明の恩恵に浴する時代となると、既に今がそうだが、その昔の「読み書き算盤」程度の基礎教育ではスキル不足で社会人として使い物にならなくなった。よって、誰しも高等教育を受けるようになってきた。が、しかし、科学技術のスキルを身に付けても、その仕事は大半がAIロボットで代替されてしまい、職に就けない。
 将来は、AIには不可能な仕事、つまり、人間には、より創造的な仕事が求められるようになる。「自分で疑問をもって、自分自身に問いかけをしていき、そのなかから何か新しいものを生み出していく」ということになり、そこから付加価値の高い新規産業が大きく発展していく、ということになりそうである。
 また、科学技術はますます高度化するであろうから、最新と言われるものもすぐに陳腐化してしまって、習得したスキルの有効期間は今以上により短くなっていく。ここで求められるのは、臨機応変に技術の変化に対応できる基礎学力であり、その根底にあるのは幅広い教養であろう。これを義務教育から取り入れていかねばならぬ。英語の授業を止めて、それを教えねばいかんのである。まずは哲学だ。哲学を軽視するようになった昨今の日本である。哲学なくして、知的な創造性を呼び起こすことはできないであろう。
 ところで、全員が全員、高等教育を受けるにふさわしい学力的能力をもっているわけではなく、昔の寺子屋程度の学力でギブアップする人間も数多くいる。その代わり、彼らは別の能力を持ち備えているに違いない。それは人と人とのコミュニケーション技術であり、そのスキルが高い傾向にある。それが発揮される業種は今でもあり、今後それ(サービス業)が大幅に増大する。
 例えば高ランクの宿泊業・飲食業などにおけるホスピタリティつまり『おもてなし』、世界ホテル業界ではリッツ・カールトンが有名だが、これは日本人の最も得意とするところである。そして、また、これは人間にしかできない非常に質の高い仕事であり、事の性質上、マニュアルどおりに展開させられないから、往々にしてAIが出す理屈オンリーの判断の逆をいかねばならないことが多々あり、ここは人間力の独壇場となる。
 将来は、世界中から日本に、高度なホスピタリティを求めて観光客が訪れるのは間違いない。観光立国大国となりそうな日本である。もっとも、良き日本文化から湧き出してくる『おもてなし』であるが、悪しき欧米文化に染まりつつある日本ゆえ、将来は訪日客の期待を裏切ることになるかもしれないが。
 まあ、ここのところは「三つ子の魂百まで」であるからして、易々とは日本文化は消えず、当面は安泰であろうから心配は及ばぬことであろう。

 こうしたことを想像していると、日本人の未来像は次のようなものとなる。
 農業従事者は今以上に機械を扱うようになり、土いじりはせず、エアコンのかかった管理室でドローンやAIロボットの監視をしつつ、主な仕事は新製品のAI導入の検討と経営の安定化・向上に心血を注ぐことになる。かなりの頭脳労働となり、農業を後継する若者は理工系の基礎学力をうんと高めねばならない。
 製造業従事者はほんの一握りのエキスパートしか要らなくなり、知的能力が極端に高い、成績優秀者が研究に没頭するということになる。その皆が、アインシュタインやビル・ゲイツと同じように大学では落ちこぼれとなるも、そうした人物が大活躍するであろうから、大学教育も大幅な変革が求められる。
 三次産業従事者のうち、ほんの一握りのエキスパートは、製造業従事者と同様な道を歩む。これなくして三次産業の本質的な質的向上は望めないからだ。
 他の大多数は、読み書き算盤の基礎学力を身に着けたところで総合教養を学び、ホスピタリティを高めていかねばならない。その学び方は千差万別。高校・大学の講座で学べるのはほんの一部であり、逆にマイナスにもなることがあるから、ここは多くを実践のなかから学び取るしかない。基礎的な総合教養は高校までで十分に学べるから、大学へは行かず、最初は接客専門学校に通いながら、実践するなかで独学でつかみ取るといったことになろう。これは、かなりなハードワークだ。よって、簡単な仕事だからといってボケーッと毎日を過ごしていると、いつまで経っても低賃金の最下層の仕事(これもAIで大半が代替されているから少ない)に在り付けるのがせいぜいで、多くは失業することになる。
 こうして、どんな業種でも、それぞれに適した高度なスキルを持ち備えていないと食っていけなくなる、一面、恐ろしい社会になる。早め早めに自分に備わっているオンリーワン能力を見い出し、それをスキルアップしていかねばならないのだ。
 そこで、政府が打つ失業対策事業が重要なものとなろう。人間には各人それぞれ個性があり、その個性は自分ではなかなか掌握できない。家族や周りの者とてそうである。それを見い出してくれるのは第三者であり、そうしたエキスパート集団(失業対策事業機構)に頼るしかなかろう。それがうまく機能してくれるのを祈るのみである。

 こうして見てくると、将来の世の中は、今よりも忙しい毎日となる。勉強、勉強また勉強、それも何を勉強したらいいのかを自分で探し出さねばならないし、仕事は絶えずスキルアップしていかねばならなくなるし、これで安心と思ったとたん、その高度な仕事が新たなタイプのAIに奪われるかもしれない。
 経済学者のE.F.シューマッハーが1973年に「ある社会が享受する余暇の量は、その社会が使っている省力機械の量に反比例する。」と言ったが、将来はますますそうなっていくに違いない。やはり恐ろしい社会にどんどんなっていく。
 その昔、古代ギリシャが繁栄していた頃、アテネの人口のうち市民は5%で、奴隷が95%を占めていたという。警察官だって奴隷にさせていたから、市民は何も仕事をせずに遊んでおられ、男どもは暇に任せて頭脳遊びでもしようかと、哲学が大きく花開いた。哲学の延長線上に位置する自然科学の基礎も確固たるものが生まれた。生物学における生物分類もそうだし、宇宙物理学もそうだ。地球や惑星は太陽を回る球体であることを知り、地球・太陽間の距離や地球の大きさまで概ね正しくはじき出したのであるから、古代ギリシャの哲学者はすごい。もっとも、地球がかようにも高速で回っては、オリンポスの山に住む神々が目を回してしまうから困るとばかり、地動説は葬り去られてしまったが。
 日本の将来も、生産・サービスといった仕事は、その95%がAIで行ってくれるだろうから、人間様はアテネ市民と同様に遊んでおられると錯覚する者がおるようだ。だが、本質的に違う。アテネの奴隷は自分のことは全部自分で行い、奴隷の再生産(子どもを作る)も当然行い、奴隷が作り出した財をアテネ市民が単に一言命ずるだけで(多くは何も言わなくても)簡単に収奪できたから、市民は仕事は何もしなくてすんだのである。
 しかし、今、想定されているAIにそれだけの能力はない。
 遠い遠い将来、アテネの奴隷と同様に、AI自身でその人工知能装置を自己再生産するとともにそれを稼働させるエネルギー源をAIが自ら作り出し、かつ、人間様の痒い所に手が届くような『おもてなし』知能をAIが獲得すれば話は別だが、一足飛びにそこまで科学技術が発展することは決してなく、これは夢物語に終わる。
 シューマッハー理論は、資本主義経済が続くかぎり適用される性質のものである。世の中、便利になればなるほど忙しくなるのである。さーて、人間、どこまでこれに耐えられるであろうか。
(今日はここまで) 

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
6品思い出す。うち2品は別のもの。1品はなし。他に1品。3/8で40点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.2 丁半博打の賭博場と化す当店10月セール [稼業]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 当店(薬屋)の10月セール「豊年祭」については毎年記事にしているかと思ったが、2年に1回ぐらいであった。毎年秋に当店が開催している月初めセールである。
 繰返しの同じような内容となるが、今年も記事にしよう。
 「豊年祭」のセール期間は月初め1週間で、定休日の日・月を除くから5日間のセール開催である。セールはあれこれ毎月行っているが、「豊年祭」は12月の福引大会に次ぐビッグイベントだ。景品は北海道北見産の男爵芋(じゃがいも)で、知り合いの仲買人さんに中央市場から仕入れてもらう。
 スーパーで買うとけっこう高いじゃがいもである。昔から八百屋、今はスーパーであるが、野菜は「泥もの」で利益を上げるという。生鮮品は日持ちせず、売れ残れば処分せねばならないから、薄利で売るしかないが、「泥もの」は日持ちし、これは確実に利益を上げられるから、けっこう利幅を大きく設定しているという。よって、懇意にしていただいている仲買人さんゆえに、安価に大量にじゃがいもが仕入れられるから、大判振る舞いをしても当店の経費としては大したことない。もっとも、このセールを始めた頃は30ケース(1ケース10kg)ほど仕入れていたが、それから20年も経って、今ではお客さんが激減し、今年は10ケースしか仕入れられなかった。
 仲買人さんには、いつも「北海道北見産の男爵芋LMサイズ」と指定している。北海道でも北見産が美味しく、見た目(うっすらと付いている泥の色)がいい。そして、LMサイズは1個が100g強で、気持ち小振りだが、十分に大きいし、これ以上大きいと単価が高くなるから、景品に使うのにLMサイズはちょうどいい。
 一時、これより小さいサイズのほうが数が多くなるから、そうしたものはないか問うたところ、そうしたものは澱粉工場行きで、市場に出回っていないとのことであった。(近年、市場にどれだけか出回っているようだが、やはり小さ過ぎて見栄えが悪い。)
 なお、ジャガイモは価格変動が激しい。大豊作だとやはり安くなるが、北海道で大水害があった年はメチャ高かった。今年は平年作であったのか、1ケース約1600円(税込)での仕入れとなったが、たったの10ケースだから割高になっているやもしれぬ。
 1ケースにLMサイズが何個入っているかというと、ここ何年も約94個であったのだが、今年は約98個。10年ほど前は1ケースに約100個だったから、選別機の更新でそうなったのではなかろうか。少しは数が多いほうが当店としては助かる。じゃがいもを10個ずつ袋に入れて、10個単位でお客様に差し上げるからだ。
 前置きが随分と長くなったが、さてさて、景品の出し方。5千円以上お買い上げで1回壺振りゲームをしていただき、1万円以上は2回、2万円以上は3回、3万円以上は4回壺振りゲームを楽しんでいただく。
 サイコロを2個入れたアクリル・ケースをお客様にカチャカチャッと振っていただき、レジカウンターにポンと置いていただく。早い話が“丁半博打(ちょうはんばくち)”だ。して、「“ピンゾロ”(サイコロ2つとも“1”)の丁」が出たら「じゃがいも30個進呈」と相成る。他のゾロ目の場合は20個。ゾロ目でない場合は、出た目の合計を切り上げて10個となる。ただし、“ゴロクの半”が出たら合計11となるから、これも切り上げて20個となる。
 このことは、アクリルケースに明示してあり、お客様にそれを見せてから、“カチャカチャッ・ポン”つまり“壺振り人”を勤めていただくのである。
 正しくこれぞ賭博場である。
 こうしたやり方だから、多い人には70個や80個も差し上げることになる。これだけの数になると、スーパーで買えば2千円はくだらないから、大喜びしていただける。中には一人住まいで“食べ切れないわ”とおっしゃる方もみえるが、“正月には娘さんが来られるでしょ。そのとき持たせてあげなさいよ。春まで持ちますからね。”なんて話する。
 こうしたやり取りがまた楽しい。
 今日はセール2日目であるが、まだピンゾロは出ていない。なんせ36回チャレンジで1回出るだけであるから。“ピンゾロ出して!”とお客様を励まして壺振りしていただくのだが、“ピンゾロ”の意味を知らない壺振り人が多くって悩ましい。
 こうして、店主が一番張り切り、一番楽しんでいる、ビッグイベントの開催。
 “カチャカチャッ・ポン”、“カチャカチャッ・ポン”。この音がまたいい。
 レジカウンターが“賭博場”と化す当店である。
 店主が楽しめないイベントはやらないほうが良い。店主自らが大いに楽しめるイベントは成功する。その昔、コンサルタントの方に教えたいただいたイベントの心構えである。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
6品思い出す。うち1品は別のもの。1品はなし。4/7で60点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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10.1 今年もたばこ自販機の価格設定を無事やり終える [稼業]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 たばこ税の増税に伴い、たばこの価格が今日アップした。3年前に、4年連続して毎年増税することが決まっていたそうな。たばこ屋をやっていながら、そう言われればそうだったかなあ、と、すっかり忘れている。
 面倒なのは、たばこ自動販売機の価格設定のやり直しである。3年ほど前までは日本たばこや外国たばこの営業マンが9月下旬に来て、値上げ日の午前0時ジャストに切り替わるよう設定してくれていた。
 しかし、たばこの売り上げ減少に伴い、自販機は店が買い取る形になって、維持管理は店でやらねばならなくなり、価格設定変更も自分でせねばならくなった。
 昨年の今日、表題の記事を書いたのだが、今日も同じ表題で書くことにする。
 日本たばこの自販機を自分で価格変更するのは昨年に続き2回目。外国たばこの自販機は3回目である。自販機メーカーが違うから、方法は全く異なる。操作要領はどこかにしまってあるかもしれないが、頭で覚えていなくても手が覚えているだろうと思い、今朝、開店前に、早速、変更操作に入る。
 まずは外国たばこ。3回目の変更操作だから、難なく設定終了。でも、これで本当に正しくできたのか、確認の仕方が直ぐには思い出せない。たぶんこうだ、と、やってみたら、正しく設定できていた。よしよし、である。
 次に日本たばこ。2回目の変更操作だから、初っ端から戸惑う。一番安い価格のものを、たぶんこうだ、と、やってみたら、価格変更できたみたいだ。順次、同じ要領で全部を操作。最後に確認。外国たばこと同じ方法でやってみたら、確認できた。やれやれ、これで終わったと安堵。一時は、はてさてどうなるものかと、冷や冷やしたが。
 さすが2年目、3年目となると、年に1回のことではあるも、頭や手がけっこう覚えてくれているものだ。
 ところで、操作要領を昨年パソコンでプリントアウトしたと昨年の日記に書いてあるのだが、それをどこにしまったのだろう。そもそも、そんなものがあることもほとんど忘れてしまっている。
 この年(72歳)になると、1年経つと随分と忘れてしまう、頭である。でも、手のほうは、そうそう簡単には忘れないでいてくれる。頭で理解するのは忘れやすいが、体を動かして理解したものは忘れにくい。人間の体は良くできているものだ。記憶は脳だけでするものではない。体が、特に手、わけても指先が記憶してくれているのである。
 頭脳ではなく、“手脳”に感謝の出来事であった今朝の一仕事。
  
<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。うち2品は別のもの。3/7で40点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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