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2.9 スーパーで宝探しを楽しむ [日々雑感]

 ずっと前から今日の日曜日(店の定休日)は百姓をしようと予定していたのだが、昨日の雪・雨で畑仕事がしにくいし、風も強い。よって、今日は、店の書類整理とブログを打つことぐらいしかやることがない。
 一日中、暗い店内にいては頭が重くなってしまう。少しでも外の空気に触れ、お日様に当たると、不思議と気分は明るく軽くなるものである。
 外出せねばならない用事が何かあると助かる。

 昨夜、果物がとうとう底をついた。女房は果物を欲しがらないが、小生は一日たりとも欠かすことができない。それほどの果物好き人間である。もっとも、量は少しで良い。何かあればそれで満足する。
 たいていは底をつく前に、女房がスーパーで何かしら買ってきて、果物ストックヤード…小さな単なる籠であるが…に備蓄してくれている。それを、いつもおいしいおいしいと言って食べていればいいのだが、今日のはまずい、この前のものは直ぐに痛んでしまってダメだ、などと小言をたびたび言うものだから、女房は買うときにけっこう神経を使っているようだ。
 そして、今日、女房は、スーパーへ行く用事がないから今日からの果物は自分で買ってきてくれ、と言う。よし分かった、と二つ返事。
 外気に触れ、お日様に当たる機会ができたから、好都合だ。

 女房がいつも行っている西100mにあるスーパーには、おいしそうな果物は見当たらなかったと言うから、東300mにある別のスーパーへ出かけることにした。外は明るくて気持ちいい。歩いていけばよりいいのだが、風が強くて少々寒い。よって、車を使用。
 小生がスーパーへ行くのは、年に1回(11月)定期的に福引景品を仕入れに行くだけで、それ以外に行ったことはなく、果物売り場に行くのは何年ぶりだろう。
 色とりどりに、いかにもうまそうなものがズラッと並んでいる。
 宝探しをするようで、何だかワクワクした気分にさせられる。
 さて、何か仕入れねばならない。でも、見た目だけでうまいかどうかは小生にも分からない。よって、最近ご無沙汰している果物、リンゴを買うことにした。幾種類もあって迷ってしまうが、小振りのリンゴなら1回に1個食べられ、適量だ。それが10数個入った箱が目に留まったから、迷いなくそれをゲット。
 これが不味かったら、2週間も我慢し続けなければならないが、そうでないことを祈ろう。

 外出できて気分晴れやか、スーパーでワクワク、さてリンゴの味は… 
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2.8 そんなに頑張らなくてもいいよ。ありのままのあなたが一番。 [学び]

 2月1日と昨日、みやがわみちこさんの「なんでも仙人」について取り上げました。読後感想を一言で言えば、
 『やった~っ!もっともっと楽になれるんだ~!』 by なんでも仙人
となります。おおいに“らく”して生きなさい、というものです。ただし、これには次のとおり注釈が付いています。
 (仙人の声) わしの言う「楽に生きる」とはな、怠けることではないのじゃ。楽に生きるとは、「自分も相手も楽になれる生き方のことじゃよ。つまり「こだわりをなくす」ということじゃな。

 また、2月1日に小林正観さんの思想の一端として「他人に頼ってひたすら感謝する」を紹介しました。これは氏の著「ただしい人からたのしい人へ」を読んで、小生がそう感じたものです。
 氏は本書の巻頭で、次のように言っておられます。
 「正しい」という価値基準ではなく、それをやることが「楽しい」のかどうか、ということを物差しに置いてみてください。もしかすると、今までにはない、楽しく、幸せで、心穏やかな時間が待っているかもしれません。

 ところで、今日、開店準備を終え、女房が何やらした後で、ニコニコと満面に笑みを浮かべているではありませんか。どうしたんだ、と聞くと、日めくりをめくって表題の一日一語が良かったから、と言う。
 どれ、と小生も見てみると、草花とお地蔵さまの絵に一語が書かれている。小生は一語に目が行ったのだが、女房はお地蔵さまの微笑みに目が釘付けにされたようである。その日めくりは、
   御木幽石「一日一語 幽石の言葉めくり。花心草想」
 これは31ページもので、順次めくって1か月経つと、また1ページ目に戻るというもので、何年でも使えます。その裏表紙に書かれているのが次の言葉です。
  野にある ちいさな草花 のように 風にも雨にも 夏の暑さにも まけない
  そんな強く 優しい しなやかなこころで 今日を一日。

 なんでも仙人、小林正観さん、幽石の言葉めくり
 これらは皆共通しているように思えます。小林正観さんの著「ただしい人からたのしい人へ」の目次の言葉を借りて言うとなれば、(第1章)「楽しい生き方」、(第4章)「やわらかな生き方」、(第5章)「力を抜いて生きる」といったことになるでしょう。

 さて、21世紀の日本は「こころの豊かさを求める時代」ではないでしょうか。20世紀は「物の豊かさを“頑張って”求めてきた時代」であったことでしょう。それに対して「こころの豊かさ」を求めるには“頑張り”を必要としません。単なる「気づき」でいとも簡単に手に入れることができるからです。
 小生は歴史には疎いのですが、古今東西の「こころの文化」を比較してみるに、今も昔も日本人ほど「こころの豊かさ」を持ち合わせている民族は少ないのではないかと思われます。
 昨日、今日と、「こころの豊かさ」の気づきに、たっぷりと触れさせていただき、ますます「楽(らく)して楽(たの)しく」生きていく道を進んで行きたいと思ったところです。

 ところで…またまた、ところで、ですが…今冬は雪が積もらなさそうで助かると思っていたのですが、天気予報が当たり、朝から雪が降っています。みぞれ混じりでベトベトの雪が駐車場に1、2センチ積もっています。これだけなら、雪どけはズルできそうですが、テントに張り付いた雪がドサッと落ちる恐れがあり、これを落としてその雪をどけなければいかんです。これまでズルして楽をするわけには参りません。表題の「そんなに頑張らなくてもいいよ。」の範疇には入らず、ササッと雪どけをしたところです。
 少々寒く、少し濡れたものの、動いたお陰で体が温まりましたし、気分は、日めくりのお地蔵さまの微笑みのごとく、にこやかにお客様のお出でをお迎えすることができるようになりました。
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2.7 「なんでも仙人」に惚れ惚れ [学び]

 2月1日の記事で「なんでも仙人の 人生がどんどん良くなるシンプルな教え Q&A編」(みやがわみちこ著)について少し触れました。読んでみて、けっこう面白い本だと感じたものですから、第1編も見てみたくなりました。
 Q&A編はアマゾンに中古品の出品があり、ワンクリックで簡単に購入できたのですが、第1編はアマゾンに取り扱いがなく、出版元のトータルヘルスデザインのHPにアクセスしての注文となりました。
 これがけっこう煩わしいです。あれこれ入力せねばならず、エラーが出て入力し直しは常です。今回もそのようになりました。
 さて、登録が済んで、第1編を買い物籠に入れ、たったの1冊では何だからと、他に何か面白そうなものはないかと探すと、第3編も出ていました。そして、よくやることですが、何でもない本をついでに1冊衝動買いしちゃいました。

 それらが本日届きました。いずれも数十ページの薄いものですから、3冊ともざっと読んでしまいました。案の定、衝動買いしたものは、買わなきゃよかったとなりましたが、「なんでも仙人シリーズ」は、なかなか面白かったです。
  楽(らく)に楽(たの)しく生きる処方箋
これが満載です。
肩に乗っかっている重しが取れて、心が軽くなる、といったところでしょうか。
何か壁にぶち当たって悩んでいるとき、具体的な相談例を元にして、その解決法を仙人が授けてくださる、という形を取っているのですが、素直にそれに従う気分にさせられるから不思議なものです。

  これは使える!

精神的な悩みを抱えておられるお客様もけっこう多いです。1冊400円。まとめて購入し、そうしたお客様に差し上げたり、当店発行の生涯現役新聞で取り上げたりしよう!
今日は、いい本に出合えました。


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2.6 珍しく夜中のトイレ行かずに済む [日々雑感]

 小生の寝場所は2つある。一つは生まれて以来の自宅で、もう一つは店の2階に居室があり、たいていは、こちらで女房ともども寝起きしている。
 親父が13年前に死んで、自宅の方はおふくろ一人住まいとなってしまったので、それからは週に2回自宅で泊まるようにしている。築50数年の木造であり、夏は涼しくていいのだが、冬は冷えに冷える。
 従前は自宅で泊まるときは布団を敷きっ放しの2階で寝起きしていたのだが、寒い日には夜中にションベンがしたくなり、眠気眼で階段を上り下りせねばならないことがあった。
 それが、寄る年波には勝てず、だんだんその頻度が増し、還暦過ぎの老体では階段の上り下りが危なっかしく、昨冬からは面倒でも居間に夜布団を敷き、朝上げるという生活に変えた。
 そして、今冬は、2階の物置に電気カーペットがしまってあるのを女房が見つけ、何年振りかにそれを居間で使うことになった。
 これがあったのを小生は忘れていた…物忘れも激しくなったものである…のだが、電気カーペットは実に有り難いものである。自宅に泊まったときに電気を入れれば部屋が暖まり、朝の冷え込みが大いに和らごうというもの。
 しかし、初回は設定温度が高すぎ、電気カーペットの上に布団を敷くしかなかったものだから、夜中に背中が熱くなって、低温やけどをしてしまった。あれからもう2か月も経とうというのに左肩の一部がまだ少々痒い。
 そこで、次回からは設置温度をうんと低くしているのだが、そうなると敷き布団はまずまず暖まるのだが、部屋がどれだけも暖まらず、夜中のションベンを1回は覚悟せねばならない。
 でも、緩い温度設定でも、朝方の体感温度は随分と違うから、昨冬よりも室内温度はけっこう高いことだろう。朝、目が覚めたら、さっと起きられるから有り難いものだ。

 さて、今朝の冷え込みは天気予報では今冬一番の厳しいものとなるとのことであった。何と氷点下4度。(実際には氷点下2.0度)
 そうなると、夜中に1回は必ずトイレに行かねばならぬと覚悟していた。
 ところが、尿意を感じて目が覚めたときには外が明るかった。時刻は7時少々前。何と夜中のションベンをせずに済んでしまった。
 なぜだろう?
 “良かったあ!”と思う前に、疑問の方が先に湧いてきた。
 冷え込みがない日でも、こうしたことは滅多にない今冬であるからだ。
 強いて理由を挙げるとすれば、果物大好き人間の小生だが、昨晩は風呂上りに小さなミカン2個だけで我慢したからであろうか。
 さすれば、寝しなに果物を食べなければ良いことになるのだが、果物がない日には、“餓死するー!”と女房殿に冗談(半分本気)で物言いするほどの小生であるゆえ、果物なしでは生きていけない…と思うほどに果物は毎日欠かせない。
 よって、果物なしで夜中のトイレがなくなるかの臨床データは採りようがない。
 ここは、電気カーペットの威力は大したものである、として理解しておこう。
 いずれにしても、電気カーペットはもう離せない。これからずっと毎季甘えさせていただこう。

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2.5 猛烈に寒い今日、でも… [稼業]

 今日は日が昇ってからも気温が上がらない。朝から風も強い。家から3km西にある岐阜気象台の最高気温はなんと3.9度とチョー低い。猛烈に寒い今日一日である。
 当店の2月セールも後半戦に入ったのだが、こう寒くてはお客様も来られないだろう。そう思っていたが、けっこうご来店いただいている。それも、自転車や徒歩の方が多い。
 よくもまあ、こんな寒い中おいでくださったものである。
 時には小雪が舞った。ちょうど徒歩でご来店になった方のときで、お帰りのときは車で送らせていただいた。
 明日も今日と同様に猛烈に寒い日になりそうだが、きっと何人かお客様が来てくださるだろう。
 お客様に感謝、感謝。
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2.4 ブログ読者からのお褒めの言葉ほどうれしいことはない [稼業]

 小生のブログに、数日前、新たにまた読者が付き、連日のようにコメントを寄せてくださいます。そして、お褒めの言葉をたくさん付けてくださいます。
 人間、特に男は褒められると、途端にうれしくなり、俄然自信が付いて、イキイキと働くようになる動物とのことですが、小生はその際たるもののようでして、褒められれば天にも昇るような気分になり、舞い上がってしまいます。
 昨日の記事に付けられたコメントを今日見て、まさにそのような状態になりました。コメントをくださった天安様に感謝、感謝、感謝。この場をお借りして厚くお礼申し上げます。

 さて、些細な褒め言葉であっても有頂天になる、これは大なり小なり男の気質のようでして、これをうまく利用する女性もこの世には多いようです。「おだてりゃ豚も木に登る」ということわざは、たぶん女性が作ったのではないでしょうか。
 そのあたりのことを別立ブログで紹介しておりますので、お手すきでしたら下記をクリックしてご覧になってください。これは面白いと、自己満足的ではありますが、自信を持って記事にしておりますゆえ。
  結婚学入門(上)“ジューンブライドは理想的”

 
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2.3 今日は節分てことは明日から春なのだ [日々雑感]

 節分寒波という言葉がある。大寒からしばらくの間は1年で一番寒い時期であり、冬と春を分ける節分に寒波が来たっておかしくない。
 今日は節分だが、小寒波が2、3日遅れでやって来るらしい。
 まだまだ寒さは厳しいが、節分の翌日は立春であり、明日からは春なのだ。これからは着実に気温は上がっていくのである。
 さて、今朝のこと。予報どおりではあるが寒くない朝。というより空気が生暖かいほどに感じられた。2か月も先の気温だ。
 夕べはおふくろが一人住まいしている自宅に泊まったのだが、実に心地良い朝が迎えられた。そして、店へ向かうに当たり、あれこれ荷物を倉庫から車に積み込んだのだが、軍手が要らない。いつもだったら軍手をしていても指先が痛くなるのに。
 暖かいってことは、ほんといいものだ。
 最近、つくづくそう思うようになった。高齢者の仲間入りをし、体も年相応になってきて寒さに弱くなったのは間違いなかろう。
 でも、それでいいのだ。寒けりゃ外仕事を最小限にすればいいのだし、何よりも、寒さに弱くなった分、暖かさが大変なご馳走に思えるようになったのだから。
 今日の暖かさに感謝、感謝。

 ところで、今日の“一楽”を書こうと思って、このブログを見たら2月1日の記事が公開されていない。ひょっとして消してしまったか?
 記事管理のページをクリックしたら、何と「下書き」保存されていた。ホッと一安心。早速「公開」をクリックして保存。
 体が寒さに弱くなったのに比例して、頭も弱くなってしまったようである。
 頭は使えば使うほど良くなる、と言われるが、そのためには、限度を超えるぐらいに猛勉強せねばならないであろう。そうした気力というものは、高齢者ともなると湧いてこないから、どだい無理である。
 このように、いつまでも若くないから、という言い訳で済ませてしまう自分がそこにいる。
 10年経ち、20年経ち、と歳を重ねていくと、体も頭ももっともっと横着になるだろう。しかし、そうなってはいかん。行き着く先はボケ老人だからだ。
 ところで…またまた、ところで、ではあるが…このブログを書くには、適度に頭を使わねばならない。毎日書き綴っていけば、けっこうなボケ防止になろう。
 2月1日の記事で書いたとおり、このブログの趣旨を一回り広くしたのだが、併せて目的も広げねばならなくなった。
 そうなると、このブログを立ち上げたときには、千夜一夜物語になぞらえて1000話で一区切りをつけようかと思っていたが、そうしてはならないことになったものの、これは喜ばしいことである。
 なぜならば、投稿ミスの頻度が記憶力の強弱の指標にもなり、…今までに随分の頻度でミスが発生しているのだが、…ボケ街道まっしぐら、とは決してならないだろうからである。
 失敗は成功の元。とんだミスが思わぬ良い方向に展開していってくれるから、面白いものである。

 今日は、体の衰えと頭の衰えという2つの話題を、ともに強引に“一楽”に変えてしまい、かつ、無理やり結び付けるという手法をとってしまいました。
 その結果、半分冗談ぽい内容になったかもしれませんが、当の本人はいたって真面目に捉えています。念のため。
 それはそれとして、このブログを読んでいただいた方々に、今日の記事は“楽しかった”と思っていただけたら、この上ない幸せです。  
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2.2 観葉植物ポトスの鉢替え [稼業]

 10数年前に、当店のバイトさんたちから当時店長だった小生への誕生日プレゼントとしていただいた観葉植物のポトス。小鉢に入った可愛い大きさで、居間の隅に飾っておいた。お日様は全く当たらず、光線は夜に点ける蛍光灯のみ。
 よって、生長することなく、水やりもほとんどしなかったがために、いつしか枯れ枯れになり、小さな葉っぱ2枚を残すだけとなった。
 “数年間も鑑賞できたのだから、もう寿命だ。捨てよう。”と、小生が言ったら、女房が、“可哀想だわ。ひょっとすると生き返るかも。”と、日当たりの良い場所に移したら再生してくれ、葉っぱがいっぱい芽吹いて1年で随分と大きくなった。
 それを店に持ってきて飾ることにした。
 冷蔵ストッカーの上に置いておいたら、直ぐ上の蛍光灯が営業時間中しっかり当たり、どんどんツルが伸び、茂りだした。初めは垂れ下がらせていたが、1年でそれも限界となり、横へ這わせることにした。
 天井から30~50cmの所にダブルで細い棒を吊り下げ、これにツルを螺旋状に巻いてあげたら、1年で2mほど伸び、翌年もまた2m、といった具合に毎年順調に伸び続けてくれる。
 3年ほど経ったころに鉢を一回り大きなものに取り替えてあげた。
 その後も伸び続け、昨年3月時点では約13メートルの長さに伸び、あと7mほどで店内を一周する勢いとなった。
 その状況は次の写真のとおり。(2013.3.29撮影)

DSCN0099.JPG
(店内西面の天井近くに置いてある鉢植から右方向に伸び、角のエアコン辺りまで撮影)<写真をクリックすれば拡大表示できます。>

DSCN0100.JPG
(上の写真の続き:角のエアコン辺りから店内北面に進み、その角から店内東面の途中まで撮影。ここが先端。)<写真をクリックすれば拡大表示できます。>

DSCN0101.JPG
(先端部の拡大写真)<写真をクリックすれば拡大表示できます。>

 その後、昨年からまた2mほど伸びて先端部は次のような状態となり、今年は店内最終の南面を走ることになる。(2014.2.2 先端部の拡大写真)<写真をクリックすれば拡大表示できます。>

DSCN0249.JPG
(真ん中辺りの枯葉までが昨年3月の先端)

 どうだ!と自慢したくなります。ギネスに登録できるかも?
 ご来店いただいたお客様からも、“これ、造化かと思っていたけど本物ね。スゴイ!”と、ときどきお褒めの言葉をいただいています。“うれしーい!”です。

 さて、こうまで伸びるポトスの根っこはというと、あまり大きくない鉢だから、さぞ窮屈になっていよう。鉢を入れ替えて3、4年経っている。
 そこで、本日、大きな鉢に入れ替えることにした。
 今までの鉢はプラスチック製であり、先ずは鉢にへばりついている根っこを物差しを突っ込んではぎ落とす。ところが、鉢の裏から根っこが外に出ており、引き抜くことは不可能である。よって、ペンチでもって鉢の裏側から側面にかけて少しずつ壊していき、最後に裏面を壊し終えたら、パカッと外すことができた。うまく外れてくれてホッと一安心。
 見てみると、入れ込んであった牛糞堆肥がほとんどなくなっており、根っこばっかりといった状態になっている。
 “ポトス君、随分と窮屈な思いをさせてしまってすまん。”と心の中で声をかけたところである。
 代わりの鉢は2、3周り大きなものを用意した。これもプラスチック製であり、先ずは糸鋸で縦に真っ二つに切り分けた後で、底面と側面を針金で結わいで元の形にした。これで、次回の植え替えが容易にできることになる。
 かなり縦長であり、底まで牛糞堆肥を敷き詰めるのはなんだから、底から10cmほどは発泡スチロールの小片を入れ込んだ。その上に牛糞堆肥を数cm入れ、ポトスの根っこの塊を乗せて、周りに牛糞堆肥を埋め込む。これで完成。
 ありあわせのトレイを鉢の下に差し込み、水やりをして、終了。
 “ポトス君、さあ、これで、足が思いっきり伸ばせるだろう。今年の夏にツルをグーンと伸ばしてくれよ。”
 
 ところで、気がかりなことが一つある。昨年の4月に店の照明を40W蛍光管からLED管に変えた(ただし、ツルの先端部は東面を走っており、ここには従前どおりボール球がある)ことである。光りの性質がどれだけか違うことだろう。ポトスにとって光合成がうまく進むかどうか心配であった。でも、昨年1年間で2mほど伸びてくれたから安堵したものの、冬になって全体に葉枯れが例年より目立ち、ちょっと心配ではある。
 “ポトス君、光不足だろうが頑張って葉をいっぱい付けてくれ。”
と彼(彼女?)にお願いしたところである。
 3、4年後には、何とかして店内一周を果たしてほしいものである。
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2.1 楽(らく)することは楽(たの)しいこと? [学び]

 楽(らく)してはいかん。苦労せよとは言わないが、何事もどれだけかは努力せよ。そうしないことには自分は成長しない。それに、楽(らく)してしまっては楽(たの)しくもないではないか。
 そんな思いで小生は今まで生きてきました。
 よって、このブログの“一楽”も“一たのし”であって、“一らく”ではないと、断りをして書き綴ってきました。
 しかし、昨年9月に“高齢者”の仲間入りをした(させられた)のを契機に、少しばかり心境に変化が生じてきました。
 “俺も年を食ったなあ。これからはそうも頑張らんとてええのやないかあ。少しずつ誰かに頼って甘えさせてもらおう。そして、助けてくださった方に感謝、感謝だ。感謝の気持ちだけは絶対に忘れてはいかん。”
 こうなってしまうと、“一楽”は“一たのし”でもあり、“一らく”でもある、となってしまいそうです。

 「他人に頼ってひたすら感謝する」という生き方は、幾冊かその蔵書を持っている故・小林正観さんがよく言っておられたことで、別立てブログ「薬屋…」や当店がDM配布する「生涯現役新聞」で、以前に何度か紹介しました。少しでも皆さんに“心の安らぎ”を持っていただけたらと思って記事にしたところです。
 ところが、小生自身は、その当時は“まだまだ俺は”という意気込みが大きかったですから、自分がそうした生き方に入っていくのはずっと先だと思っていました。還暦を迎えたとき、家族皆がそのお祝いをしようとしてくれたとき、頑なに拒否したほどですからね。
 しかし、自分が“高齢者”扱いにされてしまったときには、“俺は”という覇気が湧いてこず、何だか気力がガクンと萎えてしまったのです。それを切っ掛けに小林正観さんの思想を順々に受け入れていく、といった心境にあります。

 さて、この前の日曜日に、ある製薬会社の勉強会があり、同業者講師の方から、おすすめ本のリストをいただきました。その中に「なんでも仙人の 人生がどんどん良くなるシンプルな教え」(みやがわみちこ著)があり、興味を持ったものですから、ネット注文し、それが今日届きました。(入手したのは、その続編のQ&A編ですが)
 内容は小林正観さんの思想と大差ないと感じましたが、表紙をめくった最初のページに掲げられているのが次の言葉(これだけしか書かれていない)です。
 『やった~っ!もっともっと楽になれるんだ~!』 by なんでも仙人
 こうまで“らく”を強調されてしまうと、その気にされられてしまいそうです。
 でも、この本(たったの64ページ)を一気に読んで、その感想はと言うと、“これでいいのだ!”となってしまいました。
 ここでお断りをしておきますが、“らく”をすることと、“ずるをする”、“放り出す”といったこととは全く別物ですから、誤解なきよう。(2月8日追記:「楽に生きる」とは「自分も相手も楽になれる生き方」つまり「こだわりをなくす」ということ by なんでも仙人)
 よって、このブログを書き始めた頃は、“一楽”は“一たのし”であって“一らく”ではない、としましたが、これからは、“一楽”は“一たのし”でもあり“一らく”でもある、として書き綴っていきたいと思っています。
 読者の皆様に引き続きご愛読賜りますようよろしくお願いします。
 なお、同業者講師A様には個人的にも良書の紹介をいただいたり、手取り足取り教えを請うたりと、何かとお世話いただいており、この場をお借りし、深く深く感謝申し上げます。
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