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3.11 娘が東京へ引越し [娘と息子]

 アラフォーの独身の娘が東京へ引っ越し、昨晩我が家へ来て入用な衣類などをキャリングバッグに詰め込み、今朝、駅まで送っていったところである。
 娘は大学を卒業するまで家にいたが、その後の引越しは突拍子もない。
 思い起こしてみると、娘の住まいは、ボストン、ニューヨーク・ウェールズ、マンハッタン、我が家、パリ、我が家、名古屋、そして今回の東京へと変遷。
 もう1人子どもがいて、それは息子であるが、同様にアラフォーの独身で、大学は山梨、その後は埼玉県川口市で定職定住してしまった。
 娘が外国にいる間は、息子が盆暮れに1泊2日で来てくれるだけで寂しい思いをしたのだが、でも、夫婦2人住まいの平穏な日々を送ることができた。
 それが、我が家に娘が舞い戻ってきたとなると、一気に…いい意味で…にぎやかになったのだが、しかし気性が一卵性双生児の小生と娘であるからして、衝突することが度々あって、少々うんざりしていた。
 ここ1年半ほどの間は、娘は名古屋住まいであったから、月に1度ほど我が家に来て夕食を共にしてくれたのだが、この程度の顔合わせがちょうど良い感じであった。
 今日からは三度夫婦2人住まいの静まり返った日々を送ることになる。そして、これは永久に続くような気がする。また、娘と息子に会うのは盆暮れの年2回だけということになろう。
 我が娘には、好きなようにさせ、新たにやりたいことが出てきたら全面的に応援してきた。職場も、商社、百貨店、航空機会社、ガラス食器店と移り変わり、職種は、秘書、庶務、販売そして通訳であるが、どの職場でも大なり小なり通訳がらみの仕事をしてきた。
 その中で、自分に最も合った仕事は通訳であり、それが好きでもあることを娘は確信し、ここ3か月は名古屋に拠点を置いて通訳のフリーランスをしていたのだが、ローカルな名古屋にはどれだけも仕事がなく、通訳仲間のアドバイスを受けて、拠点を東京に移すことにしたところである。
 その門出を祝って、新たに銀行口座を開くための印鑑を作ってやり、今日、持たせてやろうと思っていたのだが、まだ出来上がっておらず、3日後に通訳の仕事でこちらへ来るから、そのときには渡すことができるだろう。
 前にも書いたが、娘が遠くへ行ってしまう寂しさを父親が全く感じないのは、やはり、小生と娘は根っからの一卵性双生児だからであろう。それにしても気性が似すぎている。オスとメスの違いがあるのだから、本質的に違っていいはずなのだが…。そんなことに考えを巡らせていると、思わず笑いがこみ上げてくる。
 いずれにしても、娘が自信を持って働くことができる定職に就くことができたのだから、やっぱりうれしさがこみ上げてくるし、何だかワクワクした楽しい気分にさせられてしまう。
 今日は良き日だ。

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3.10 雪が猛烈に舞っている今日のお昼 [日々雑感]

 年に数回は雪が舞い、3回程度の積雪があり、うち1回は店の駐車場の除雪を強いられるのが当地の平均的な雪の状態であるが、3月になれば滅多に雪が降ることはない。
 ところが、今日3月10日、朝から雪がぱらつき、お昼頃、2、30分間、猛烈に舞った。なかなか綺麗なものである。
 積もりはしなかったが、地面は完全に濡れてしまった。 
 その後、青空が広がった。そしたら、向かいの料理店の駐車場から、すごい勢いで水蒸気が立ち上った。引き続いて当店の駐車場からも。
 この眺めもなかなかいい。こんなのを見たのは、ちょっと記憶にない。

 ここのところの数日は真冬並みの寒さが続いた。奥美濃辺りでは連日雪が降っていたことであろう。そして、今日も。
 この分なら、スキー場には雪がたっぷりあるに違いない。
 毎年、3月半ば過ぎないし3月末にスキーに出かける。春スキーだ。
 雪質は悪くなっているが、スキー場までの道路は乾いており、ノーマルタイヤでも安心して出かけられるから、毎年、そうしている。
 明後日からは暖かくなるようだから、混雑する土日を避けて、平日に機会を捉えて行ってこよう。
 そろそろ3月半ばが近づいてきた今日、雪を見たものだから、一気にスキーに行きたくなってしまった次第。

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3.9 ツクシの初摘み&フキノトウの最終収穫 [グルメ]

 3月2日にあちこちで頭を出していたツクシ。
 その後、2、3日は暖かったが、ここ数日は真冬並みの気温となり、ツクシはあまり伸びていないかもしれない。
 今日、須賀前の畑(自宅から約300m)へ農作業をしに行ったついでにツクシ採りしようと思い、土手を見てみると、小さいながらも食べ頃のものがけっこうあった。
 ホウレンソウとニンジンの畝立てでうっすらと汗をかいたところで、ツクシ摘みに入るも、最初に見た所はまあまあ大きかったが、それ以外の所はまだ小さい。
 型のいいのが生える穴場へ行ってみたが、10本ほどしか生えていない。
 ここまでで数十本しか摘んでいない。これだけでは何ともならないから、毎年びっしり生える排水路沿いの土手で、少しばかり大きそうなのを丹念に選んで摘むことにした。
 少々少ないが、まずまずの量を摘むことができた。
 ホッと一安心。
 (下の写真は昨年の3月9日に撮影したもので、ちょうど1年後の今日は、これより小さい。)

DSCN0085.JPG

 須賀前の畑仕事を終え、自宅に戻り、屋敷内の畑の農作業に取りかかる。
 そしたら、まだフキノトウが出ているのを発見。ほぼ開ききっている状態のものが多かったが、探してみたら10個強はあった。
(下の写真は昨年の3月9日のもので全部こうなってしまっていたが、今日はこの状態のものが多いも、まだ開いてないものも幾つかあった。)

DSCN0077.JPG

 ここのところの寒さで、ツクシは出遅れたが、フキノトウが残ってくれていたのであろう。お陰で、両方を摘むことができて、有り難い。
 今晩は地元恒例の「お日待ち」があり、小生が出席して会食せねばならないので、ツクシとフキノトウは明日賞味させていただくことになる。楽しみだ。
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3.8 お客様からの贈り物に大喜び [稼業]

 お昼前に、“今日は近くまで来たから、これ食べて。”と、お客様から和菓子をいただき、それから暫くして別のお客様から、“旅行に行ってきたから、これお土産、食べて。”と、お菓子をいただいた。この方々からは、以前にも同様にして何度か頂き物を受け取っている。
 お二人とも上客様であり、お客様から贈り物をいただくなんて筋が違う、というものであるが、これらのお客様には、うちで採れた野菜をお配りしたり、女房が手作りの手芸品を差し上げたりしてるから、そのお返しという意味合いもあろう。
 でも、これは「純粋贈与」と受け止めたい。
 小生も女房も大喜びして素直に受け取ったし、お客様2人とも満面に笑みを浮かべておられたからである。

 「純粋贈与」とは、見返りを求めない贈与のことである。
 この言葉は、矢野智司氏が著「贈与と交換の教育学」の中で用いているが、主眼が「贈与のリレー」に行っているような感がする。一方、中沢新一氏の場合は、著「対称性人類学」の中で、「純粋贈与」の発展型として「対称性の論理」が働くことによって非対称なものを同質化(人A=人B、人間=動物)する思想が生まれることを詳細に論説している。
 よって、中沢新一氏の「純粋贈与」は興味深いものがある。
 ここで、そのさわりだけを紹介しよう。

 贈与によって受け取ったその物には、その物の使用価値以外に、信用、名誉、愛情など様々な多次元的な価値が付着しており、また、それらの価値が圧縮されていたりしていて、これは、貨幣価値に換算できるものではない。
 贈与は、物を媒介にして、人と人を結び付ける働きをするので、昔の人は、「贈り物には贈る人の魂が付着している」からとして、ゆめおろそかな気持ちで贈り物をあげなかったし、また、受け取りもしなかった。
 この贈与がうまくいくと、(純粋贈与またはそれに近いものの場合)、昔の人が「贈与の輪が動くときに霊力が動く」と言ったように、互いのこころは幸福な感情をかきたてられて、人と人の間に密接な一体感が生まれる。
 この贈与は、本質的な面で「人A=人B」という非対称なものを同質化する「対称性の論理」と深く結び付いている。

 これだけでは十分にご理解いただけないであろうが、今日の2件の贈与は完全な「純粋贈与」ではないものの、限りなく「純粋贈与」に近いものとして受け止められたところであり、贈った方も受け取った方も、互いにとてもうれしい気分になり、より親近感が高まったのは間違いない。
 ところで、さわりだけを紹介した中沢新一氏の「純粋贈与」の説明は、6年前に小生が著した論文「新・学問のすすめ 第2部 数の文化と論理」から抜書きした、要約である。
 生意気にも、畏れ多い表題としてしまっているが、第1部「アインシュタインの宇宙」と併せて、自信作(勝手にそう思っているだけ?)であるがゆえに、また若かった(当時59歳)こともあって、つい筆が滑ってしまったところである。
 今日のこの日記を書き終える段になって、そろそろこの論文もブログアップしたいなあ、と思った次第。乞うご期待!
  
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3.7 商品台帳の更新を楽しく始めた今日 [稼業]

 4月1日から消費税がアップになる。これに伴って、価格改定せねばならない。税別表示にするか税込表示にするか、と言う問題もあるが、とりあえずは商品台帳にあがっている売値を入れ直さねばならない。
 その商品台帳は10年ほど前に更新したもので、さらにその10年前のものと並べて置いてあり、厚みは半分ほどに減っている。10年間でアイテム数が半減したと言ってよい。
 その後、この10年間でさらに取り扱い商品が減ってきており、消費税アップを契機に、商品台帳をすっきり見やすいものにするためにも作り直すことにした。
 第1ページから順次書き直しを始めると、“へー、こんなの扱っていたんだ”という商品が幾つも出てくる。
 何だかなつかしく思える。でも、さみしさは湧いてこない。
 今までに当店薬屋が取り扱いを廃止した商品は、ドラッグストアならどこでも売っているものであり、簡単に選べるもので、かつ、ほとんど利益がない。
 東にも西にも、南にも北にも、1、2km行けばドラッグストアがあり、皆さん、順次、そこでお買いになられるようになったのだ。
 それでいい。
 薬を買おうと思っても、セルフサービスでは選ぶのが難しく、相談しないことには自分にピッタリ合ったものが手に入らない、そういう商品を充実させるのが当店の務めなのだから。
 そして、そうした商品が今の台帳に追加して書き込んである。
 時代の移り変わりとともに薬屋の姿も変わってくる。
 ということは、薬屋はカウンセリング能力をより高めていかねばならないということになる。ある製薬メーカーは、勉強会のことを「スキルアップセミナー」と呼んでいる。これは的を得た名称であり、自分もそうならねばならぬ。
 そうしたことどもを思い巡らせながら、商品台帳を新しいものに作り変える作業に取りかかったところである。
 薬屋の未来は明るい。コツコツ勉強して、スキルアップ!  
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3.6 しだれ梅が満開、綺麗なものだ [おふくろ]

 もう10年以上前になるが、浜名湖から少し山に入った所に「しだれ梅」がたくさんある公園があって、そこへ行ったとき、その苗を売っていたので1本買ってきた。
 それを畑の一角に植えたところ、最初の2、3年は、なかなか大きくならなかったが、その後根が張ったのかグングン生長してくれ、羽振りがよくなった。
 ところが、隣の樹木とゴッツンコしてしまい、おふくろが「しだれ梅」の枝を寸切りしてしまう。毎年そうするから、今では「しだれ梅」らしくなくなってしまった。
 そこで、昨冬にビニールテープで2、3本の枝を下に引っ張り、少しは「しだれ梅」らしくするとともに、邪魔になる木をどれだけか伐採したところである。
 そして、おふくろに“これは「しだれ梅」なのだから枝を切るな!”と何度も言っておいたのだが、またまた勝手に剪定してしまった。もっとも、前の年よりは多少遠慮した剪定の仕方だから、我慢するしかないが。

 その「しだれ梅」が今朝、満開となった。青空に濃いピンクの花が映える。
 先日まで暖かい日が続いたから、一気に花を付けてくれたのだろう。
 今朝の寒さの中、いい眺めであり、しばし見とれた。
 「しだれ梅」としてではなく、単なる「梅の木」として。
 
 下の写真は昨年3月16日のもの。今年の写真は近日撮影することに。
DSCN0092.JPG
 下の写真は今年3月9日撮影のもの。どれだけかはしだれ梅らしい形に。
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3.5 ブログの顔写真が気に入っていただけた [稼業]

 今日は朝からバタバタしている。店はセール中であり、化粧品メーカーのお手入れ会の日であるから女房も忙しい。そうした中で朝から雑用が入ったし、また、遠方の親戚の葬儀が明日あり、お供え物の手配や身内への連絡、通夜同行者の確認などなど小生も振り回されていた。

 そうした中で、初来店のお客様あり。小生の別立てブログ「薬屋の…」に大変いいことが書いてあり、楽しみに見ています、とのこと、また、にっこり笑ったブログの顔写真がいい、ともおっしゃった。
 購入していただいた商品は、ブログに書いてあることとは全く無関係のものではあったが、ブログを見て、ご来店いただけたとは、うれしいかぎり。

 午後1時を過ぎ、葬儀関係が一段落したところで、このブログを書いているのだが、午前中バタバタしたからか、まだ浮き足立った状態から脱していない。
 もう少しすれば気分も落ち着き、ブログでご来店のお客様のことがジワーッと大きな喜びとして湧いてくることでしょう。きっと。
 
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3.4 三寒四温ならぬ五寒六温?のこの頃、草花の世話を楽しむ [稼業]

 昔は立春を過ぎれば、三寒四温で天気が巡り、だんだん暖かくなると言ったものだ。ところが、近年はこれがだいぶ崩れてきて、規則性がなくなってしまった感がする。あったとしても、五寒六温といった間延びしたような形に変化しているよう気がする。
 ここ1週間ほどはとても暖かな陽気であったのに、明日からは数日真冬に戻ると週間予報は言っているから、よけいそんな気になってしまう。
 いずれにして、だんだん暖かくなってくれるのは有り難いものだ。

 しかし、ここのところのあまりの暖かさで、店頭のパンジーにアブラムシが発生しだした。例年なら3月下旬ないし4月になってから発生するのだが、今年はいやに早い。このまま放置しておくと、どんどん勢いを増すことだろう。
 そこで、アブラムシが発生しているプランターを自宅の庭先に持っていった。
 明日の雨とその後の冷え込みで、アブラムシは絶えてくれることだろう。先日の畑のハクサイと同様のことが期待される。
 例年、4月になってパンジーにアブラムシが湧いたときには農薬噴霧しているのだが、農薬はあまり使いたくないものの、放置しておくと花の咲き方が悪くなるから、止むを得ず使っている。今年も、いずれはそうなろう。

 パンジーのプランターは、10月頃から店頭に置いているのだが、うまくいくとゴールデンウイークまで持ってくれ、ベゴニアやペチュニアと選手交替させられる。
 今年もそうなってほしいものだ。

 ところで、自宅へパンジーのプランターを数多く避難させたために、店頭の花壇に空きが出てしまった。そこで、少々早いが、ヒヤシンスの蕾が色付いてきたのがあったので、これを店に持って来た。
 まだまだ陽が軒先の花壇を照らすから、生長に支障はなかろう。

 こうして、店頭の花飾りをしているのですが、草花も生き物であり、それなりに手をかけてやらねばならず、目が離せない面があるものの、ご来店いただいたお客様の目を楽しませ、それ以上に自分自身の目を楽しませてくれますから、全然苦になりません。
 と言うより、草花の世話をさせていただけることに、生き甲斐を…少々大袈裟ですが…感じているといったところです。
 今日だって、“あっ、アブラムシが湧いている! そうだ、露天に置いてあげて、アブラムシを絶やしてあげよう!”と、スッと行動が起こせたのですから。
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3.3 ツクシが頭を出し始めた [グルメ]

 昨晩はフキノトウのてんぷらを食べた。年1回のフキノトウのてんぷらである。
 もう時期が終わりかけており、蕾を包む葉っぱが開いているものが大半だが、てんぷらにすれば味は変わらない。
 油の熱で苦味がかなり減り、香りは十分残るから、実にうまい。
 てんつゆに大根おろしをたっぷり入れて賞味したところである。

 さて、フキノトウが終わる時期には、ツクシの季節となる。
 例年、2月下旬なり3月始めには地面からツクシが頭を出す。
 2月27日に畑に行ったときには、まだ頭を出していなかったが、昨日3月2日にはあちこちで頭を出していた。
 ここ2、3日は暖かいからグングン伸びることだろう。しかし、週の後半は真冬並みの気温となる。となると、今度の日曜日(3月9日)にツクシ採りしようと思っても、まだ小さすぎるかもしれない。
 でも、今度の日曜日は畑仕事を予定しているから、どれだけかは摘んできたいと思っている。
 (下の写真は昨年の3月9日に撮影したもの)
DSCN0085.JPG

 当地では、小生が子供の頃に比べてツクシが少なくなったような気がする。
 ツクシを摘んで食べる人は今では随分と少なくなってしまったのだが、型のいいのがたくさん生えている場所は限られており、皆がそこで摘むから早めにそこで摘んでこないと型のいいのが手に入らない。よって、少々焦る。
 ツクシというものは、当地では子どもの頃の話だが、他人の畑の土手に生えているものであっても誰でも勝手に摘んで良いしきたりになっていた。きっと今でもそうであろう。だから、早い者勝ちになってしまい、焦るのである。
 でも、穴場がある。“えっ、ここ採っていいの?!”という場所があり、実に型がいいツクシを毎年そこで採っている。もっとも、半坪ほどの狭い場所ではあるが。

 ツクシは小生の好物だが、女房がことのほか好みにしており、毎年、小生が少なくとも3、4回は摘んでくる。これからの時期、ツクシ採りをしている人をときどき見かけるのだが、皆、おばちゃんである。
 おっさんがツクシ採りをしている姿を見たことはなく、小生は男であるからして、いつも気恥ずかしい思いで周りを気にしながらこそこそと摘んでいる。
 なぜ、女房がツクシ採りに行かないかというと、ツクシが頭を出す時期とスギ花粉が飛ぶ時期が一致しており、花粉症がひどい女房がツクシ採りに行くとなると、決死の覚悟がいるからである。
 そうしたことから、我が家ではツクシ採りの仕事は亭主の役割となる。
 これは有り難いことでもある。なぜならば、面倒なツクシのハカマ取りを女房の役割として押し付ければいいからだ。

 さて、ツクシの料理法であるが、料理屋さんでは口取りにツクシだけの煮物が出てくるのだが、風味を味わうにはこれで良い。しかし、量多く食べるとなると、味がくどすぎる。そこで、我が家の伝統として、「小松菜を多めに入れた卵とじ」としている。なぜか小松菜が合うから不思議なものだ。3月いっぱい、何度かこの卵とじを賞味できるであろうから、今から楽しみである。
 当家の春の七草は、フキノトウに始まり、それが終わればツクシとなり、少し時期を置いてセリでもって終わる、三草である。いずれも自生の旬のものが味わえるから有り難いものだ。
 ところで、春の七草に「フキノトウ、ツクシ」が入っていない。本来ならこれらを入れるべきだろうし、野菜として定着し切っている「大根やカブ」が入っているのはおかしい。たぶん「七草粥」として一度に全部を口に入れたいからだろうが、セリは旬の収穫時期がずっと遅くなり、少々無理があるのではなかろうか。

 最後に、薬屋の身であるから、ツクシの薬効にも触れておこう。
 いろいろ調べてみたものの、あまりパッとしたものはないようだが、各種のミネラルが多いのは確かなようだし、そしてポリフェノールなどの抗酸化物質も多く含まれていると思われる。
 ヒトも春になれば新陳代謝を高めようとする。これからの時期、新陳代謝を円滑にしてくれるミネラルはしっかり補給したいものだ。そして、ストレスで大発生する活性酸素を消してくれる抗酸化物質も同様だ。
 なお、ツクシには毒があるとも言われるが、これは食べ過ぎた場合のことと考えて良く、野草全般にその傾向がある。ときどき少しずつ食べれば何ら問題はなく、逆に体にいいと言える。

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3.2 丸一日畑仕事で心地よい疲れ [百姓]

 丸一日といっても、午前9時から午後3時までの6時間(昼食を取らず大休止なし)ではあるが、畑仕事をしてきた。
 微風で暖かく、ビッチュウで畑起こしをすれば汗ばんでくる。急ぐことはないから、雑草を小まめに放り出したりして、ボツボツ進める。
 今日は、あれこれと野菜の収穫もあったが、ビッチュウでの畑起こしが中心。自宅から300mの須賀前の畑を1畝(約11m)、自宅前の畑を3畝(計20mほど)である。
 ここには〇〇を植えよう、あそこには××を植えよう、と考えながら畑起こしをするのは楽しいものである。
 
 これだけなら大して時間はかからないが、懸案になっていた、おふくろ専用の仏花の畝を直すことにした。
 何年か前に、ある程度きれいに整形したのだが、畝幅が狭すぎて入りにくくなっているし、真夏にはジャングルと化す。
 ここ2、3年は、おふくろも面倒がって草引きや手入れがおざなりになっているし、大して切り花にもしない。
 よって、今日、2か所に分かれている仏花の畝をそれぞれ1畝少なくし、畝幅を広げ、4畝の部分的な移動を行った。
 想定されたことだが、クワで畝を削ると球根が出てくる。
 一つはグラジオラス。これは、須賀前の畑で5畝も栽培しているから、出てきた球根は全部堆肥場へ捨てることにした。
 2つ目はユリである。これは、ここだけだし、株数が少ないから、全部拾い出し、椿の木の隣の空きスペースに埋め込んだり、椿の木の際に埋め込んだ。
 その他に、何だか分からない小さな球根が付いたもので既に芽吹いているものが2種類。これも、ユリと同じ場所に埋め込んでおいた。
 これで、自宅前の畑が随分と綺麗になった。
 おふくろは、何で畝を減らしたと文句を言うかもしれないが、今年は仏花の畝の手入れも小生の仕事になりそうだから、よしとしよう。
 汗をかくほどではなし、腕が疲れるでもなし、息が上がるでもなし。
 こうしたのんびり農作業は楽しいものである。
 でも、6時間やると、けっこう疲れる。しかし、その疲れが、また心地いい。
 今晩の晩酌が、またうまいものとなる。
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