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9.3 科学技術の大発展がもたらすもの(その4) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 「科学技術の大発展がもたらすもの」第1回は「世の中便利になれば余暇時間が増す?」、第2回「情報の洪水」、第3回は「タケコプターの時代は来るか」について書いたが、今回は「医療は進歩するか」と題し、思いのままを綴ることとする。

医療は進歩するか
 医療が一番進んでいる国は中国であろう。2千年超の歴史を誇る中医学(漢方)に近代西洋医学を組み合わせての治療技術ゆえ、鬼に金棒、と言いたいところだが、あまりに西洋医学が間違っているから、逆戻りしている感がしないでもない。
 そもそもの中医学は、広大な中国大陸5地域の食と気候風土の相違によるところの各地特有の治療技術を総合化させたものであり、漢の時代(紀元前)に基本古典医学書「黄帝内経」が完成している。
 黄帝内経のうち素問 異法方宜論篇(其ノ十二)には次のようにしたためられている。(一鍼堂さんホームぺージより寸借)
黄帝(架空の人物で皇帝)が問う。「医師が疾病を治療するとき、同じ病気に対して各種の異なる治療の方法があり、そのいずれの場合でも結果的には治療しうるということは、どのような道理によるものであろうか。」
岐伯(上医:皇帝の御側付きの名医)が答える。「それは、地理、形勢の相違によって、治療方法にも各おのにふさわしいものがあるからです。」
(引用文が長いので、要点を示せば、東方:瀉血療法(切開術)、西方:漢方薬療法、北方:灸療法、南方:針療法、中央:按摩療法が発達した。)
「たとえば、東方の地域は天地始生の気を得て、気候は温和で、魚と塩とを産出する地方であり、 海浜にあって水に接近しています。東方の地域の人たちは、魚類をよく食べ、鹹(塩)味を好み、この地方に安住して魚塩を美食としています。しかし、魚類を多く食べますので、魚の性が火に属することにより、人は中に熱を累積するようになります。また塩を多く食べますので、鹹が血に走ることにより血液が消耗損傷するようになります。そこで東方の地域の人たちは、いずれも皮膚の色は黒く、肌のきめは粗いのです。この地域では癰瘍の類の外科的疾病が多発します。これらの病気に対する治療法としては、砥石刺法を用いるべきです。それゆえ、砥石の治療方法は、東方より伝来したものです。」
「西方の地域は、山が多く荒野・砂漠が広がり、たくさんの金属・宝石を産出し、また砂や岩も多くあります。この地域の自然環境は、秋季の気候状況によく似ており、自然界には一種の物を引きしめる現象があります。西方の地域の人たちは、山陵に住み、住居は簡単で風に吹きさらされ、その水土も剛強な性質をもっています。彼らの生活では、衣服について深く考えるようなことはせず、毛布を身につけて、草でつくった寝床で眠ります。しかし、食生活は〔ぜいたくで〕新鮮でおいしい乳製品や肉類をとるために、身体は肥えており、外邪によって容易に侵されるようなことはありません。彼らの発病の多くは内傷に属し、これらの病気に対する治療法としてはすべて薬物を用いるべきです。それゆえ薬物療法は、西方より伝来したものです。」
「北方地域の自然界の気候は冬季の状況によく似ており、閉し蔵める気象を有し、地形は比較的高く、人々は山陵に住み、普段は風が冷たく氷の張る環境の中にいます。北方地域の人たちは、遊牧生活を好み、四方の原野を仮住まいとし、食べものはみな牛・羊乳製品です。そこで、内臓が寒を受け、張満の疾病を生じやすくなります。これらの病気に対する治療法としては、艾を用いて焼灼すべきです。ですから艾灸による焼灼療法は、北方より伝来したものです。」
「南方の地域は、自然界の万物を生長させ養う気候に富み、陽気が最も旺盛な所です。地形は低く、水土が薄く弱いので、霧や露が常に発生します。この地域の人たちは、酸味と発酵させたり煮たりした食品をよくとり、身体の皮膚はきめが細かくて赤味を帯びています。ここでは筋脈の拘急、しびれて感覚がなくなるほどの疾病が多発します。これらの病気に対する治療法としては、微鍼を用いるべきです。九鍼による治療法を、南方より伝来したものです。」
「中央の地域は、その地形は平坦であって、湿気が多く、産物は豊富であり、人々の食物の種類はとても多く、生活も比較的安定しています。この地域では、痿弱・厥逆・寒熱などの疾病が多発します。これらの病気に対する治療法としては、導引・按蹻の治療方法はまた中央から拡まっていったものです。」
「以上のことから考えると、聡明な医師というものは、これらの多くの治療方法を総括して、具体的な状況にもとづいて、臨機応変に対処できる人です。そこで、治療方法には各種それぞれ相違がありますが、結果的にはすべて治癒できるのです。これは医師が病状をしっかりと理解でき、さらに治療の大原則を把握しているからに他なりません。」
(引用ここまで)

 もう一つ中医学で重視するのは「未病(みびょう)」である。引き続き一鍼堂さんホームぺージより寸借する。
 重要キーワード「未病」についてですが、『黄帝内経 素問』ではどのように書かれているのでしょうか?書かれているあたりの記述をみてみましょう。
『黄帝内経 素問』
四気調神大論篇(第2)の一番最後より
<原文と読み>
従陰陽則生、逆之則死。
(陰陽に従えばすなわち生き、これに逆らえばすなわち死す。)
従之則治、逆之則乱。
(これに従えばすなわち治まり、これに逆らえばすなわち乱れる。)
反順為逆、是謂内格。
(順に反するを逆となし、これを内格という。)
聖人不治已病、治未病。不治已乱、治未乱、此之謂也。
(聖人、已病を治さずして、未病を治す。已乱を治さずして、未乱を治すとは、これをいうなり。)
夫病已成而後薬之、乱已成而後治之、
(それ病すでに成りて後にこれを薬し、乱すでに成りてこれを治するは、)
譬猶渇而穿井、鬪而鋳錐、不亦晩乎。
(たとえれば、なお渇して井をうがち、闘して錐を鋳るがごとし、またおそからずや。)
———————————————————————————
 ここで、真ん中の4行目に「未病」が出てきましたが、そもそも「未病」とは「いまだ、病ならず」と読んで、「今は病気が発症してないけれども、いずれ発症する状態」という意味になります。また、「未病」と対比して「已病(いびょう)」というキーワードが出てきてますが、これは「すでに、病たり」と読んで、「もうすでに病気が発症している状態」をいいます。
 上の原文で真ん中ぐらいに 「未病」と「已病」の両方が出てきている文章がありました。大事なので、もう一度そこだけ抜粋しますと
聖人不治已病、治未病。不治已乱、治未乱、此之謂也。
(聖人、已病を治さずして、未病を治す。已乱を治さずして、未乱を治すとは、これをいうなり。)
 ここで、主語が「聖人」とありますが、「聖人」とは東洋医学のヒーローのような人のことで、 養生をしっかりと守る、そして他人にも説いて病気を予防させるような健康のスペシャリストのようなイメージです。
 未病と已病とを『素問』では井戸や戦いくさにたとえて説明されていますが、これをもう少し掘り下げてみます。
 戦が始まってから武器を造ることを考えるのは確かに遅すぎますが、事前に準備するのは武器を調達することだけではなく、その武器を使いこなせるように兵士を訓練することが必要であったり、兵士が足りなければ徴兵することも必要であったり、どの部隊に兵士を配置するのかを決めたり、など、やるべきことが沢山あります。
 何かやりたいことがあれば、そのやりたいことのために必要な準備などが出てくるのはどんな事にもいえることです。未病を防ぐ・取り除いておくという内容ですが、解釈を少し拡げ、自分にとってやらなければいけないこと、やっておいた方が良いことなどを普段から意識して取り組んでおくこと、そのような意識をもつことが重要だ、という内容にもなってきます。
(引用ここまで)

 基本古典医学書「黄帝内経」から2点取り出して紹介したが、これは現代の中医学でも根幹をなしており、これなくして治療も予防もできない、根本医学・根本健康学である。そして、免疫力を養うことに重点を置いているのも中医学の特徴だ。 
 一方の西洋近代学は感染症と外傷の治療に目覚ましい、目立った治療法を発展させた。つまり戦争、戦争また戦争というヨーロッパの戦乱の中から必要に迫られて発達させた「野戦病院の医学」であり、対象とする患者は質実剛健な戦士である。
 感染症に対するワクチンや抗生物質の開発は目覚ましいものがあり、これは平時においても大変役に立つ。外傷については消炎鎮痛剤、麻酔薬の開発、輸血、外科手術の高度化といった、これも平時における外傷治療に大変役に立っている。
 しかし、それ以外の疾病については単なる対症療法(熱が出れば解熱剤、むくみが出れば利尿剤といった措置)しか持ち合わせておらず、単に症状を消すのみで疾病の原因を治そうとはしない。よって、根本治癒には何も手を差しのべず、個々人の自然治癒力に任せるのみとし、これに関しては医療の対象外とするのである。
 その根底には、適者生存、自然淘汰の考えがあり、虚弱で病弱な人間は自らの自然治癒力が弱いのだから早死にするはやむなし、で済ませてしまう文化がある。これは、老人介護では良い方向に働く。つまり、自力でスプーンを使って食べられないほどに虚弱な体になったら餓死するしかないと、放置して自然死させるのであり、日本のような寝たきり老人なるものは存在しない。
 西洋医学の本質はこのようにいまだ野戦病院の医学ゆえ、今後ますます増大するであろう生活習慣病には全く太刀打ちできない。がんがいい例だが、がん細胞を切除したり放射線で焼き殺したり、散ったがん細胞を抗がん剤で叩くといった、副作用でどれだけ苦しもうとも、何でもいいからがん細胞をゼロにすればいい、という考えで医療に取り組むから、もぐら叩きゲームで終始する。がんができる根本原因は何か、がんと共生する(西洋では考えもしないことだが)にはどうしたらいいのか、ということは検討の対象外にされてしまうのである。
 戦後の高度成長期から始まった花粉症や各種難病についても、対症療法しかしないから、決して治癒しない。根本原因を知ろうともしない(知ろうとしても、その技法を持ち合わせていない)西洋医学である。高度成長期から始まった新たな生活習慣といえば冷蔵庫文化であり、冷たい物中毒がゆえに全く新しい疾病の登場と考えるべきものであるのだが、それを主張する学者はゼロに等しい。加えて、そのような“とんでもない学説”は、嫌悪され、無視され、相手にされない。
 こうしたことは、学問の世界に共通するのであるが、特に医学にあっては、従前の説に基づいて治療されてきた方法が否定されるとなると、その治療法により体を害した(最悪は死亡した)患者から訴えられることにもなり、新説(=正しい学問)を認めるわけにはいかないのである。
 加えて、欧米や日本での医療は、資本主義経済の下における営利主義を取らざるを得ず、これに製薬会社の営利主義が密接に関与し、あらゆる病気は簡単に完治してしまっては困るのである。様々な病気に関して、無駄な検査を積極的に行い、しなくてもいい手術をし、かえって害になるような薬を多用し、不健康な状態を持続させ、患者は再検査、再手術、再投薬といった儲け仕事の材料にされるのである。
 こうした経営方針の下にある医療なのだから、どれだけ科学技術が大発展しても、どれだけ高度な医療技術が施されても、あらゆる病気は治癒しない(治癒させない)運命にある。資本主義経済の下における営利主義がそうさせる。
 その点、中国は共産党の下にあり、新説(=正しい説)の下に、簡単に治癒させてしまう技術を一気に導入することが可能であるのだから、それに大きな期待が寄せられる。ところが、中国の経済発展も資本主義経済を導入したからであって、医療においても何よりも儲けることを考えるから、欧米や日本と大同小異になってしまったことだろう。もはや中国においても、岐伯のような名医の出番はなくなってしまう、そのように危惧されるところである。
 資本主義経済は、科学技術を大発展させるのに非常に適した経済的仕組みではあれど、それは利潤の追求という大前提の下になされるものであり、利益が生まれず、逆に利益を失うことになる新たな革新的技術というものは抹殺され、闇に葬られるのである。往々にして、それら革新的技術というものは、新たに発見された正しい学問によるところが大きいのだが、そうした正しい学問も先に言ったように同様な運命にあるのである。
 スマホがますます便利に使え、ドローンが何でも運んでくれるといった科学技術の大発展による恩恵は幾らでも受けられる一方、医療はますます金がかかるも、いっこうに病気は改善しないばかりか病気で苦しむことが多くなる未来である。
 資本主義経済に代わる何か新しい経済システム、それは共産主義経済とも違った、それはどんなものか分からないが、遠い将来において、人類の英知でもって作り出して初めて、停滞し続ける医療が大きく前に進むことだろう。
 そうした経済システムが動き出せば、「がんは放っておけばいい。血圧は高くてかまわない。コレステロールは血液検査から除外して無視すればいい。」となり、よけいな薬を飲まされずに済んで、それだけでも人間は健康になれるのである。
 インフルエンザや旧型コロナ風邪そして今般の新型コロナ風邪だって、そのウイルス性の感冒は、未来永劫そのウイルスの特性からして、基本的にいかなる治療薬でもってしてもウイルスを殲滅できないのであり、唯一の治療法なるものは患者自身の自然治癒力しかなく、「医者にかからず布団をかぶって寝ておれ」が基本になるのであり、これを第一にするしかない。これらも「放っておけばいい」の部類に入る。
 糖尿病がますます増えるのは目に見えている。世の中便利になればなるほど体を動かさず、飽食する。自然の摂理は、動物はずっと飢餓との戦いをしてきたから、それに対処する術をしっかり保持しているのだが、飽食は未経験だから対処のしようがないのである。
 でも、これは案外技術的に簡単に対処できよう。人間というものは腹八分(もっと少なくせねばいかんだろう)で我慢できるわけではないから、今、米国で胃袋を半分にしてしまうという手術が行われているが、これでもって絶対的に食べられないようにするという荒療治である。こんな大袈裟な治療をせずとも、胃の中にバルーンを入れ、食べたらバルーンが膨らみ、2、3時間したらバルーンが縮む、といったものは今の科学技術では不可能ではあるが、そう難しいことではなく、将来においては皆がこうしたものを胃袋に入れ込むであろう。こうして糖尿病は克服される、そのように考えられる。これは資本主義経済下で可能な技術開発だ。
 もう一つ西洋医学で将来期待される、夢のような医療技術が「再生医療」である。臓器移植はたいていの場合拒絶反応を伴うが、iPS細胞などによる臓器新生にはそれがない。自身の細胞から作られるものだから、免疫反応が起こりようがないからである。劣化した臓器を新品の臓器に取り換える、つまりサイボーグ人間の誕生であり、これが行きつくところまで行きつけば不老長寿となる。はたして、こんなことが可能だろうか。
 「腸は考える」と言われるように、臓器一つひとつに心があるようだ。そして、臓器同士はその心でつながっているように思われる。「心身」という言葉があるように、「心」と「身体」は一体のものであり、人工的に作られた臓器が突如入り込んできて、はたして「心身」が健康に保たれるのか、この壁は厚いように思われるのであるが、なんとかしてこの壁を乗り越えてほしいものだ。かなり難しいと思われるが、「臓器の心」が解明されれば、これは可能となろう。
(今日はここまで) 

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。うち2品は別のもの。他に1品。3/8で40点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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9.2 科学技術の大発展がもたらすもの(その3) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 「科学技術の大発展がもたらすもの」第1回は「世の中便利になれば余暇時間が増す?」、第2回「情報の洪水」について書いたが、第3回は「タケコプターの時代は来るか」と題し、思いのままを綴ることとする。

タケコプターの時代は来るか
 ドラえもんに出てくるタケコプターは反重力を利用しての非常に便利な移動手段であり、ぜひ将来実現させてほしいものであるが、相対性理論の枠外にあるから、それを超える新理論を待たねばならぬ。よって、もし実現しても、遠い遠い未来のこととなろう、架空の夢物語である。
 しかし、今の技術でドローンがあるじゃないか。
 テレビで自然物や動物物を良くみるが、昔はヘリコプターにカメラを積み込み、震動防止装置を取り付け、苦労して撮影していたようだ。よって、狭い区域に入り込んだり、動物に接近することができず、迫力ある微細な映像は見ることができなかった。でも、今はドローン撮影が主になって、これが実現した。
 ドローンの技術は日進月歩でどんどん性能がアップしてきている。中国企業がダントツに優秀で、世界シェアの過半を握っており、米軍までもが一時採用した。これが5Gとの組み合わせで、さらに機能アップする。
 近い将来、ドローンが人間を運ぶ、つまり自家用車やタクシー代わりになりはせんか。それは夢物語ではないだろう。それも、近距離だけではなく、遠距離も。そして、ドローン空中衝突という交通事故の多発、と単純に考えてしまうが、これは5Gによってたいてい防がれるだろうし、近い将来6Gになるに決まっているから、交通事故もますます有り得なくなる。
 空を見あげれば、赤とんぼの大群かと思いきや、ドローンが飛び回っている、それも人をぶら下げて、といったことになろう。通勤通学もドローンとなり、駐車場はドローン置場に代わる。そして、リニア中央新幹線が開業した頃には、リニアなんて無用の長物となっているやもしれない。飛行機にしたって、近距離は飛ばなくなり、超遠距離が中心となりはしないか。
 観光旅行も様変わりする。いい景色が自由自在にドローンで見られる。ただし、富士山を上空から眺めようと殺到してドローンで大混雑。“大型赤とんぼ”にかすんでしまって富士山が見られない、なんて状態になってしまうだろうから、乗り入れ規制がかけられる。富士山以外についても、地上からいい景色を眺めようとする者は、“大型赤とんぼ”が邪魔になって、らしい景色が楽しめず、これまた各地で乗り入れ規制がかけられることとなろう。
 ドローンの登場によって、人や物の輸送手段は大きく様変わりし、ドローンがますます速く便利な輸送機関となるのは間違いなかろう。そして、これが行きつくところまで行きつくと、道路・鉄道網が不用となるから、都市の姿も一変する。
 かくして、我々の日常生活もドローンなしでは語れなくなるに違いない。自転車も不用。自家用車も不用。要るのは一人一台のドローンであり、遊びに行くときは2人乗り、4人乗りのドローンをチャーターすればいい。それ以上の人数となればドローン2機のチャーターだ。
 今、エコカーだの電気自動車だのと言っているが、遠い将来には、自動車を見るのはサーキット場だけとなろう。自転車も競輪場だけ。
(今日はここまで) 

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
3品思い出す。他に1品。3/4で75点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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8.31 科学技術の大発展がもたらすもの(その2) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 「科学技術の大発展がもたらすもの」第1回は「世の中便利になれば余暇時間が増す?」を書いたが、今日は第2回「情報の洪水」と題し、思いのままを綴ることとする。

情報の洪水
 小生のメインブログ「薬屋の…」で、ちょっとした解説記事を書くに当たって、随分と何冊もある蔵書の中から関係部分を探し出したりして書くことが多いのだが、それだけでは情報が足りず、ネット検索して、これはという情報が見つかれば、それを織り交ぜて記事にすることが多い。それが、年々ネット情報に頼ることが多くなった。
 ネット検索していると、そりゃあスゴイ。よくもまあこんなに情報があるのかと感心させられるというか、あっけにとられる。
 ところが、ネット情報は玉石混交(「玉石混合」だったっけ? これも検索で一発で分る)というか、誤った情報がいかにも多すぎる。どれが正しいのやら、さっぱり分からなくなることもある。また、正確にはどうなのかを調べようと思っても、似た情報というものは、ある所が発信源で、それを流用しているものが多かったりする。こうなると、もう何ともならない。念のためウイキペディアはたいてい覗いてみるのだが、通り一遍、無味乾燥といった解説が多く、役に立たないし、政府の方針に沿ったバイアスがかかっており、間違った内容がけっこう多く、いただけない。
 やはり正確な情報を得ようとするならば、ちゃんとした本を買い、有料の文献検索サイトを利用することだが、そこまで熱心に取り組む勇気は小生にはもうない。
 小生が立てているブログは今9本あり、店のホームぺージを加えると10本にもなり、その情報量となると、何十冊かの本と同量となろう。よくもまあこんなに書いたものだとあきれる。いかにもやりすぎ、といった情報量である。大した内容ではないのに。
 どんなホームページもブログもニュースのサイトも、おしなべて小生が立てているものとたいして変わりないだろうから、情報の洪水もいいとこだ。
 検索エンジンもどんどん改良されているようだが、なかなか思ったようなものが引っかからない。どうでもいい情報の中に個性的な情報が埋もれてしまうような感じがするが、そうした個性的なものが浮かび上がるような検索エンジンに改良してもらいたいところであるも、そう事はうまく運ばんだろう。ここのところは、“上手な検索の仕方セミナー”なんてなものがあって、それに参加して勉強せねばいかんだろうが。
 ここまでは文字情報についてであるが、最近は画像(特に動画)が爆発的に広がってきている感がする。画像はウソをつかないと思いきや、巧妙に捏造されたりしてるから、とんでもないがさネタをつかませられたりするから、甚だ危なっかしい。
 情報全体について言えることは、何らかの色が付いていることである。政府方針、業界方針に乗っかっていたり、売らんがため、営利のため、という情報が多すぎる。

 ここまでは情報を得ようという能動的な面での諸問題についてであるが、受動的な情報取得については、また違った問題が生ずる。
 マスメディアは、情報を早く伝える順番から言うと、昔はラジオ・テレビ・新聞・週刊誌であった。この中で内容が十分吟味され、かつ、迅速性があった報道が新聞であり、けっこう信用が置けたものである。何日か遅れざるを得ない週刊誌は、その内容は奇をてらったり、面白おかしなものに変質させたものが多かった。
 近年は、最も早く情報を伝えてくれるのはネットニュースとなり、それも各社争って早く報道しようとする。よって、正しくない報道がなされたり、誤解を生む内容だったりし、正確性は犠牲にされる。
 何時間か後に放送されるテレビとなると、映像で勝負だとばかり、どぎつい画面であふれかえり、視聴者を釘付けにする。今やテレビは斜陽産業となり、ネットをやらない中高年をターゲットにするから、コロナがいい例だが、こうした脅し路線をひた走る。
 新聞はもっと遅れるから、昔の三流週刊誌並みとなった。これも斜陽産業につき、営利面でやむを得ないかもしれない。こちらも中高年がターゲットだ。
 その点、じっくり構える週刊誌のほうが、今では昔の新聞並みに内容が良くなったやもしれぬが、やはりネットに押されて苦戦しているようだ。
 こうして、まともな情報を受けられなくなってしまいつつある昨今である。

 もう一つ新たな受け身情報がある。それはSNSの普及に伴って現れた。前にも書いたが、専業主婦間で毎日やりとりされ、彼女たちは忙しくなったようであるが、これは一部高齢者を除いて万人に当てはまろう。毎朝、膨大な量のメールをチェックせねばならないし、日中も時折スマホを覗かねばならんだろう。そして、やたら送られてくるメールの全てを無視するわけにもいかず、お義理でけっこうな数のメール返しもさせられよう。
 きっと、どうでもいい内容のメールをそうも送るな、と言いたいことだろうが、これも友達付き合いで我慢するしかなかろう。
 加えて、移動通信システムは1980年代に始まったアナログ携帯電話の第1世代移動通信システムから順次高速化・大容量化が進み、早や5G(第5世代移動通信システム)に移り変わろうとしている。5Gは「高速・大容量」「低遅延」「多数端末との接続」が売り物というから、今普及しているSNSはその多くが移動通信であるがゆえ、その質と量は格段にアップしよう。
 この移動通信によるSNSが一番困る情報の洪水ではなかろうか。5Gさらには6G、7Gと進むにつれ、これがよりひどくなり、将来においては“情報の洪水”というよりは、“情報の氾濫”と言ったほうがいいかもしれぬ。そして、“情報で溺れ死ぬ”ということにもなろう。
 第1回で書いた「世の中便利になれば余暇時間が増す?」にも、これは大きく影響すると考えられる、困った問題である。
(今日はここまで) 

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
6品思い出す。うち1品は別のもの。2品はなし。3/7で740点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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8.26 科学技術の大発展がもたらすもの(その1) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 7月16日の日記に「新たな研究テーマに孤軍奮闘立ち向かおうとしている小生である。どんなテーマか? それは、人類の未来がどうなるのか、についてであるが、まだまだ頭の中で何かがもやもやしているだけといった状態」と書いた。
 テーマをもっと絞り込みたいし、絞り込まねば答えも出てこない。これは分かっているも、最初から特定の事項に絞り込むと、周りが見えなくなってしまうから、今の段階では最大限広く構えないと前へ進みそうにない。
 前回は「ヒトの形質変化は将来どのように進むだろうか」に関して、5回にわたって書いたが、今回から別のテーマ「科学技術の大発展がもたらすもの」と題して、思いのままを綴ることとする。

世の中便利になれば余暇時間が増す?
 昔は歩いて2時間かかったが、自転車が普及したら30分で行け、車が普及したら10分で行けるようになった。昔はそろばんで掛け算割り算をしていて答を出すのに随分と時間がかかったが、電卓が登場したらあっという間に答が出るようになったし、今ではそれらの集計は計算ソフトがあるから数値を打ち込むだけで瞬時に答が出る。このように、何もかもが極めて短時間に処理できるようになってしまった。
 と、なれば、労働時間は昔の半分、いや、そのまた半分以下で済んでいいはずだ。特に戦後は科学技術が大発展し、当初、日曜休み・土曜半ドンが週休2日となり、有給休暇や特別休暇が増えたりしたものの、年間労働時間が幾分か縮んだだけで、実に割りが合わない。もっとも、けっこう給料がアップし、欲しいものがあれこれ手に入るようにはなってきているが。
 労働の質という面で捉えると、昔は遠方へ出張すると1泊2日で行かせてもらえ、初日に仕事を半日で済ませ、翌日は物見遊山し、労働時間に余暇が含まれていた。外回りの営業なら午前と午後の各1回、喫茶店で30分は遊べたし、内勤でも時々喫茶店へ行けた。ということは、実質の労働時間に昔も今も差はないということになろうか。
 近年は残業規制がかかり出し、勤務時間中に大慌てでわき目もふらず仕事に没頭せねばならなくなったことであろう。やり残しの仕事があれば家に持って帰るなり、こっそり早出して始業前に片づけるとか、今のサラリーマンは何かと大変なことであろう。いずれにしても、とにかく仕事は気忙しくなったに違いない。
 たまに岐阜から名古屋に出かけるときに電車に乗るのだが、昔は居眠りをして体を休めている人が大半であったが、今はスマホをいじっている人を多く見かけ、居眠りしている人はほんと少ない。スマホで何をしているのかしらないが、ぼんやりしているなんて時間がもったいないとばかり、あれこれ情報を集めたり発信していることであろう。
 世の中、便利になればなるほど一日が小忙しくなる、これが現実のようだ。普通に考えれば、便利になれば何事も簡単に片づけられ、時間が余って余裕しゃくしゃくとなり、逆じゃねえかと思いたくなる。しかし、現実は違う。これはどうしたことか。

 もう50年近く前のことだが、経済学者のE.F.シューマッハーが1973年に次のように言った。「ある社会が享受する余暇の量は、その社会が使っている省力機械の量に反比例する。」と。1973年は、ちょうど小生が社会人になった年だ。もう、その時点でこれが言われていたのだが、この年から始まったサラリーマン生活21年は、上に書いたとおりであり、最初の頃は労働時間に遊びが入り、いたってのんびり仕事ができた。しかし、年を重ねるにつれてだんだん責任ある地位に昇っていき、仕事の質・量ともに上がったがゆえに、残業や仕事の持ち帰りをせざるを得なくなり、稼ぎが増えれば余暇が減っていくと思っていたが、どうやらそれだけではなさそうだ。
 なお、サラリーマンを中途退職して稼業に就いてから26年になるが、自営業ともなると、これはまたちょっと違ってくる。自分で自分にどれだけノルマを掛けるかで忙しさが違ってきて、最初の頃はたっぷりノルマを掛け、“月月火水木金金”の仕事また仕事で余暇なんぞは盆と正月ぐらいのものであった。でも、高齢者となってしばらくしてノルマなしにしたから、今では余暇は有り余るほどにあり、好きな百姓に没頭もできる。このように自営業だと、余暇は自在に生み出せる傾向にある。

 しかし、世の中はなぜか小忙しい。ゆったりと時間が流れることはなくなった。
 地域や同業者との付き合いは、何かの行事の後でいっぱい飲むことであるが、昔のように何軒もハシゴして午前様になるようなことは全くなく、二次会とてないこともある。そして回数も減った。よって、飲み会も時間を気にしてあわただしく情報交換せねばならなくなったし、酒を注ぎにゆっくり一回りしようなら、もうお開きの時間が来てしまう。加えて、地域のちょっとした行事の後は、皆で喫茶店に行ったり、簡単な食事をしたりしたものだが、こうしたものはどんどん減り、行事が済めば即解散という傾向にある。
 これは、合理的にいこうという考えのもとに、無駄に過ごす半分仕事・半分余暇という、どっちつかずの時間は削除しようということになったからだろう。

 となれば、家に帰って過ごす時間が増えようというものだし、休日丸一日フリーということも増えてよかろう。つまり、余暇に回せる時間が大幅に増える、ということになってしかるべきだ。だが、世の中はシューマッハー理論が今でも生きている感がする。
 各種統計を見てみたが、「余暇」の定義の仕方がまちまちであり、また、睡眠時間を削って何かをする(それは労働であったり余暇活動であったりする)こともあり、「余裕」時間といったものは統計上算出するのは難しそうだ。なお、仕事をばりばりせねばならぬ世代とリタイアした後の老後ではまるで違うから、これは分けて考えねばならぬ。
 よって、定量的には求めにくく、ここは定性的に判断するしかなかろう。
 ただし、労働時間については「余暇」(あるいは「余裕」)時間と相反するから、これについては簡単に触れておこう。ホワイトカラーは労働時間が増え、ブルーカラーは労働時間が減ってきている。また、高学歴者は労働時間が増え、ブルーカラーは労働時間が減ってきている。平日は全般に労働時間が増えてきている。昔に比べ、今はこうした傾向にあるというものだ。
 こうしたことから、業種・学歴による差が出てくるから、一概に言えないものの、世の中の小忙しさから解放される「余裕のひととき」というものが、どれくらい作り出せるか、これが重要なものとなろう。
 仕事でぐったり疲れ、単に体を休める時間や睡眠時間というものは「余裕のひととき」とは言えず、「余暇」にはならない。テレビに見入るのではなく、横になってテレビを単に眺めているだけで居眠りしたりするという時間も体を休める時間に入ろう。興味を引くテレビを真剣に見られて、これが初めて「余裕のひととき」であり「余暇」であろう。
 今日は定時に帰れた。時間があるから、転職を考えて何か資格を取るための勉強をしようというのは「労働」であり、趣味の本を読むのは「余暇」となる。
 こうしてみると、平日はたいして「余暇」時間はありそうにない。
 休日はどうだろう。遅くまで寝ていたり、昼寝するのは、労働で疲れた心身を休めるためであり、決して「余暇」活動ではない。「余裕のひととき」とは言いいがたいからである。買い物だってショッピングといった感じのものは「余暇」に入ろうが、必需品の買い出しといった性格のものは「労働」以外の何物でもない。買わねばならぬ物をあちこち見て回り、冷や汗たらたら財布と相談してぎりぎりの物を決めるという頭脳労働、やっと買い物が終わり、グッタリ疲れて家で一休み、といったものは全て「労働」である。
 いずれにしても、休日に「余裕のひととき」がどれだけ味わえるか、これが余暇の大小となろう。昔と今、この「余裕のひととき」が増えたか減ったかである。
 サラリーマンの場合、やはり「余裕のひととき」は減ってきているのではなかろうか。
 
 一方、専業主婦はどうだろう。炊事・洗濯・掃除といった家事労働は電化製品が次から次へと登場し、随分と楽になった(男はそれを買うために仕事で稼がねばならず、労働時間はその分だけ減らない)。また、面倒な調理をせずとも、おいしい総菜がスーパーでもコンビニでも手に入るし、衣類については直ぐに買い換え、今やミシンの出番はなくなり、ホコリをかぶっている。専業主婦は失業したも同然で、毎日何もしなくても済んでしまい、起きている間はオール「余暇」となったやに思われる。
 そうなれば「余裕しゃくしゃく」となってよさそうだが、そうはいかない。パートに出かけて「労働」し、稼いだ銭で衣服だ、装飾品だ、化粧品だ、などなと余計な出費をし、物品を溜め込んで、家具を買い足し、入れたり出したりせねばならぬ。そう簡単には衣類は捨てられないから置場所を新たに探したりもせねばならぬ。そして、年を重ねるにつれて、鏡の前で化粧品を塗りたくって長時間悪戦苦闘もせねばならぬ。もう少しパートを増やさなくっちゃいけないかと、あれこれ考えねばならなくもなる。
 さらに近年はスマホの登場で、主婦友達とSNSをやらねばならなくなった。そうしないと仲間外れになり、日に何度もメールをチェックし、返事も出さねばならない。文字ばっかりじゃバカにされるから、面倒でも写真を入れて“インスタバエ”という新種の蝿(ハエ=映え)も取(撮)ってこなければならない。
 どうやら、専業主婦も何かと小忙しくなり、「余裕のひととき」はなくなりつつあるのではなかろうか。

 専業主婦がこうだから、働く女性はもっと厳しくなっているにちがいない。
 男だけが幸いにも「余暇」を楽しめる、といったところだろうが、これも先に言ったように、労働時間が増える業種があるし、全ての労働の質が高くなってきており、小忙しさとともに労働の疲れも増大しているから、家に帰ったら、また、休日は、とにかく心身を休めたいという気分になり、「余裕のひととき」には縁遠くなり、「余暇」も減っていく、ということになろう。

 情報化機器も「心の余裕」を奪ってきている。最初はポケベルだ。これを持たされた社員はポケベルの奴隷にされたように感じた。それが携帯電話に変わり、外回りの社員は携帯電話にこき使われるようになり、今は車に取り付けられたGPSで行動管理もされる。
 友達との付き合いも、スマホにメールやらなんやらがしょっちゅう入ってきて、いちいち応答せねばならぬ。
 公私とも情報化機器に振り回されるのである。小生は、止むを得ず携帯電話を持っているが、必要最小限の機能でいいからとメールなしにしているが、いつしかショートメールが入るようになった。煩わしい、どうでもいいメールなんて送るな、といったところだ。もっとも、電話して、長々と挨拶せずに済むという点では便利だが、なんだか水くさい関係になりそうで、あまり好きにはなれないショートメールではある。

 かくして、1973年のシューマッハー理論は将来にも適用されるのではなかろうか。いつになったら「余暇」がたっぷり生まれ、「余裕のひととき」を堪能できるようになるのであろうか。これは望みようがないものになろそうだ。
(今日はここまで) 

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
6品思い出す。うち1品は別のもの。2品はなし。3/7で40点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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8.18 ヒトの形質変化は将来どのように進むだろうか(その5) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 「ヒトの形質変化は将来どのように進むだろうか」に関して、その4で「咀嚼器官」について記した。今日は「体液循環」についてである。

体液循環
 大海に浮かぶ島々、これが人体と言ってもいい。人体は、大人で6割程度が水分で占められており、細胞の周りはたっぷりの体液で浸されている。この体液循環が円滑でないと、様々なトラブルを起こし、ひどければ死に至る。
<血液>
 ヒトは重力に逆らって、直立姿勢を取る。同じ体格のイヌ(心臓の位置と脳の位置はほぼ水平)とヒト(心臓の数十cm上に脳がある)を比べると、ヒトは重力に逆らって血液をポンプアップせねばならない。ために、イヌは血圧が90で済むが、毎日よく動き回る狩猟採集民の血圧は110(文明人はこれより高いが、これがヒト本来の血圧)とイヌより20高くせねばならない。ちなみにキリンとなると2mポンプアップせねばならず、血圧は250ほどになる。でも、ヒト、キリンとも、これに耐えられるだけの心筋は十分に獲得していると考えていいだろう。
 体液循環で最重要なのは酸素を運ぶ血液であり、血液循環は、1に呼吸、2に筋肉運動、3に心臓のポンプ作用で行われている。呼吸法が一番重要であり、二番目が十分な筋肉量(特に足)の保持であって、心臓のポンプ能力は取るに足りない役割しか果たしていない。呼吸がメインポンプ、筋肉がサブポンプ、心臓はミニポンプといったところだ。
 なぜ呼吸が一番大事かというと、息を吸ったときに肺が膨らみ、内臓を圧迫して内臓を取り巻いている血管の血液を心臓へ戻すのであり、息を吐いたときには内臓は減圧されて内臓を取り巻いている血管に心臓から血液が流れ込むのである。筋肉(特に足)も同様で、片方の筋肉が緊張し、反対側の筋肉が弛緩することによって、全身血流が促進されるのである。
 年を重ねることによって動脈硬化を起こした場合に、血流を以前と同程度に保とうとして、血圧を上昇させる。それが心臓の役割ということになる。なお、狩猟採集民は動き回るから、年をとっても動脈硬化せず、血圧は110で変化しないのが一般的だ。
 さて、動物はたいてい腹式呼吸する。ところが、ヒトの場合、直立姿勢を取ることから、地球の重力で内臓が圧迫ぎみとなり、胸式呼吸に頼る傾向が少なからず出てくる。文明人となると衣類やベルトで腹を締め付けることが多くなるから、その傾向を増す。
 こうなると、主要血流を作り出し、かつ、内臓血流を十分にすること、その両方が不十分となり、体は酸欠傾向に陥る。すると、体がだるくなるのだが、そうしたことが恒常化していれば、それに慣れてしまって気が付かない。
 運動をしなくなった文明人は、特に歩かないから足の筋肉が細い。太そうに見えても、それは脂肪が巻いているだけのことである。同じ歩くにしても、筋肉が細ければポンプ能力が小さく、血液循環も弱くなる。少々の肉体労働で息が上がるのは、これによる。
 より高度な文明社会になると、ますます体を動かす必要がなくなり、たっぷりと血液循環させる必要もなくなるから、特段問題は生じないが、ちょっと動くとすぐバテる、といった状態になろう。

<津液(しんえき)循環>
 津液という言葉は漢方で使う言葉であるが、血液以外の全部の水分といったものであるから、血液以外の体液循環を指すと考えて差し支えない。
 毛細血管からは酸素や栄養分が血管壁から外へ染み出る。これによって大海を満たすと言っていい。その酸素や栄養分は島である細胞に取り込まれ、細胞はそれを代謝して、老廃物を吐き出す。細胞に取り込まれなかった酸素や栄養分それに細胞から吐き出された老廃物は、大海を漂い、しばらくしてリンパ管に入り込み、リンパ管の中をゆるやかに流れて静脈に流し込まれる。ここから先は血液循環によって腎臓で老廃物をこしとることになる。
 さて、問題なのは、この津液循環がスムーズにいくかである。血液と同様に、これは呼吸による横隔膜の運動によって、内臓に圧を掛け、減圧する、この繰り返しでもって、行うしかない。内臓に圧がかかれば、津液はリンパ管に入り込んで流れ、減圧になるとリンパ管の中にある逆流防止弁で流れはストップする。緩やかな流れとストップを繰り返しながら、津液はやがて静脈に入るのである。なお、静脈にも逆流防止弁がある。
 この津液循環がスムーズにいかないことには、いくら血液循環が良くても意味を成さない。酸素も栄養も行きわたらないし、老廃物も運び去られない。
 文明生活に馴染めば馴染むほどに津液循環が悪くなる。胸式呼吸がこれに拍車を掛ける。なんせ横隔膜の運動に頼るしかないから。そして、体の曲げ伸ばしといった、内臓を圧迫したり弛緩したりする運動が臨時的に大きく津液循環を促進する助けになる。
 我々は、血液循環がうまくいっていれば、それで十分だと思ってしまいがちだが、細胞への酸素や栄養の供給は大海でなされるのであり、海流こそが重要で、海流つまり津液循環をスムーズにして、はじめて全身に酸素や栄養が行きわたるのである。このことを忘れてはならない。
 じっとして動かない高度文明生活、これでは津液循環がますます悪くなり、先が思いやられるが、ここに救世主現る!である。ヒトは幸いかな、チンパンジーなど近縁の霊長類にない特技を持っている。随意呼吸ができるのである。
 前にも書いたが、言葉を発するには、随意呼吸ができ、口呼吸ができること、この2つが自由に行えないと不可能なのである。チンパンジーに“はい、息を止めてぇ…、はい、息を吐いてぇ”と、いくら訓練しても全くできないのである。彼らは随意呼吸ができないのだから。
 よって、健康体を維持するには、この特技を使うしかない。意識して大きく腹式呼吸をすることである。今、ヨガ、太極拳などが静かなブームとなっているが、丹田呼吸法など腹式呼吸法はいろいろあり、これを実践するのみである。
 人類の未来は明るい。津液循環は心配するにあたわず、である。もっとも腹式呼吸を意識して行わねばならないが。(体を大きく曲げ伸ばしする運動を絶えず、例えば毎日百姓すりゃ、そんなのは無関係だが。)

<内臓癒着(ゆちゃく)>
 体液循環に関連して、内臓癒着についても触れておこう。
 哺乳動物は四足歩行を前提にして、内臓の配置と保持を理想形に完成させた。頭に近いほうに肺を置き、横隔膜(これが血液循環や津液循環を生み出す最大のポンプ)を隔てて、消化器官その他の内臓を配置する。そして、各臓器は背骨で吊り下げられ、内臓同士が互いに圧迫し合うことはない。
 これは真横に並ぶからであるが、ヒトは直立したから、たまらない。洗濯竿と洗濯物に例えられるのだが、四足動物の場合は水平な竿に洗濯物がハンガーで吊り下げられている形を取るも、ヒトの場合は竿を垂直にしたから、ハンガーに吊り下げられた洗濯物は互いにくっ付き合い、乾かなくなるのである。
 ここに内臓癒着が生じやすくなり、腸閉塞も起こす。また、地球の重力に逆らえず、胃下垂、脱腸、脱肛など様々なトラブルも発生するのである。
 これを予防するには、前屈、背筋、腰のひねりなど体を大きく動かす運動を毎日何度も行わねばならない。狩猟採集民の日常生活のように。デスクワークばかり、車に座ったまま、という生活では、いずれはどこかに障害を起こす。
 内臓の配置と保持は完成されたものであり、直立したからといって配置や保持は変えようがない。横隔膜からぶら下げれば内臓癒着は防げようが、そうなると横隔膜の上下運動がおろそかになり、血液循環や津液循環が滞り、それこそ命に係わることになりかねない。
 弱ったものである、直立姿勢は。いかんともしがたい内臓癒着である。

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
6品思い出す。うち1品は別のもの。2品はなし。3/7で40点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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8.7 ヒトの形質変化は将来どのように進むだろうか(その4) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 「ヒトの形質変化は将来どのように進むだろうか」に関して、その3で「消化器系」について記した。今日は「咀嚼器官」についてである。

咀嚼(そしゃく)器官
 霊長類は全ての種が犬歯を持っている。皆、立派なものだ。これを闘いに使う。闘いといっても、そのほとんどは同種間での争いであり、オスに卓越する。
 ところが、ヒトは猿人の段階でかなり犬歯を退化させ、原人ともなると現生人類にほとんど差がないほどに退化させた。ダーウィンの進化論(自然淘汰、適者生存)では説明できない現象である。なぜか?ということになるが、本稿ではそれに触れないこととする。
 食性において犬歯の退化は利点があるかどうかであるが、狩猟で得た動物の皮や肉を引き裂くには犬歯はとても便利なものである。チンパンジーは、ときに肉食をする。彼らにとって犬歯はナイフ代わりになり、重宝しているであろう。
 チンパンジーは乾季には主食とする果物が手に入らず、硬い豆を食べることがある。よく噛まねば消化不良を起こすから、豆を噛み砕き、磨り潰しを図ろうとする。彼らの顎の筋肉は発達しており、歯も歯茎もヒトよりうんと丈夫にできているから、硬い豆であっても噛み砕きは難なくできる。しかし、磨り潰しができないのである。犬歯が邪魔をして上顎(あご)、下顎を左右前後に動かすことが全くできない構造になっているからだ。ウシやウマ(犬歯は退化している)のように食べ物を磨り潰すことは不可能だ。
 ところが、ヒトの場合は、犬歯が退化したお陰で、ウシやウマのような形で上顎、下顎を左右前後に動かして食べ物を磨り潰すことができるのである。ために、顎の筋肉が衰えたのかどうかは定かでない(オス同士の噛みつき合いがなくなった可能性もある)が、歯も顎もチンパンジーに比べて随分と脆弱になっている。

 昔のヒトは、ある程度硬いものを噛んだり、野菜を磨り潰したりといった、咀嚼を毎食しっかりやっており、胃腸に負担を掛けず、十分な消化吸収ができた。そして、虫歯もないし、歯茎の健全性が保たれ、歯槽膿漏になって歯が抜け落ちることもなかった。
 体の器官は使えば使うほど発達するのであり、昔のヒトは顎が発達し、四角顔が一般的であったが、江戸時代には既に将軍顔(逆三角形の顔型)が出てきたように、柔らかいものばかり食べるようになると、顎の発達が弱まり、歯並びも悪くなるのである。
 現代においては、皆、将軍顔になる傾向にある。幼少の頃から柔らかい食事ばかり食べさせていると、ある程度噛んだほうがよいものまで噛まずに流し込むようになる。
 “カーチャン ヤスメ ハハキトク”(母ちゃん休め、母危篤)という語呂合わせがある。
 カー(カレーライス)、チャン(チャーハン)、ヤ(ヤキソバ)、ス(スパゲティ)、メ(メダマヤキ)、ハ(ハンバーグ)、ハ(ハムエッグ)、キ(ギョーザ)、ト(トースト)、ク(クリームシチュー)という料理である。
 今後、ますますこの傾向は強まるであろう。
 既に、たいていの日本人は親知らず(第三大臼歯)がちゃんと生えて来ず、もともと親知らずが存在しなかったり、4本揃っていない場合も多い。硬いものをあまり食べなくなって、顎の骨は縮小傾向にあり、最後に生えてくる親知らずが並ぶだけのスペースが足りなくなったことが原因している。さらに最近では、上顎犬歯までもが埋伏傾向にあり、日本人の子ども3%程ほどがそうなってきている。
 霊長類はどの種も皆、4種類36本の歯を持っているのだが、ヒトは第三大臼歯を捨て去りつつあり、霊長類にはない32本の歯の持ち主に間もなくなり、将来的には犬歯も捨てて28本の歯の持ち主になるであろう。さらにその先、24本、20本と歯を減らしていくかもしれない。
 哺乳動物という呼び方は生後ほんのわずかの期間の特徴を捉えて言う言葉であり、この表現よりも、その後の長い生息期間の特徴を捉えて“咀嚼動物”というべきであると主張する生物学者がいるほどである。将来の人類は、その食習慣の大きな変化に伴い、いずれや“咀嚼動物”と呼べなくなる可能性もある。
 それに伴って、唾液の分泌を減らす(今日でもその傾向が出ている)ことになり、幾つかの障害が生ずる恐れもある。唾液が十分に分泌されると、食事中に歯の「再石灰化」が大きく進んで、虫歯が防げる。また、唾液には幸せホルモンと呼ばれるβエンドルフィンが含まれており、これが十分出れば、精神を安定させ、ストレスを消してくれる。
 なお、よく噛むことが脳細胞に心地好い刺激を与え、脳を活性化し、理解度、記憶力を良くする、つまり子供は頭脳明晰、年寄りはボケなくなるのである。
 よく噛まず、唾液の分泌が少なくなれば、こうしたことは保証されなくなり、虫歯は増えるし、心の不健康さを大きく推し進めることにもなるであろう。
 なお、今時点では咀嚼や唾液は食べ物の消化に役立っているが、将来は格段に消化のいい食品がどんどん開発され、噛まなくても胃腸に負担がかかる心配はなくなろう。
 極端な逆三角形の顔で、おちょぼ口、神経質そうな目をした宇宙人の想像図を思い出したが、人類も遠い将来は、そんなふうになりそうだ。
(今日はここまで) 

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。うち1品は別のもの。1品はなし。3/6で50点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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8.5 ヒトの形質変化は将来どのように進むだろうか(その3) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 「ヒトの形質変化は将来どのように進むだろうか」に関して、その1・その2で骨格系について記した。今日は消化器系について記す。

 消化器系
 ヒトの本来の食性は完全な植食性と考えられるが、その後、芋を主食とし、順次肉食を取り入れ、その後に穀物を主食とするというのが大まかな食性変更であるも、現在においては地域や民族において様々な食性に変化してきている。なかには、これが同じヒトの食い物か!とビックリさせられるほどに食性の違いが生じている場合もある。
 本来の植食性を押し通せば、主として大腸において腸内細菌がヒトには消化不能な食物繊維を分解し、各種短鎖脂肪酸を作ってくれ、これがエネルギー源となるし、併せてアミノ酸やビタミンを合成してくれるから、葉野菜・根野菜だけで健康で過ごせる。
 しかし、人類の遠い祖先は、これが欠乏したのであろう、新たに芋を食糧としたことは間違いない。でんぷん消化酵素が格段に出る体質を獲得したからだ。
 ついで、肉食(タンパク質と脂肪)を取り入れ、タンパク質消化酵素が十分に出るようになり、脂肪については脂肪消化酵素と胆汁が十分出るようになった。そして、農耕を始めた地域では穀類(タンパク質と脂肪がけっこう多い)を主食とした。ただし、これらについては、まだ地域差・民族差がかなりあるも、将来は肉食傾向に大きく進むだろうから、タンパク質と脂肪の消化酵素などはますます分泌されやすくなることだろう。
 6大栄養素として謳われているのは、「炭水化物、脂肪、タンパク質、ビタミン、ミネラル、食物繊維」(これは以前の並べ方で、今は炭水化物とタンパク質がひっくり返しの順番になっている)であるのだが、本来の食性は最後の食物繊維(その昔は栄養素に加わっていなかった)だけで十分で、それを摂っていればミネラルもビタミンも自動的に十分に賄えたのである。「炭水化物、脂肪、タンパク質」つまり「穀類、肉そして植物油」は、当初はヒトの代替食糧に過ぎず、その消化に相当苦労したに違いないのであるが、各種消化酵素などがよく出るような体質にヒトは変化し、今では代替食糧が3大栄養素とされ、4番目以降の3つの栄養素は付け足しに過ぎない地位にされてしまっている。
 ヒトほど何でも食べる、どんな食糧にも適合していく動物は珍しい。イヌやネコはネギが食べられない。ネギを食べると赤血球が破壊されるからだ。そして、動物一般に天然の生ものを食べているから、それらには往々にして毒があるので、安全が確認されている物しか口にしないのである。
 加えて、ヒトは早くて1万年ぐらい前(遅くて5千年ほど前)から、これは牧畜に伴ってであるが、動物の乳(乳糖:ラクトース)の消化能力を順次永久獲得しつつある。乳糖は消化酵素ラクターゼで分解するのだが、乳飲み子にはこの酵素を働かせることができるも、乳離れするとだんだん活性を失い、大人は全ての動物、この消化酵素が働かなくなる。しかし、動物の乳を毎日のように十分な量を飲み続けると、幾世代もが経過した後には、ラクターゼを永久に分泌できるようになり、加えて、この獲得形質(乳糖耐性)は遺伝するまでになったのである。牛乳文化は広がりを見せており、将来的にはヒトは広く乳糖耐性を獲得するようになるであろう。
 消化酵素などは、使えば使うほど分泌力が高まるという「用不用の法則」が働いて、ヒトは今現在の消化器系の能力で将来とも何の心配もいらないといったところだ。

 残された唯一の問題は、人類はつい先日まで飢餓に苦しまされてきたことであり、飽食はほんの一握りの支配階層以外は経験していない。それが皆、飽食する時代がだんだんやってきて、それがどんどん広まっていく。ヒトの体も動物一般と同様に、飢餓に耐えられるようにできているが、飽食に耐えられる手立ては何も持ち備えていない。過栄養は、とりあえずどこかに適当に蓄えようとするだけであるから、様々なトラブルを起こす。
 なお、動物一般に、秋に飽食して脂肪を溜め込み、冬場にそれを食いつぶし、春先にはガリガリに痩せてしまう傾向が強いが、溜め込みは体に相当な負担(特に毒素の抱え込み)がかかっているようであり、痩せるときに解毒(毒素排出)して、正常な体に復帰させていると考えられる。
 さて、懸案事項が一つある。炭水化物の消化による最終産物はブドウ糖であり、飽食によって高血糖になりやすい。炭水化物の摂取を制限すれば済むという問題でもない。過剰摂取のタンパク質や脂肪も回りまわってブドウ糖に変換されるからだ。
 高血糖つまりエネルギー源となるブドウ糖のだぶつきは、応急的に細胞内に取り込ませるインスリンの働き以外に手立てがない。ところが、恒常的に飽食を続けていても、今のところインスリン分泌能の向上は認められないようである。いや、逆にインスリン分泌能が低下するのが実態だ。これは、インスリン分泌能が際限なく向上すると、体重増加は止まるところを知らず、200kg、300kgと増え続け、ベッドに横になったまま動けなくなり、やがて死に至る(現実に米国では幾例かあるようだが)こととなるから、生体反応としてインスリン分泌能が一定のところでブレーキが掛かる仕組みになっているようである、というか、そこまで食うアホな動物はいない、といったところだろう。
 飽食が続く人類の未来はどうなるであろうか。これについては、ゾッとさせられる説がある。“「空腹」が人を健康にする”(南雲吉則著)に次のように書かれている。

 この先、「飽食」の時代が続けば、やがて人類は摂食に関するほとんどの感覚器と運動器官が退化してしまうでしょう。
 体は高血糖の環境に何とか適応しようとします。すなわちいくら甘いものを食べても太らない体質を獲得しようとするのです。まずインスリンの分泌細胞を破壊し、太らない体を獲得するのです。それが糖尿病です。糖尿病になったら、次の標的は捕食器官です。食事を摂るための機能が優れていれば、どんどん食べて太ってしまうので、捕食器官を攻撃して太らないようにするのです。
 そのために、まずは目の網膜です。網膜を破壊して失明させればエサを見つけられなくなります。次は腎臓です。腎臓を破壊すれば糖が尿中にどんどん出ていってしまうので太れなくなります。そして足です。足の血管を破壊して足を腐らせてしまえば、もう獲物を追っかけることはできなくなってやせてしまいます。
 最後には、ヒトは口とお尻の穴だけがある、頭でっかちな、イモムシのような動物に変化していくだろうと想像されます。
(引用ここまで:部分引用につき、文の順番を入れ替え、一部文字挿入)

 ギョッとさせられますね。でも、糖尿病はこのようにして様々な病気を併発するのは間違いないですし、ヒトの食欲煩悩は衰えることを知りませんので、他の生活習慣病が克服されたとしても、糖尿病だけはどうにも防ぎようがないことでしょう。
(今日はここまで) 

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
外食につき脳トレならず

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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8.4 ヒトの形質変化は将来どのように進むだろうか(その2) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 ヒトの形質変化は将来どのように進むだろうか(その1)で、「骨格変化」について記した。今日はその続きである。

 足趾(指)の変化
 人類は足趾で物をつかむ生活をしなくなったから、チンパンジーに比べて足趾をうんと短くした。使わないものは不用であり、用不用の法則(通常、用不用説と言われる)が働いたのである。なお、足裏の形は、バランスを取らんがためにチンパンジーに比べて細長くなっている。今日でのヒトの足趾の使命は、二足で立っているときに倒れないよう、バランスを取るために地面をつかむ方向への動かし方しかできなくなった人が多い。
 そして、バランスを取るには、5本の足趾は隣同士の趾がくっつくことなく、扇型に少し開いていたほうがいい。裸足の生活をしている民族はそういう形の足趾をしている。ところが、文明化し、靴を履くようになった民族は、足趾で地面をつかむことが難しくなり、また足先が狭まった靴が一般的なため、5本の足趾は隣同士の趾がくっつく形に変形してきている。よって、随意に足趾を扇型に開くことができない人も多い。
 素足の民族のように足趾が扇型に少し開いていると、各段に立位バランスが良くなり、全身の筋肉が弛緩ぎみになり、体が柔軟性を帯びてくる。そうでない人は無意識的に全身の筋肉を緊張させており、体が硬い。そうした人は前屈しても手の指先が床に届かないことが多いが、厚手の五本指靴下(どちらかと言えば足趾サポーター)を履かせてやると、足趾が扇型にほんの少し開くだけであるが、たちどころに前屈は10cm程度深くなり、指先が床に届くことが多くなる。たったこれだけのことで、立位バランスが良くなり、全身の筋肉が弛緩ぎみになり、体が柔軟性を帯びてくるのである。
 二足で立っていることは、バランスを取るために思いのほか筋肉に負担を掛けているのであり、足趾特に母趾の働きは重要である。こうしたことから、足趾はこれ以上退化することはなかろうと思われるが、靴を履きっ放しの生活が恒常化すると、足趾の機能が大きく損なわれ、足趾の発達障害が憂慮されるのではなかろうか。

 手指の変化
 このことについては「人類は宇宙人になるんだろうか(その1:宇宙人はいるか#2)」の中で、人類は類まれなる「拇指(ぼし:親指)対向性」(拇指を他の4本の指と向かい合わせることができる骨の構造と筋肉を持ち備えている)があって、これによって「握力把握」(例えば棒をしっかり「握る」)と「精密把握」(例えば小さな豆を「つまむ」)ができることを書いた。
 ヒトの指先の器用さは天下一品のものがあり、既に完成形に達していると言えよう。
 情報技術社会がますます進むと、指先の使用はキーボードを叩いたり、タッチパネルに触れることが格段に増えるから、かえって「拇指対向性」が難点になる。今現在はキーボードを拇指で打つのはやりにくい。将来的には、拇指をひねることができるようになり、拇指の腹でキーボードを打つように進化するかもしれない。

 関節の変化
 ヒトは直立姿勢を取るようになったことに伴い、腰の複雑な関節を直立姿勢に適合させるべく、改造を図り、関節を取り巻く筋肉で必要なものは強化した。自然の状態で暮らしていれば、何ら問題が起きない程度まで改良されたものの、上体を腰だけで長時間支えるには、やはり無理がある。将来は座る姿勢が多くなるから、当面、腰痛に悩まされる傾向にあるも、そうした姿勢が卓越すれば、関節のさらなる一部改造と関係する筋肉増強が進み、腰痛は解消する方向に進むだろう。
 肩、腕、手首の関節は、手が全くフリーとなったことに伴い、チンパンジーには無理な方向へもヒトは動かせるようになり、完成の域を見たといっていいであろう。将来とも、このまま継続するに違いない。なお、四十肩は体の歪みからきており、姿勢が悪ければ生ずるものであり、これは解消されそうにない。
 膝、足首の関節は、四足に比べ、二足になれば基本的に倍の負荷がかかるのであり、また立位バランスを取る上でも働くから、丈夫なものになっている。関節周りの筋肉も同様である。しかし、幼少にして足首の関節は多くが亜脱臼してしまい、それは大人になっても続く(寒がりの原因はこれが大との確かな説あり)ことが多いという。これは、文明社会における子どもの成長期においては、足首の関節の強化が体重増加に追いつかないがゆえ(靴を履くことも影響していよう)のことで、ヒトはまだ十分には進化しきっていないと言えよう。遠い将来には、これは解消するのではなかろうか。
 なお、裸足の生活をしている民族は、子どもも当然に素足であり、足趾の発達もあって足首関節の亜脱臼もないようで、大人も子どもも寒がりはいない。薄い着衣ながら朝晩の強い冷え込みにケロッとしているのである。
(今日はここまで)

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
外食につき脳トレ休み

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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8.2 ヒトの形質変化は将来どのように進むだろうか(その1) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 7月16日の日記に「新たな研究テーマに孤軍奮闘立ち向かおうとしている小生である。どんなテーマか? それは、人類の未来がどうなるのか、についてであるが、まだまだ頭の中で何かがもやもやしているだけといった状態」と書いた。
 テーマをもっと絞り込みたいし、絞り込まねば答えも出てこない。これは分かっているも、最初から特定の事項に絞り込むと、周りが見えなくなってしまうから、今の段階では最大限広く構えないと前へ進みそうにない。
 そこで、カテゴリーを一つ「人類の未来はどうなるか」を立て「人類は宇宙人になるんだろうか」を書き始めたのだが、やはりどうでもいい記事になってしまった。
 今日から気を入れ直して、別の観点から探りを入れることとする。

ヒトの形質変化は将来どのようになるか(その1)
 ヒトはチンパンジーから進化したのではなく、ヒトとチンパンジーとの共通の祖先から進化したのであり、その分岐時点の姿形・形質はどのようなものであったか、それは不明である。ヒトのまあまあ古い化石は出土しているが、チンパンジーの古い化石は一切出土していないから、分岐時点やその後の相当期間の両者の姿が皆目分からないのである。それでも、古い人の化石は現生チンパンジーにわりと似ているから、チンパンジーはずっと変わっていないとみなしても、さほど間違いなかろう。
 これを頭において、ヒトの形質変化は将来どのように進むだろうか、想像たくましく思い巡らしたままに述べていこう。

 骨格変化
 チンパンジーは、かなり前かがみの姿で、手の甲を軽く地面に付けて“二足歩行”する。通常“四足歩行”と言われるが、これは、人間はあらゆる面において優秀な存在であると、チンパンジーを差別してかかるからである。“四足歩行”と言いたいのなら、前足と後足を概ね同じような使い方をして歩く、つまり前足の掌を地面に付けて歩くのを見届けてからにしてほしい。
 チンパンジーと類縁のボノボ(コンゴ川で2百万年前にチンパンジーから分断隔離された)は、より軽く手の甲を地面に付けるだけとなり、手の甲を地面に付けずに歩くことも多いのだから、“二足歩行”なんてものはヒトの最大の特徴なんていうふざけた言い方は止めてほしいものだ。
 ただし、“直立二足歩行”となると、これは現生人類の特徴だ。人類初期の猿人などは、その骨格からして、まだ完全な“直立二足歩行”姿勢になっていない。人類が進化するに従って、だんだん直立するようになった、といったところだ。人類化石の骨盤変形がそれを語っている。
 この先、この姿勢はどうなるか。
 随分と“直立二足歩行”に馴染んできており、現時点での難点は腰痛を起こしやすいことと膝・足首を痛めやすいことであるが、これはいい方向に改善されていくのではなかろうか。もっとも、哺乳類は四足を概ね同じように使うことを前提に完成された骨格を獲得済みの動物であるからして、そうたやすく克服はできないだろうが。
 次に、手足の長さだが、人類初期の猿人は長さが逆でチンパンジーに類似していたが、だんだん逆転し、今の手短足長のスタイルになった。これは生活環境への適合としか言いようがない変化である。ところが、文明が高度化するに従ってますます肉体労働をしなくなったから、これが極度に進んで肉体労働から解放されたら、将来的には“足は短くてもいい、手も短くていい”となりはしないか。食糧も消化にいいものばかりとなれば、内臓もきゃしゃなものであって済み、体全体が縮小していってもおかしくない。
 もう一つ、体の小型化の要因がある。動物の島嶼化(とうしょか)現象である。インドネシアのフローレス島が有名だが、他の孤島においても認められ、孤島は他の島や大陸と隔絶されているがゆえに天敵となる猛獣がおらず、ために動物が小型化するというものである。フローレス島で発見された小人原人のホモ・フロレシエンスは、1万数千年前の火山噴火で残念ながら絶滅してしまったが、身長は1メートル程度、体重は20~30キログラム程度で、チンパンジーよりかなり小型であるも、脳の大きさはチンパンジー並みであった。なお、この島では小型のゾウの化石も発見されている。こうしたことから、地球上の王者となったヒトであり、天敵なるものの存在はなくなったのだから、大いに小型化が可能なのである。
 だがしかし、逆に、これはオスに顕著であるのだが、同性のライバル同士が激しく張り合う社会集団においては、体をだんだん大きくしていくのである。今日の人間社会においても、オスは体が大きいことに優越感を感じ、小生のようなチビはいつも劣等感にさいなまれていた。これからの社会、“生き馬の目を抜く”、”他人を蹴落とす”という、えげつない競争社会で生き抜くことをますます求められるようになっていく傾向があり、男どもの体格は向上していくかもしれない。というより、「その可能性は大である」と言ったほうがいいであろう。
 というのは、類人猿のオス・メスの体格の差(性的二形性)を見てみると、ヒトはチンパンジーとどっこいどっこいであるも、平和的な生活をしているボノボより差が大きいのである。オス同士がメチャ張り合っているゴリラとなると性的二形性は倍の開きがある。つまり、ゴリラのオスはメスの2倍(体重で)大きい。
 逆の可能性もある。群社会において、メスの権力がオスを上回っている場合、メスのほうが体が大きいのである。人間社会においても、戦後においてウーマンパワーがどんどん高まり、男どもはそれにたじたじとなり、将来、身も心も萎縮してしまって、女社会となるようであれば、性的二形性が逆転する可能性もある。
 願わくば、人類は平和を取り戻し、同性間、異性間のいさかいをなくし、天敵の動物もいないのだから島嶼化して体が縮み、男女とも身長は157cm以下(小生がそうだから)の小型の動物になってくれるといい。
 小生、中年以降、体は小さいほうが何かと都合がいいと思うようになった。体を動かすのに小回りが利くし、疲労度も少ない。食事量も少なくて済む。ちょっと計算してみよう。現在の若者の平均身長は小生のちょうど10%増しだ。すると、体重は33%増しとなる。随分と違ってくる。無駄は削減すべし、である。
 ここで、大型と小型で基本的にどういう差が出るか、計算してみよう。身長が2倍になると、表面積や断面積は4倍になり、体重は8倍になる。肺での酸素吸収は肺の表面積に比例するから、大型は小型に比べて4倍の酸素吸収量となるが、8倍の重量の細胞に酸素供給せねばならず、供給効率は半分に落ち、息切れしやすくなる。同様にして、足の筋肉の断面積は4倍となり、4倍の力が出せるが、8倍の重量を支えねばならず、運動効率は半分に落ちる。両者合わせて4分の1になり、動きはのろくなり、持久力も大幅に落ちる。加えて、大型はこうした不利な状態で、食糧を体重に見合う8倍の量を摂取せねばならず、都合32倍もの非効率さを生むのであり、思いのほか、大型化は日常生活において不利な状況に追い込まれるのである。
 一つ書き忘れたが、人種間に体の大きさの違いが歴然としてある。基本的に、白人は大きく、黒人は小さい。白熊と黒熊も同じ原因だが、動物全般に、寒い地方で何万年と住み続けていると、体を大きくして体表からの熱放散を相対的に少なくするし、紫外線防御が必要なくなるだろうからか脱色する。動物の場合は体重に倍半分ほどの開きが出てくるのが普通だが、ヒトの場合は火を利用して暖房するからであろう、体重は5割増程度に留まっている。将来的には極寒の地で寒空に曝される機会は大きく減ずるから、白人は体を小さくしていく方向にあろう。
(本日はここまで)

<2日前の日記:夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。うち2品は別のもの。3/7で40点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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7.30 人類は宇宙人になるんだろうか(その2:地球外惑星へ行くことは可能なのか) [人類の未来はどうなるか]

<一日一楽日記>(落ち込みから脱却・幸せ膨らむ ※1
 前回の記事「人類は宇宙人になるんだろうか(その1:宇宙人はいるか#3)」で、「宇宙人の過半は、現生人類に大きく水をあけ、情報技術革命がとことん行きつく先まで進みきり、我々が想像できない新たな技術革命が起きている可能性が大であり、そのまた上の技術革命までもが起きていると考えねばなるまい。」と書いた。
 今日からは、節を改め「地球外惑星へ行くことは可能なのか」を書くこととする。

 我々現生人類は、だいぶ前に月面に降り立ち、今やっと火星に旅しようと計画している。随分と遅々たる進み具合だ。これも無理からぬことである。
 地球の重力圏から脱出するには、膨大なエネルギーがいるのであり、目と鼻の先にある隣の火星を往復するのに宇宙船の速度は大したものではないから、年単位の日数がかかる。その旅の間に消費する食糧も半端な量じゃないから、宇宙船は食糧運搬船といった姿になる。今現在の科学技術を総動員して、やっとこさっとこ何とか火星までは行ってこられるようになった、と満足するしかない。
 他の恒星系の惑星(少なくとも生物が、出来れば高等生物、可能ならば宇宙人が住む地球型惑星)まで旅するとなると、今現在の科学技術では全く歯がたたない。なんせ一番近い恒星まで何光年もかかるのだし、我が銀河の中心部までは5万光年ぐらいはかかるのだから。加えて、旅の途中で地球型惑星をどうやって探し出すのか、これも難題だ。
 そうした難問を全部解決したところで、生き物である人間を乗せて旅するとなると、まず食糧をどうするか、健康管理をどうするか、はたして生きている間に往復できるか、という厄介な問題に直面する。よって、ここは無人機で惑星探索するしかない。
 無人機であっても、今現在知られている科学技術をいくら高度化させたって追いつきはしない。我々がまだ知り得ない幾つもの科学技術を組み合わせねば達成不可能だ。
 これが実現して、地球外惑星で高等生物が生息していることが発見されたとしたら、引き続き無人機で探索することになる。その時代には無人機の探索能力は想像できないすごいものになっていようから、かえって人間の目のほうが見誤るであろう。(もし人間も同乗したら、“人間は邪魔だ、黙って見ておれ”とAIに叱られてしまう。)そして、得られた情報は無人機から電波で(もっと早く伝達できる手段も開発される?)地球に送られてくる。こうして、地球外惑星の詳細な情報は得られるであろう。
 じゃあ、物見遊山で人間が地球外惑星見物にいけるだろうか。学術的意味は全くないから、民間旅行会社が実施することになる。その開発費は?需要は?採算に合うか?と考えていくと、この企画はボツとなる。もっとも、「ドラえもんのどこでもドア」でも開発されれば話は別だが。
 この宇宙には2千億個(最近は2兆個とも)の銀河がある。我が天の川銀河の中の地球型惑星で「ドラえもんのどこでもドア」が開発できなくても、どこかの銀河でそれが可能になっているかもしれない。
 そうなると、この宇宙で最先端科学技術を有した、遠い銀河に所属する宇宙人が、いとも簡単に地球を訪れることが可能となり、すでに訪れているやもしれぬ。そして、地球人も遠い将来にはそうしたことが可能となることも否定できない。
 しかし、これはどう見たってフィクションである。相対性理論から完全にはみ出してしまい、それを超える理論なんて果たして存在し得るか、となる。もっとも、相対性理論を生み出したアインシュタインは、我々が知り得るのは無限小であると言っているから、完全否定はできないが。
 
 さて、本シリーズ<人類は宇宙人になるんだろうか(その1:宇宙人はいるか)>の冒頭で、「地球にやってきた宇宙人の遺体が、どこかの米軍基地に秘密裏に保管されているという、真偽のほどは不明だが、まことしやかに報じられた記事を見たことがある。」と書いたが、これが本当であれば、生前の彼は完全に外界と遮断された宇宙服をまとい、生命維持装置をしっかり身に着けていなければならない。そうでなければ、地球上のウイルスや細菌に曝されて生命の危険があるし、逆に、地球上に訳の分からぬウイルスや細菌をまき散らしてしまって地球の生態系を狂わしてしまうから、そのような愚行は彼ら宇宙人は決してしない。もっとも、彼らはそうしたことを全部調査済みで、双方に全く危害を与えないことが完全に判明したうえで、宇宙服なしで降り立った可能性はなしとは言えないが、生身の生き物である宇宙人であるゆえ、その可能性は極めて低いだろう。
 加えて、地球までやってきた宇宙船は、その卓越した技術力からして決して故障する性質のものではないし、乗組員を地球上に置き去りにしたまま飛び立ってしまうなんてことも有り得ない。乗組員を置き去りにするとすれば、彼らの間でいさかいがあってのこととなるが、宇宙人同士でそれが起こりそうになったら、優秀なAIがそれをちゃんと止めるであろうから、これも有り得ない。以上、どう考えたって宇宙人がその乗組員を地球上に放置することはないから、宇宙人の遺体なるものはでっちあげとしか思えない。

 残念なことではあるが、我々地球人が遠くへ出かけて行って宇宙人を直接見ることはできないし、その逆もまた有り得ない。いくら遠い将来を想定しても、唯一の移動手段は「どこでもドア」しかなく、これは非現実的であるからして、どうにも叶わない。
 と、ここまで思いつくままに書いて、なんと、しょうもないことを俺は書いているんだと、恥ずかしくなった。よって、本節はこれにて終了とする。
 次回は、もう少しましな項目を取り上げよう。
(今日はここまで)

<2日前の夕食>(記憶力増強トレーニング ※2
5品思い出す。他に1品。5/6で80点

※1 2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。
※2 2014.6.3ブログ記事「 100歳までボケない101の方法 」で書きましたが、その中で衝撃を受けたのが「2日前の日記を付けよう」で、次のように書かれています。
 記憶力を維持し、さらには高めることができ、ボケ防止に役立つ効果が大きいから、ぜひやってみてください。例えば2日前に食べたものを思い出すのはどうでしょう。前日のことならかなり鮮明に覚えていると思いますが、2日前となると途端にあやしくなりませんか。
 よって、小生も早速2日前の日記を付け始めたところです。
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